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大善人へ身魂磨き

ワニ族 ②難波の地名縁起

応神天皇(神功皇后)vs忍熊皇子の際、忍熊皇子の討伐に参加したのが、和珥武振熊(わにのたけふるくま)🟰難波根子建振熊命。


応神天皇の子、仁徳天皇に皇位を譲ったのが異母兄弟の菟道稚郎子。その家庭教師が王仁博士。王仁博士の詠んだ和歌が


難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

また、難波。。


難波にある神社で妹が参拝した難波八坂神社。



大阪巡礼 ①難波八阪神社 - お山にお宮がたちました

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どちらも、ワニさん。和珥の漢字は、和と王と耳。この名前も、気になるところです。耳は、角のような、アンテナのようなイメージです。

🐊🟰ワニ🟰鰐🟰和珥🟰和邇🟰丸邇🟰丸🟰王仁🟰オニ🟰鬼

沢山の漢字や響きからイメージを膨らませます。


鰐は水とは切っても切れない。水は陰の要素。しかも、因幡の白兎の中では、鰐なのか鮫なのかの議論さえあるようです。

鰐🐊?鮫🦈?

共通点は、どちらも水の生物としては最強かな。これは、陰陽の陰を司る陰極まる一族の象徴なのかも?です。


陰極まれば、陽転するわけですが、、消されたり、隠されたり鬼にされながらも、この花が咲く🟰3000年に一度の梅の花が咲く時間を待たなければいけなかった方かもです。。。


八坂神社は、スサノオ尊を祀る神社です。


難波八坂神社の八は、ヤマタの大蛇の八とかをイメージし、また、坂からは、サカ族思い浮かべます。


難波は、波が難しい。船乗りには梶がとり難く、海人族には、なかなか難しい土地なのかも、、です。


この難波八坂神社に纏わる話に下記の話があります。


仁徳天皇の時代、この付近一帯に疫病が流行り出したところ、牛頭天王が現れたのでこれを祀ったのが当社の始まりとされる。それ以来「難波下宮」と呼ばれており、難波一帯の産土神となりました。


19745月に完成した獅子殿という素盞嗚尊の荒魂を祀る大きな獅子の頭の形をした舞台があることで有名で、関西ならではのユーモアも感じますね。


王仁博士に関しては大阪を中心に多くの伝承地があるようですね。ユニバーサルジャパンがあるのは大阪の此花区(コノハナ区)。




太古の昔に、論語を日本にもたらして、


難波津に、咲くや木の花冬籠り、

今を春べと咲耶 木の花


と詠んだ、王仁博士の縁がとりわけ強いようですね。


此花区の西側は古代の難波津、今の大阪湾に面していたようで、渡来人の王仁博士と海との関連が感じられます。古代の大阪や、難波あたりは日本と大陸の交流の中心地であったといえそうです。


応神天皇時代、忍熊皇子を討伐した難波根子建振熊命(ワニ氏)

応神天皇の子、菟道稚郎子(仁徳天皇に皇位を譲る)の家庭教師であり、難波津に〜の和歌を詠んだ王仁(ワニ)博士。


忍熊皇子、菟道稚郎子ともに、関西の宇治川で亡くなっており、大阪湾にそそぐ宇治川からは、瀬戸内海を経て朝鮮半島につながる難波江との繋がりも感じます。古代から大陸に開かれた日本の門戸が難波ともいえそうです。


それ故に、さまざまな人が入り乱れ争いも絶えず、皇位継承争いにより辛い非業の最期を遂げるものも多くでた地といえそうです。陰陽にわかれての一大対決、記紀神話は深くよむと、敵すらも味方のように描き、エネルギーをとり込む仕組みがありそうに思います。それは、敗者の御魂を取り込みあげるのか?もしくは、隠蔽か?はわかりませんが。。


難波八坂神社創建は、菟道稚郎子が皇位を譲った仁徳天皇の時代に疫病が流行った話がありました。諸々の話を繋げると、祟りへの鎮魂のお宮、もしくは封印のお宮なのではないかとも思いました。


楽しい遊園地のような🎡エネルギーの集まる地、お笑いの地、笑ってなんぼの地は、太古において陰が蓄積された地を少しずつ人のエネルギーにより癒しの地に変えるのかもですね。



妹のブログより難波ネギが有名だとか。ネギは禰宜。「労(ね)ぐ」と言う言葉に由来し、神意を慰めると言う意義を持ち、古くは祈祷を行なう者のこと。


今は、難波ネギ、身体に良いネギを食べてねぎらいましょう、かな。鴨肉とネギを使った鴨なんばの由来だとか。鴨からは、加茂族を思います。役小角は加茂族。鴨と葱がマッチングして、食も和することでさらに味わい深くなる。



難波葱



鴨なんば


日本はどんな無念な思いをもってお亡くなりになった御魂も、神上がりするようにと、縁ある身魂が鎮魂して魂を天にと祈ります。それは、敵味方関係ない。

その御方が生きた時代の苦労も含めて労う(ねぎらう)事も意味する気もします。

土地の地名や逸話、食すらも繋げ想像すると、人々の積年の故人や土地への慈しみや本当の愛を感じられる気すらします。


神をおもう気持ちや善意に、我がなくなれば、素晴らしいですね。


神社ではお願いではなく、感謝の参拝が大切。

参拝者の身魂と、自然を交わらせる、また、かつて生きた御霊(生きたかった身魂)を交わらせる、そういう純粋な祈りの地こそが自然と様々なな思いを霧散させたり溶かすのかもなと思いました。



つづき

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