仙台大変です
事務所内のロッカー倒れて危ない
会社から避難して自家用車内から
この一文をメールで記事にしました
手が震えてたのを今も覚えています
もっと長く状況など書きたかったんですが、
そんな事よりも家族・会社の方と連絡を取るのを優先しました
(結局誰とも連絡取れませんでしたが…)
今更ながら当時を思い出しながら記憶に留める為に
何回かに分けて書きたいと思います
大地震発生当時は私は会社に居ました
支店内の灯油が無くなったので、灯油の配達を頼んでいて
ちょうどその配達の最中でした
本社と電話で話していた時、地震発生です
最初はそんなに大きくなるとは思いませんでした
揺れ出して2秒ほどで携帯電話の【緊急地震情報】が来ました
その音を聞き、大きいのが来るのが分かったので
灯油配達の方に「地震大きいのが来る!」って
叫びました
その後大きく、激しく揺れだし…
灯油配達の方は立っていられないほどの揺れでした
「何かにつかまって~」声を掛けながら、
私は自分のPCと同僚のPCのモニターを押さえてました
支店事務所内の壁が崩れ、神棚などが落ち、
ロッカーが動き、事務所内は足の踏み場も無いほどでした
揺れが収まったので、とりあえず避難しようとしましたが
駐車場へのドアが開きませんでした
このままでは閉じ込められるので
非常階段から逃げようと
事務所の隣りの給湯室へ行こうとしましたが、
書棚(ロッカー)が大幅に動いていてドアの前にあり
ドアが10センチしか開きません…
ドアを力の限り押しのけてなんとか20センチほどこじ開け
非常階段から1階へ脱出しました
その後何回の余震があり、ややしばらくしてから
もう一度事務所内へ戻り、私物を取って自家用車に乗り
(事務所・駐車場も共に3階です)
ゆっくりと1階へ降り、安全な場所に避難しました
そして、ブログに記事を投稿しました
間もなく会社の方に会えたので、私は自宅に戻りながら
ようやく主人と連絡取れました
地震発生から1時間経過してました
地震発生当時主人は現場打ち合わせに向かう為、
自宅を出て、エレベーターに乗って間もなくだったようです
(ここからは主人から聞いた当時の状況です)
すぐにエレベーターが止まったので、階段で自宅に駆け上がり
我が家の大きな水槽とテレビを押さえました
ですが、さすが6階!
揺れは半端なくて押さえていられなくなり
(縦揺れだったので水槽台ごと上下に動いていたようです)
水槽とテレビは諦めて、廊下から手の届くもう一つの水槽を押さえてました
主人の目の前でテレビが落ち、パソコン台が倒れて水草水槽を直撃し
ウパ水槽が後方へ傾いて止まりました
「もう無理だ!」と思って、
在宅介護中のおばあちゃんの部屋へ
真直ぐに廊下を歩けなくて
転びながらおばあちゃんの部屋を開けると
介護用ベッドが大きく動いていておばあちゃんの足にテレビが落ちてたようです
すぐにテレビをどけて、おばあちゃんを守りました
おばあちゃん用の冷蔵庫が倒れました
揺れが落ち着いたので、背負って避難しようと外を見ると
雪が降り出していて、少し吹雪いていました
“この中では風邪引いてしまう”
“自宅にいるしかない!”
