標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

一党の総裁選をにらんだ国会運営でなく、国民のための運営を願う。

2018-06-20 21:36:14 | 日記
一昨日の地震の後、国会では、予定されていた決算委員会を開いた。野党委員が「復旧に影響が出るのではないか」と懸念して延期を提案したにもかかわらず、与党の国体委員長は「予定通り開催」すると言った。国交大臣、防衛大臣など全閣僚の面々が参加して決算委員会を押し切ったそうだ。森・加計学園問題を扱うことになっていたのだが、NHKの国会中継も中止となった。今の政権にとっては、国民に国会論戦を見せたくないという首相側の心理が働いたのだろう。国民の安心安全より政権の暗部を隠し、政権維持の方に関心が向いてしまった表れと思える。

また、昨日は加計理事長の会見も急遽行われた。
加計学園は、首相と会談したというのは、学園の職員のとっさに出た、作り話だった。愛媛県等に多大な迷惑をかけたとした。嘘をついた職員の減給と、理事長の給与自主返納を理事会で決めたという。地元のマスコミの取材しか受け付けない、異例の開催だったとのこと。

加計学園は、獣医学部開設の認可を受けんがために、「首相と会談した」という大ウソの話を自治体に報告した。学園側の言動は、にわかには信じられない。百歩譲って、この通りだとしたら、もっとも迷惑をかけたのは首相に対してではないだろうか? 首相からすれば、会ってもいない話を誠しやかに、「いい話だね」と首相のコメントまで添えられている。首相こそ最大の被害者だ。首相こそ怒らなければならないのに??
加計ありきで事が進んでいたので、首相は怒る必要がないのだろうか?

これについては、加計理事長はじめ学園側は、全く触れていない。友達だからなのだろうか? 理事長は会見の中で、理事長と首相が会う時は、お互いに仕事の話はしないことにしているという。それなら、なおさら、今回の嘘については、謝るべきである。そして、謝罪だけでは足りない。愛媛県や今治市には、嘘による報告により、多額の補助金を拠出してもらっている。うそをついて、貰った補助金なので、謝罪と共に返上すべきではないだろうか。

今日は国会の会期延長が決まった。今の政権は、数で政権の意のままに国政を突破しようとしている。それも、国民の立場に立つというより、参議院の定数増などの案のように、与党の都合で押そうとしている。これは民主主義と言えるのだろうか? 民主を重んじるのなら、少数派の思いも取り入れた、思いやりのある立法であってほしい。与党の総裁選をにらんだ施策でなく、少なくとも、世論調査の支持率に比した国会運営となるように配慮すべきだ。
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「事故としては過去のものだが被爆は現在進行中だ」:特集「被爆の森」より

2018-06-19 19:45:51 | 日記
先日、今年の3月7日の再放送だが、NHKBS1で「被爆の森2018 見えてきた“汚染循環”」という番組での科学者の言葉だ。



2016年3月には「被曝の森~原発事故5年目の記録~」の続編だ。除染作業が進み、帰宅可能な地域が出てくるなか、山間部を中心に「帰還困難区域」として取り残される地域での、7年たっても汚染が循環する実態を報告している。

「帰還困難区域」で、放射性物質はどのような影響をもたらしているのか? 科学者による研究は、より深く、より多角化しているという。これまで調査されてこなかった高線量の森に踏み込み、生態系の中で放射性物質がどのように移動・残留しているのか、解明が進んでいる。番組では科学者たちの挑戦や住民の思いを追っていた。

放射性粒子の中で最も、重要なのはセシウム137である。半減期は30年で長い。まだ、7年過ぎたところだ。セシウムは水に溶けやすい。そこで、森から湧き出た川の水を調べたところ、国で定める基準値を下回っている。飲料に使うことも許されるレベルとのこと。しかし、森の落ち葉、土壌、植物、動物は汚染されている。水が汚染されていないのは、森にしみ込んだセシウムは粘土鉱物に蓄えられていて、地下水まで届かないためだろうという。

セシウムは樹木の皮に蓄えられる。スズメバチの巣はこれら樹皮を材料に作られるので、セシウムを含んでいる。また、植物の柔らかい部分(葉や新芽)に蓄えられる傾向があり、それを鳥や野生動物が食べる。科学者は語る。「こうして野生動物の体内には多くの放射性セシウムが残留している」と。そして「そいう意味で事故としては過去のものだが被爆は現在進行中だ」という言葉へと続く。そして、「森は綺麗なんだけれども、見えないものを見なくてはいけない」と研究者は語っていた。
目に見えぬ汚染が循環している。

