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大善人へ身魂磨き

木と気

風の時代が来たとか言われていますが、風の時代って何だろうと思います。


軽いそよ風なんかをイメージするだけではなく、風からは色んなイメージが浮かびます。海風、山風、つむじ風、台風。自分に吹く風も、向かい風、追い風もあります。自分の気を、揺るぎないものにしないと、周りの景色により自分がピューと飛ばされてしまいそうな時もあり、やっと立っていたときもありました。


木は、気と同じ響きがあります。木は天に向かって立ち、天に向かって伸びようとします。

二足歩行をして真っ直ぐ天に向かって立つのはヒトだけです。


木が森の中でザワザワするときは必ず風が吹いていて、人もザワザワ胸がする時、気が騒ぐとか、気がきでないとか、気が落ち着かないとか言います。


森の中で木々の間を吹く風は心地よかったりもしますが、時に強い風は木々をなぎ倒したりします。私たちが持つ「気」も、荒れると自らを倒してしまうかもしれません。


人間の引き起こす自然破壊は地球にダメージを与えていると言われます。例えば、山火事には、自然発火によるものが一定数あるようです。

自然に火が発生するのは自浄作用なのか、自然の脅威に驚きます。


落雷が自然発火の主要な原因のようですが、非常に稀なケースに、強風による乾燥した樹木の幹同士の摩擦による発火も報告されているようです。乾燥と熱波の影響が燃焼を促進させたりします。


ヒトも、自らの「気」を荒れ狂わせてしまうことがあります。怒りや嫉妬なんかは最たるもの。また、自己否定も自分を痛めつけ気を乱す気がします。


本当の自分は、やめてくれ〜と叫んでいるのに、気が心に荒い風を起こし、身体のあらゆる所で摩擦をおこし、着火すると病を引き起こし、ジブン(球の一部)を焼き尽くす可能性がある気がします。


気が潤い(水)に充された状態ではなく、乾き乱れた状態になると、気がザワザワ騒ぎ、心の風が強まり、次第に荒れ狂い、気がおかしくなり、ひどい場合は、落雷が落ちたかのように発火して破滅的な状態になったり、自らを焼き尽くすような恐ろしい状態も有り得るのではないかと、、、考えます。


気の病は、本当に悲しいですから、そうならないように、行きすぎた喜怒哀楽から自分の気を大切に守りたいです。特に辛い時さえ、自分の「気」持ちを傷つけ過ぎない。

気は、自分を活かしもすれば、破滅的な状態も生み出す可能があると肝に銘じます。木を表す肝臓は5行では風と関係が深いようです。


肝臓は物言わぬ臓器。木官神は肝臓の神様で、忍耐強く人の生み出す気に耐えながら黙々とお働きになってくださっているのではないかなぁと思います。

風の時代、その神様を責任を持ってお守りするのは、身体の器を託されたその人自身にかかっていると思います。


気をつけてね、気を確かにもってね、気が優しい、気もち良い、気が○○、、良い意味でも気は使われるのですが、


気がかわる、から始まり、病は気から、薄気味悪い、気持ち悪い、気がない、気が気でない、気が変、気が乱れる、気が××、、色んな気に関する表現を、日常に言葉として使っています。


全て気の持ちよう。


気は、見えないけれど穏やかで静かな状態で有りたいなと思います。良い気は、無風で、あることを気づかせない感じではないかと思ったりします。


気を大切にする、ざわざわした日常を一旦リセットするように、無風な状態を大切にすることを、ただ静かに少しの時間日々坐を続けることで行います。


自然の木に学び、自らの気を大切にすることを、木の神様の宿る肝に銘じたいなと思います。😌



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