標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

花水木が美しいのに、残念ながら政局は汚れ切っている。また、官僚の辞任が発表された。

2018-04-18 20:00:51 | 日記
今日は花水木のことについて述べようと思っていたが、このブログを書こうとしたら、財務局の事務次官の辞任のニュース速報が入ってきた。

今回、事務次官辞任の直接の理由は、セクハラ報道のようだ。しかし、記者団の質問で「森友問題とは関係ないか」との問いに、事務次官は明確には否定しなかった。むしろいろいろなことがあるのでというあいまいな内容だった。そして、セクハラ発言については否定ている。週刊誌報道については、裁判で争うようだ。ならば、辞任する必要はないのにと思うのだが? 理財局長の時と同じように、詰め腹を切らされたのだろうか?

奇しくも、森友・加計学園に関するキーパーソンである、首相、首相夫人、首相秘書管の3名は、アメリカに行っている。今回のトランプ大統領との会談は必要ないという見方もある。中、韓、米のトップは北朝鮮の金正恩氏と会談したまたは予定がある。しかし、日本だけは、北朝鮮との接触予定はない。日本は、拉致問題もあるので、もっと以前から、北朝鮮とは接触すべきであったと思う。「制裁の強化」一辺倒の主張は、わが国独自というより米国の方針に追従しているに過ぎない。拉致問題を米国の大統領に託すのは、意味はあるが、それとは別に日本として対応する必要がある。他力本願だけでなく、拉致問題だけは、日本として自力で行わなければならない問題ではないだろうか。
野党議員は、今回の日米首脳会談に3名は、逃避行だと発言している。的を得た発言だと思う。

これらのニュースに混じって、自民党幹事長ら大物の政治家等数名が、今回、「同窓会」と称して会食をするとのこと。昨年もこの日に同じような会合が持たれたとのこと。以前からの計画だったというが、きな臭さも残る。主がいない間に、生臭い話をするのだろうか? 政局は一寸先は闇とはまさに今の状態をいうようだ。

さて、心機一転、花水木の紹介だ。


午前中は小雨が降っていたが、青空と葉だけになった桜を背景にさく、我が家の薄いピンクの花水木。一昨年までは、ピンクと白の花水木が対で咲いていたのだが、白の方は枯れてしまった。去年からピンクのみだ。まだ咲き始めだが、白がなくなったためか、寂しく感じる。


タロ(犬)との散歩道端に、咲いている白い花水木。多分枯れた幹を切ったものと思われるが、今年は一杯花をつけている。


これも散歩の途中にあるもので、7m程の高さがあり、濃いピンクで、例年きれいに咲いている。

花水木は20世紀初めにアメリカから送られたものだ。そういえば、花水木がきれいだなと認知したのは、長野のどこかの街道沿いの並木だった。その景色はどこか異国を感じさせるものだったのを覚えている。わが家の近くは、並木はなく、庭木として植えられたものだろう。しかし、わが家以外の花水木は、空き地に咲いている。勢いがよい。
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学長や大臣なのにパワハラ・セクハラの意味を理解していないのではないか?

2018-04-17 19:44:19 | 日記
国民がうんざりするくらい、様々な問題が出てくる。財務省事務次官のセクハラ発言がでてきた。当事者は否認していて、出版社に対して提訴も考えているとのこと。
この問題に対して財務大臣は、セクハラを受けた女性記者(いわば被害者)に対して、名乗り出てきて説明して欲しいという発言を公然としている。



大臣は先日は、セクハラ発言であれば、(発言をした者は)アウトでしょうといっている。しかし、今日の会見では、事務次官を弁護している。いわば被害者である女性に対して、出てこいという内容だ。これでは被害者の女性のことは全く考えていない。セクハラに関しては、守らなければならないのは、被害者女性であって、事務次官の方ではない。良識を欠いた人が財務大臣をやっているとは。日本国民として恥ずかしくなる。

また、日本レスリング協会のパワハラで話題になっていた時に、パワハラを行った人が所属する学長が、加害者を擁護するような発言の記者会見があった。その中でその学長こそパワハラ的な発言をしていたのに、憮然たる態度で話をしていた。訴えられた指導者について「あの人は小心者だ」、「小心者にパワハラなんかできるはずがない」や被害者の選手について「あの人は選手ですか」などと発言している。そもそもパワハラを行う人間は、物理的な力が強い人が行うという意味ではない。腕力は非力でも、劣等感や虚栄心などでパワハラ行為を行うことがある。「パワハラ」という意味を全くと言っていいほど、理解していない。残念ながら、このような人が大学の学長を行っている。一方的に加害者を擁護したいがために、わけのわからない発言をしているのだ。