番組では、住民の活動についても触れていた。「帰宅困難区域」の家々を一軒一軒巡り、放射線量をチェックしたり、環境整備に務めている。住民は語る。「少しでも元に近づけたい」、「かえって来いよ。かえって来いよと言わんばかりに、自然は美しさを・・・」、「おれらの時代は過ぎちゃったよ」、「帰れる人だけ帰れるように。子供たちはあとでもよいから」、「ふつうは(例えばテーブルが)汚れたら、汚れたところから拭くでしょ。そして、乾いた布巾で周囲を拭く。でも、汚れた部分はそのままにしておいて、まわりからやっている・・・?}。

「帰宅困難区域」に住んでいて、今は避難地に暮らす住民の思いは様々だった。しかし、「愛着心と」「帰りたい」という気持ちは共通しているようだった。
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連動はないというが、立て続けに起こる地震。防災備品のチェックをした。

2018-06-18 19:35:14 | 日記
今朝8時前にテレビの緊急警報がなった。直後に大阪北部を震源とする震度6弱の地震が発生したと報道された。以後、各局とも地震報道が流れている。

関東地方では東日本震災以降、福島県沖や茨城県を震源とする地震がときどきある。しかし、数日前から千葉県沖を震源とする地震が起きている。一昨日も震度4だった。これはスロースリップというそうで、プレート境界の岩盤がゆっくり滑り動く現象で、6月上旬から続いているという。警戒されていたところである。また、昨日は群馬県南部を震源とする震度5弱の地震があった。

専門家のコメントでは、それぞれの地震の関係性はないという。だからといって安心できない。最近3日間で震度4~6弱の地震が起こっているというのは、かえって、ばらばらでも同時多発的に起こるということの怖さを示しているといえる。関東と関西で同時に起こるとバックアップ体制もとれない。できる範囲で各人のレベルで備えなければならない。

今日の地震で被災された方々には、お見舞いを申し上げるとともに、わが家の防災について、検討し直した。地震に限らず、風水害などに備えた、防災備品のチェックを行った。


日用品を主とした防災グッズを入れたカバン。市販の保冷バッグを使っている。中身も妻が集めたもの。


バッグに入れてある品物。トイレットペーパー、ティッシュボックス、タオル、割り箸、各種ビニール袋。アルミの断熱シート。手動発電の電灯、乾電池、懐中電灯、マッチ、はさみ、救急キズテープ、消毒液。そして、黄色の袋の中には、大きさの異なる買い物袋が詰まっている(多用途に使える)。


これらは、クッキーやチョコなど手軽に食べられる食料品。蓋つきの白いホーローのバケツに入れて保管。そして、2リッター入りの水。さらに水のペットボトルは、6本ずつ箱に入っており、2箱つまり12本ある。


さらに、生協で購入した防災用の食品セット。

わが家は阪神淡路大震災以後に建築したので、それなりの耐震構造にはなっている。しかし、冬の寒さや東日本大震災の折りには、外の水道・下水管に被害が出た。また、大雪で数日間孤立したこともあった。東日本大震災を経験後、非常時のために、日用品や食料品などの防災グッズを揃えて、2か所に分けて保管している。

今日、改めてチェックしてよかった。防災備品の保管場所が、私が覚えていたところとは、違うところに保管されていた。そういえば、「防災グッズの保管場所を変えたからね」と妻が言っていたのを思い出した。しかし、どこに変えたのかは覚えていなかった。変更する前の場所にあると思っていた。

今後立て続けに、大きな地震が起こらないように祈るばかりだ。
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卒業(中学校)記念登山の思いで。丹沢で出会った鹿。

2018-06-17 20:35:48 | 日記
中学校を卒業した春だったと思う。同級生と二人で、表丹沢を歩いた。通常の縦走コースはヤビツ峠から二の塔、山の塔,行者岳、塔ノ岳を縦走するのだが、これは初心者には無理だ。「ヤビツ峠」という言葉が残っている。したがって距離的にはヤビツ峠から岳ノ台、菩提峠を通り、菩提地区へと下るコースだったと思われる。