そう覚悟を決めて、電気だけ止まってるのを
確認し、すぐにお風呂に水を溜め始めました
余震続く中、ようやく私と連絡が取れました
主人と話して、自宅が停電になったこと
水とガスが出てることを知り、食料を確保しに
自宅に戻る前に近くのヨークタウンに向かいました
駐車場入口でカラーコーンで入口をふさぎながら
従業員が頭を下げてました
“危ないから入れない気か?”と思いながら
すぐに近くのコンビニへ行きました
真っ暗なコンビニに中はすごい人でした
足元にはビン入りジュースが割れてて
ビシャビシャでした
お弁当類は全部売り切れてて
とりあえずパン数種と飲み物など
すでにカゴは無かったので
持てるだけ買って帰りました
リビングは水槽の水が床に溢れてました
テレビも落ちてて、蛍光灯も割れてて
とても居れるような状態ではなかったので
おばあちゃんの部屋へ行きました
ようやく主人とおばあちゃんに会えました
地震発生から1時間半経過です
大地震発生の時、中学生の息子は学校に迎えに行かなくてはなりません
おばあちゃんを主人に託し、息子を迎えに自家用車で行きました
コンビニへ走る人、幼いわが子を抱えて避難所へ急ぐ人
様々でした
中学校は近所の避難所にもなってる為、
多くの人がいました
先生から息子を引き受け
陥没している道路を避けつつ
自宅に戻りました
3月11日午後5時半ごろです
夕食にコンビニで買ったものと前日のカレーを温めて食べました
夕方のヘルパーさんは来ませんでした
余震は大小合わせて頻繁にあり
常に揺れてました
徐々に暗くなり、余震で危ないので私と息子だけでも
避難所へ行ったほうがいいと主人が言いました
私の住んでる地域の避難所は近くの小学校ですが…
すごく古いので、どんな感じの避難生活か
なんとなく予想がつくので
余震が多くても自宅に居たほうがいいと話しました
懐中電灯片手になんとかベッドを整えて
3人で寝ました
事務所内のロッカー倒れて危ない
会社から避難して自家用車内から
この一文をメールで記事にしました
手が震えてたのを今も覚えています
もっと長く状況など書きたかったんですが、
そんな事よりも家族・会社の方と連絡を取るのを優先しました
(結局誰とも連絡取れませんでしたが…)
今更ながら当時を思い出しながら記憶に留める為に
何回かに分けて書きたいと思います
大地震発生当時は私は会社に居ました
支店内の灯油が無くなったので、灯油の配達を頼んでいて
ちょうどその配達の最中でした
本社と電話で話していた時、地震発生です
最初はそんなに大きくなるとは思いませんでした
揺れ出して2秒ほどで携帯電話の【緊急地震情報】が来ました
その音を聞き、大きいのが来るのが分かったので
灯油配達の方に「地震大きいのが来る!」って
叫びました
その後大きく、激しく揺れだし…
灯油配達の方は立っていられないほどの揺れでした
「何かにつかまって~」声を掛けながら、
私は自分のPCと同僚のPCのモニターを押さえてました
支店事務所内の壁が崩れ、神棚などが落ち、
ロッカーが動き、事務所内は足の踏み場も無いほどでした
揺れが収まったので、とりあえず避難しようとしましたが
駐車場へのドアが開きませんでした
このままでは閉じ込められるので
非常階段から逃げようと
事務所の隣りの給湯室へ行こうとしましたが、
書棚(ロッカー)が大幅に動いていてドアの前にあり
ドアが10センチしか開きません…
ドアを力の限り押しのけてなんとか20センチほどこじ開け
非常階段から1階へ脱出しました
その後何回の余震があり、ややしばらくしてから
もう一度事務所内へ戻り、私物を取って自家用車に乗り
(事務所・駐車場も共に3階です)
ゆっくりと1階へ降り、安全な場所に避難しました
そして、ブログに記事を投稿しました
間もなく会社の方に会えたので、私は自宅に戻りながら
ようやく主人と連絡取れました
地震発生から1時間経過してました
地震発生当時主人は現場打ち合わせに向かう為、
自宅を出て、エレベーターに乗って間もなくだったようです
(ここからは主人から聞いた当時の状況です)
すぐにエレベーターが止まったので、階段で自宅に駆け上がり
我が家の大きな水槽とテレビを押さえました
ですが、さすが6階!
揺れは半端なくて押さえていられなくなり
(縦揺れだったので水槽台ごと上下に動いていたようです)
水槽とテレビは諦めて、廊下から手の届くもう一つの水槽を押さえてました
主人の目の前でテレビが落ち、パソコン台が倒れて水草水槽を直撃し
ウパ水槽が後方へ傾いて止まりました
「もう無理だ!」と思って、
在宅介護中のおばあちゃんの部屋へ
真直ぐに廊下を歩けなくて
転びながらおばあちゃんの部屋を開けると
介護用ベッドが大きく動いていておばあちゃんの足にテレビが落ちてたようです
すぐにテレビをどけて、おばあちゃんを守りました
おばあちゃん用の冷蔵庫が倒れました
揺れが落ち着いたので、背負って避難しようと外を見ると
雪が降り出していて、少し吹雪いていました
“この中では風邪引いてしまう”
“自宅にいるしかない!”