財務大臣も、セクハラということの、被害者ということを理解していない。単に加害者である事務次官を擁護するだけである。今回のセクハラ問題は、その事実等についてはっきりしない面があるようだが、途中経過であっても自らの都合の良い対応でなく、行政や政治に携わる人たちは、国民目線で対応すべきである。国民の税金で仕事をしているのだから。今後どのような流れになっていくのか? 

本来ならば、深い良識や真摯で丁寧な行動を示すべき、政治家や学長等が、身内を守ろうとするあまり、言い訳やうそをいうのは、金輪際無くして欲しいと思う。
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鶯の初音とは、本当に初鳴きなのだろうか?

2018-04-16 19:22:35 | 日記
「初音」とは、広辞苑によると「鶯・杜鵑(ほととぎす)などのその年の初めての鳴き声。初声。栄花物語(木綿四手)『鶯のうらわかきーにも』。『ーを聞く』」とある。
私も3日前に鶯の鳴き声を聞いた。



俳句の世界では「初音」というと鶯の鳴き声に限定されて使われることが多い。
やや、屁理屈ぽっくなるが、「私が聞いた鶯の本当の初音はいつだったんだろうか?」と思ってしまう。先日聞いた鶯の鳴き声は、朝の散歩時で、爽やかな林の中に響き渡っていた。「ホーホケキョ」と一瞬だったが、私も歩を止めた。芽吹きだした黄緑色の林が、絵のように動かず、鳴き声だけがすべての世界だった。これだけ綺麗な鳴き声は、きっと初鳴きではないのではないか。どこかで、何回も鳴く練習をしていたのだろうと思ってしまう。

「初音」は、鶯自身の初鳴きでなく、私が聞いた初めての鶯の鳴き声なのだ。
桜の開花については、「開花宣言」と言い、客観的な基準がある。しかし、「初音」は聞いた人の主観だ。ある特定の鶯にとっては、初音でないが、その年初めて鶯の鳴き声を聞いた人が100人いるとすると、100の初音があることになる。そして、私が次に聞く鶯の鳴き声は、その鶯にとっては初めての鳴き声でも、「初音」とは言わない。

「初音」を「はつね」という言葉の響きは私は好きだ。そして、あの鶯はどこかに飛んで行き、誰かに「初音」を聞かせているのだろうと思うと、それも面白い。
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「公文書管理の見直し」に留めてはだめ。本当に膿を出し切ってほしい。

2018-04-15 20:16:17 | 日記
財務省や防衛省の文書管理がずさんなので見直すということを、与野党問わず行うとしている。見直しは必要なのは理解できる。しかし、それにより、改ざんや日報に関する虚偽報告などの問題の解決にはならない。

与党は行政の責任に帰することで収拾を図ろうとしている。しかし、忖度かも知れないが政治が絡んでいると思われる点については、徹底的に真相を明らかにし、文書管理だけでない問題点を明らかにすべきだ。首相も「膿を出す」といっている!?
この問題の対応は今後の国会や与野党の協議によって、少しでも真実に迫っていくことを期待したい。

さて、今日の私の論点は、文書管理規定を見直すのを慎重に行ってほしいということだ。もし、文書管理を厳しくし、情報公開するなどの対策を強化すると、「不必要なことは書くな」という方向に行くのではないか。



加計学園問題に関しては、今治市の職員が、15年4月2日に愛媛県職員らと総理官邸に訪問した際に作成した東京出張の復命書や関連書類が存在することは明らかになっている。情報開示請求に応じて、今治市が出した文書(16年7月)は、面会した相手の名や、話した内容は全て黒塗りになっていた。また、この後、開示請求しても文書が出されなくなった。首相前秘書官が記憶にないといっているので、口裏合わせなのだろうか? さらに、復命書も2種類存在するようだ(財務省の文書と一緒だ)。問題になってから、復命書を作り直したのだろうか?

