源義経ときたら、静御前。ドラえもんの源しずかちゃんは静御前から名づけられたみたいですね。
静御前も、しずかちゃんみたいに可愛い方だったのかもです。
鎌倉の鶴岡八幡宮には静御前が悲しみの舞を舞った場所があります。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝とその妻・北条政子に命じられて、鶴岡八幡宮の社前で静御前が舞ったときの歌で、どちらも義経を恋い慕う内容で、頼朝を激怒させたようです。権力に媚びず心が信じた所に従う。静御前はそういう女性だとも思いました。
北条政子が「自分も同じ立場ならこうする」と頼朝をなだめ命は助けられました。
しかし、静御前は義経の子を宿していて、生まれた子供が女の子なら救うが、男の子なら将来の禍根を残さないために殺す、と告げられていたのです。生まれてきたのは男の子でした。大泣きして離さない静御前の腕から取り上げられ、頼朝の家来の手に渡った義経の子は、鎌倉の由比ヶ浜に沈められました。
可哀想すぎる。酷すぎる。と思いました。
静御前には、『静御前と神泉苑』によると、寿永元年(1182年)、大日照りとなり賀茂川や桂川の水も絶え、日本中の人々が苦しんだ時の逸話があります。
慣例によって神泉苑に各寺院の高僧が100名集められ、経を読み雨を祈ったが効験がなく、そこで、美しい百人の白拍子を神泉苑に集め、後白河法皇の行幸を仰ぎ、九十九人が舞いを舞ったがやはり効験はなかったそうです。
「あと一人舞ったくらいで龍神様が雨を降らせるだろうか」
という意見もあったようですが、後白河法王が静御前に舞わせてみたところ、にわかに黒雲が出てきて、三日間大雨が降り続いて国土は安穏になりました。法王は感激されて、静御前に「日本一」の称号を与えた、とありました。
また、この舞を見て義経は静御前と恋に落ちます。
この神泉苑は空海さんが開山。池には善女龍王が住むと言われているようですね。
ウィキペディアより
義経と鞍馬天狗の話から、義経は鞍馬の火のエネルギーが強い方で、静御前は龍女で水のエネルギーが強い方だったように思えます。
武士の時代に突入する時代の波の中で、兄弟さえも権力争いで殺し合う時代に、強い絆で結ばれて、義経と静御前は悲しい運命さえも共にした2人だったように思いました。
天では結ばれていてほしい。今日は七夕。雨により、天の河に織姫と彦星を会う橋はかからないかも。頼朝により朝敵とされ苦難の最期を遂げたとされる義経を地の果てまでも慕う静御前の強さに心動かされました。
愛するとは、とっかえ、ひっかえするものではなく、心が信じたものを貫きとおす美しさなのかもですね。