そう覚悟を決めて、電気だけ止まってるのを
確認し、すぐにお風呂に水を溜め始めました
余震続く中、ようやく私と連絡が取れました
主人と話して、自宅が停電になったこと
水とガスが出てることを知り、食料を確保しに
自宅に戻る前に近くのヨークタウンに向かいました
駐車場入口でカラーコーンで入口をふさぎながら
従業員が頭を下げてました
“危ないから入れない気か?”と思いながら
すぐに近くのコンビニへ行きました
真っ暗なコンビニに中はすごい人でした
足元にはビン入りジュースが割れてて
ビシャビシャでした
お弁当類は全部売り切れてて
とりあえずパン数種と飲み物など
すでにカゴは無かったので
持てるだけ買って帰りました
リビングは水槽の水が床に溢れてました
テレビも落ちてて、蛍光灯も割れてて
とても居れるような状態ではなかったので
おばあちゃんの部屋へ行きました
ようやく主人とおばあちゃんに会えました
地震発生から1時間半経過です
大地震発生の時、中学生の息子は学校に迎えに行かなくてはなりません
おばあちゃんを主人に託し、息子を迎えに自家用車で行きました
コンビニへ走る人、幼いわが子を抱えて避難所へ急ぐ人
様々でした
中学校は近所の避難所にもなってる為、
多くの人がいました
先生から息子を引き受け
陥没している道路を避けつつ
自宅に戻りました
3月11日午後5時半ごろです
夕食にコンビニで買ったものと前日のカレーを温めて食べました
夕方のヘルパーさんは来ませんでした
余震は大小合わせて頻繁にあり
常に揺れてました
徐々に暗くなり、余震で危ないので私と息子だけでも
避難所へ行ったほうがいいと主人が言いました
私の住んでる地域の避難所は近くの小学校ですが…
すごく古いので、どんな感じの避難生活か
なんとなく予想がつくので
余震が多くても自宅に居たほうがいいと話しました
懐中電灯片手になんとかベッドを整えて
3人で寝ました
そうなんです!
携帯電話からすごい大きな音が聞こえてくるんです
あれで大地震になる事が分かります
家族全員ケガ一つしませんでした
無事でほんとに良かったです
kさんへ
体験しないと分からない…ほんとにそう思います
でもこんな体験はもうしたく無いです(TT)
家族全員無事でほんとに良かったです
ディオさんへ
当時は回りの人の事を考えてる余裕は無かったですね
案外冷静に自分の事だけは出来るもんですよ
津波被害にあわれた方々の健康と
食料などの支援が早く届くことを
切に願っています
そう言えば、水道とガスって直後は通ってたね
なぜか午後8時頃から両方止まったんだな
水の勢いが弱くてやばいな~と思って風呂に溜めたんだった
ばあさんのベットの足元に乗っかっていたTVは、古いブラウン管32型で85キロありベットより15㎝位低い位置にあった物です
ジャンプしたんでしょうね・・・
家具の引き出しは上下で留めているダボ穴から抜けて落下していたので、上下に激しく動いたとしか思えません
300キロある水槽とTV台が紙相撲のトントン動きで自分に迫って、蛍光灯が落ちて頭に当った時は死ぬかと思いました・・・
今思えば自分も一緒に動くから、ちっとも押さえにならないんですよね(バカの知恵は後から湧く)
そう言う時ってあ~とか、ひゃ~とか声も出ません
全ての家具、TVには地震用ゲルマットや壁下地へビス留め等の地震に対する処置はしてましたが、何の効果もありませんでした・・
まだ手付かずの部屋の本棚は壁に刺さったままです
水と電気は復旧してかなり楽になりましたが
未だにどこから手を付けて片付けるのか、あまりに多すぎて考えるのも嫌だ~
今書いてるうちにも余震が来てます
外は雪が激しくなって来ました
津波に襲われた地域の方の健康が心配です
実際にはオイラの想像の3倍増しぐらいの状況なのだと思います。
自分が果たしてパニックを起さずに冷静に対処できるかなど、改めて考えるととても参考になる記事でした。
自然の恐ろしさが伝わってきます
家族全員が無事で何よりです。
今日テレビでも池上さん言ってましたが新しい?携帯には緊急地震情報が来るのですね
ほんの数秒でも早く地震感知出来るのは大きいですね。
この『恐怖』実際に経験した人でないとわからない事ですね・・・