財務相の文書改ざんについても前財務局長の国会答弁に合わせて、改ざんしたようだ。

このように今や、誰かの答弁や言動に合わせて、一度作成した公文書を改ざんするようだ。このようなことがまかり通れば、嘘も通用する。なんでもありありになってしまう。

これが通用する政治・行政の体制のまま、文書管理規定を見直し、厳しくすると、政権等にとって都合の悪いことは、文書に残さなくなる。国民からすると、隠ぺいになる。そして、文書開示請求をしても、例えば政権等にとって不利な経過は省き、結果だけの記載になる。これでは、隠ぺいがあったかどうかも分からなくなる。嘘や改ざんなら、今回のようにほころびがでてくる可能性があるが、はじめから文書に書いてなければ、隠ぺいとなり、真実は闇の中に入ってしまう。

復命書は、国民の税金を使い、出張するので真実を残すものである。ことの良し悪しに関わらず、包み隠さず復命する必要がある。しかし、都合のよいことだけの復命書は、あってはならない。

これを防止するためにはどうしたらよいだろうか? 復命書の内容に隠ぺいや嘘があった場合は、罪に問うなどとしなければならないのか? それも、復命書を書いた当事者だけでなく、その上司や隠ぺいを指示した人物も処罰するということになるのか?

悲しいかな、性悪説に基づいた法律、規定づくりとなる。でも、こうでもしないと、言葉だけは、真摯、丁寧、真実等の美辞麗句を並べる政治・行政を変えられないとは情けない。
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10円玉で「帰るコール」をした昔。今は、時間差なしで海外とライン電話。

2018-04-14 20:19:54 | 日記
朝方暖かくなってきたためか、夢で目覚めることが、多くなってきた。今朝の夢の中に、通勤していた頃、公衆電話から妻に「これから帰るよ」という場面が現れた。

私がこの地に住み着いたのは、平成9年からだ。当時、職場と同じ敷地にある社宅に住んでいたのだが、いくら頑張っても退職までしか居住できない。退職後も永住できる場所を見つけ、今の地に住みだした。メリット・デメリットは必ず付いてくるものだ。通勤に2時間近くかかるようになってしまった。でも、通勤時間も活かし方でかなり有効でもある。本を読んだり、寝たり、勉強したり様々だった。一番多くの時間を費やしたのは、寝る時間だったと思う。時間を使い最も有用だったのは、ある資格を取るための、勉強ができたことだ。そのお陰で、合格率が10%台の資格に一回の受験で合格したことだ。しかし、残念ながらその資格を生かした仕事は未だにできていない。合格証書だけが、なにかの記念メダルのように残っている。

さて、2時間近くかかって、帰るわけだが、自宅の最寄駅からは歩くと40分ぐらいかかる。妻に駅まで迎えに来てもらう、または、妻が食事準備のために予め帰宅予定時間を伝える必要があった。



帰宅経路には途中で電車を乗り換えなければならなかった。乗り換えの時間に余裕があれば、当時は駅のホームにあった公衆電話で10円でかかる範囲のいわゆる「帰るコール」を入れた。
しかし、乗り換え時間に余裕がない時や10円玉がない時は電話をかけることができない。最寄り駅に着いてから、家に電話をした。冬の時期は寒い駅舎で足踏みしながら待っていた記憶が懐かしい。妻に連絡ができない時は、40分かけて登り坂を歩いて帰ったものだ。途中、街灯もなく、暗闇の中を歩かなければならなかった。

やがて、プリペイド式携帯電話を知った。当時、導入されたばかりだったが、私は早速購入した。とても便利なものだった。そして、新しいもの好きの私は、それからガラゲー、データ通信専用の端末と7インチのタブレット、そしてスマホと進化した。でも、プライベートでの使い道はのほとんどは、「帰るコール」であった。手段は変わっても行為は変わらなかった。

現役を終了した今は、ラインが主となった。家族、親戚間の連絡、情報のやり取りはラインで済ましている。周知のとおり、ラインは、メール、音声電話、テレビ電話、画像の送受信など様々な機能がある。特に海外のやり取りは便利だ。テレビ等で見るように音声の時間差をほとんど感じない。ただ唯一不便なのは、地球の裏側との時差だ。これはスマホ機能のことではないのだが、ライン電話で話す時間帯は少ない。夜中にドイツの息子と話すと、夜中の1時頃になってしまう。寝そびれて、その日の昼間は寝不足で何もできない一日になってしまう。
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