時期も中卒直後なので、3月末だったのか。今も鮮明に脳裏に残る映像は、尾根を歩いている時に出会った鹿だ。10mと離れていない残雪の上に立って、我々の方を見ている雄鹿だった。じっとこちらを見て、動かない。私も友も足を止めた。しばらくしてから、鹿はゆっくりと立ち去っていった。この映像は、その後も繰り返し思い出される。そして、常に誇張されず変化のないもので、どちらかというとモノクロ調の絵だ。

しかし、これと同じ映像がもう一つある。この地に引っ越してきた年だった。夕方、家の北側の森の中に、同じように雄鹿を見た。まるで「デジャビュ」のようだった。でも、デジャビュではない。私のところから6~7m離れたところで、丹沢の鹿と同じような目つきで、私の方を見た。鹿は立ち去ろうとせず、しばらく(正確には一瞬かもしれないが)私と見つめ合っていた。そして、ゆっくりと歩きだし森の奥に消えていった。その姿は50年前に丹沢で見た鹿の再来かと。ゆっくり立ち去るとき、前足の膝関節をほぼ直角に曲げ、一瞬止め、前に進む姿は、鹿ならずとも馬が立ち去る時に行う動作だ。この姿は好きだ。わが家のタロ(犬)もよく行う。散歩後のシャンプーをするとき、私がせっけん液を泡立てる動作をすると、決まって、右前足を鹿の動作のように上げて、待っている。「お手」の時もそうだ。

でも、足をあげ一瞬止めてからゆっくり立ち去る姿は、鹿が一番似合うと思う。しかし、鹿にはめったに出会えない。その代わりタロが前足をあげる姿勢を見て、たぶん私の頬はほころんでいる。そして、時々鹿の映像を思い出している。何故ならば、タロをシャンプーする浴室は、鹿がいたところから、最も近い部屋だ。前にタロの実像、後ろに鹿の気配を想像するときがある。

「標高330m」をあらためて意識すると、丹沢登山を思い出す。鹿との出会い以外の場面は、帰り道がもっぱら下りだったので、つらかったという思いが残る。その他の場面は思い出せない。
その時一緒に登った友人と、新宿駅からバスに乗った時、車内でばったり会った。それ以来、40年間、合っていない。

今日は、梅雨寒の一日で、どんよりとした雲り空だったが、雨は降らなかった。妻と私はそれぞれ思い思いの場所の草取りをした。流れの無い川のように、動きのないおだやかな一日だった。こんな時は過去の思い出に浸るにふさわしい日でもあった。
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庭のベビーリーフが毎朝のサラダに添えられる今日この頃

2018-06-16 19:59:59 | 日記
このブログが始まったのは、昨年の6月15日だった。昨日、goo事務局から「1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか?」というメールが届いた。この便りは初めてだった。息子に促されて、やり始めたら義務化したようで、ほぼ毎日書くのが習慣となった。特定のテーマに絞ると続かないと思い、テーマは日記とした。

家の周囲で観察したこと、外出で見たもの、そして、日々のユースを見聞きして感じたことなど。今日は何を書こうかと直前まで内容が思い浮かばない時もあった。また、書いてみたいテーマがあるのに時間がなくて先送りしたこともあった。時には休んだ。

まあ、今後も同じペースで行こう。

さて、昨年6月15日のブログは「23区の最高峰」だった。ジャガイモの写真を掲載した。今年は植えなかったので、ジャガイモは収穫できていない。だが、妻の管理する畑には、ピーマン、ナス、大根、カボチャ、トマト、えごま、レタス、ベビーリーフ、ネギ、オクラ、キュウリ、ゴーヤ、小松菜、モロヘイヤ、ワケギ、アスパラ、いんげん、エシャーロット、ニラ、パクチー、コールビッツ(ドイツのかぶのようなもの)、イチジク、ブルーベリー、ユスラウメ、ミョウガ、明日葉、そしてゆずがある。これらが食用の草木だ。50㎡に満たない畑と庭に、少しづつ植わっている。先日はブルベリーを積んだ。最近は朝に、取れたてのベビーリーフを少々つまんでは、サラダに添えている。いつまで楽しめるだろうか? やがて、トマトなども添えられるようになりそうだ。


ベビーリーフ。高さ7~8cm。サラダに添えるのに丁度よい。


わが家にも3株ほど、ラベンダーが植わっている。それぞれ全く別な場所に植わっている。今日は、この株のみが満開かな。


お隣との境に咲いている直径20cmほどの紫陽花。大きなモミジの下に咲いている。、ほとんど手入れしないのに毎年きれいに咲いている。
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