見出し画像

大善人へ身魂磨き

磐井の乱 ② 新羅との関係

昨日の続きです。


八女市によって作られた筑紫の磐井のアニメを再度見返しました。蜻蛉や鳥がさりげなくでてくる映像に、九州の空気感をアニメを通して思い出しました。自然はいいですね。


磐井の君は、大和朝廷と対立し、賄賂を新羅から受けとった国賊のように伝わりますが、アニメの方では違う形で描かれます。寧ろ、逆。

史実は勝者によって語られますので、磐井の君の敗北をきっかけに、あることない事、または悪事すらなすりつけられたのかもしれないと思いました。




何故磐井の乱(6世紀初頭)がおこったか?


朝廷は、海人族(阿曇族、住吉族、宗像族など)をたよりに朝鮮半島にある百済や新羅などと交易を行っていたとすると、大陸との結びつきによる対立構造が浮かびあがります。


磐井は、阿曇族や新羅との結びつきが強く、それが百済との結びつきの強い大和朝廷と対立を生んだと推測できます。


言い分はお互い色々あるでしょうが、映画では磐井は戦いを最後まで拒み民を守ろうとしていました。

実は、アニメを観ながら、その当時の太古の日本人の髪型は、まるでユダヤの方の髪型と似ているなぁ、やはりユダヤ系の渡来人の流れがあったのだなぁなんて思いました。



  





磐井が、映画の中で太古からの新羅との縁を大切にしているという発言にも注目してしまいました。


一方、九州の海人族、宗像一族は大和朝廷との結びつきの強い方面への水先案内人だったため恩恵を受け、九州でその後もずっと力をつけていったのかなとも思います。空想ですが。


磐井は最後は大分の山奥に逃れ余生を過ごしたとあります。久住山や、祖母山あたりかな、とすると、祖母山の御祭神、健男霜凝日子神と繋がりがあるのかもと勝手に思いました。久住山にも、祖母山にも健男神が祀られていました。


ところで、太古から新羅は日本としばしば戦いが行われており、神功皇后の三韓征伐も新羅でした。神功皇后の三韓征伐には、龍宮を思わせるワニ族の豊玉姫や阿曇磯良の話がでてきます。歴史においても白村江の戦いなどは、新羅は倭国の敵とされています。


一方、朝鮮からの渡来人といえば百済から様々な物がもたらされたと学生時代は学びました。


百済との関係は良好で、新羅とは関係が良くないのかなぁなんて、歴史では思い込まされていたように思います、


しかし、新羅(シラ、磯良)からの渡来人は日本に様々なものをもたらしており、新羅や、中国は、経由地で、国を追われたユダヤの一族もそちら経由で土地の民と交わりながら最終的に日本にやってきたのではないかとも推測します。

古代の中国統一をなした秦、古代朝鮮半島の辰国とかも秦一族の国なのかも、その名残は新羅に受け継がれ、大陸を超え日本まで?と考えてしまいました。全く空想です。



紀元前の朝鮮半島


福岡県の八女あたりに暮らしていた阿曇族が信州に移住したのは、磐井の乱後に、生き延びるためだとすると、


大和朝廷の力が強くなればなるほど、磐井の乱で味方した一族は、徹底的に排除されたり、鬼と呼ばれ、差別されたのではないか。また、一族はクズ(国栖)、土蜘蛛、八束脛などの蔑称をつけられたのではないかと。


磐井の君の息子は葛子(クズコ)といいます。クズコを九頭子と書いているものがあり、海人の阿曇族だけに、九頭竜神とかにも関係あるのかなと思いました。

長野の戸隠神社の山の頂上には土着の九頭竜神が祀られていましたし、また、安曇野にあります穂高神社の奧宮の明神池は龍の船を出す神事があります。



穂高神社奧宮 ホームページより


明神(ミョウジン)は名神(ミョウジン)、名方の神とすると、タケミナカタ神と繋がります。


九州には鬼八伝説が至るところに残ります。鬼八の八に関係があるのか、九州王朝の磐井は、九州では八女大王ともいわれていました。


長野の安曇野には、魏石鬼八面大王と呼ばれた大王の話があるようです。アニメでは、磐井の周りには石工が沢山いましたし、それらの技術は新羅や中国からもたらされたとあります。




また、阿曇族の守る志賀海神事をする志賀島は、魏から送られた奴国(コク)王の金印がみつかっています。名国、名の王、名方、、と倭の南の方にいたナコク王は、南方。タケは勇者なら、タケミナカタ神かな。大分の山奥、久住山や祖母山はタケオ神を祀ります。


安曇野で鬼と呼ばれたのはだれか?伝承では磐井の君は豊前の山奥(大分県)に逃げたとありますので、磐井の君ではなく、息子の葛子が安曇野に一族と共に新天地を求めたのかもしれません。大国主命の息子、タケミナカタは、阿曇族の長の隠喩かもです。九州と安曇野や信濃には同じような言霊や習慣、また地名が残ります。


鬼は悪さをしたのでは無く長野ではウェルカムで受け入れられていた話があったりします。


海人族がなぜ信濃の山奥に?と思いますが、諏訪の地は太古は海だったと言われています。

穂高神社の奥宮にいく道を歩いたのですが、砂浜の様な場所があり、海沿いを歩く感覚に一瞬なりました。


日本海を海人が行き来していたのは、九州を旅して、現地ガイドに聞きました。また、古墳の副葬品に新潟の糸魚川の翡翠が出土されていることからも伺え、また、越国の白山あたりはシラヤマ、シラは磯良ともいうので、安曇磯良とのルーツに遠からず繋がりがあるのかもなと思いました。



これらは、空想ですので、真偽不明です。ただのワカメおばさんの空想物語として捉えていただきたいです。


懲りずに、まだまだ続きます。😅


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「神仏について」カテゴリーもっと見る