慧日寺と恵日寺 史跡学習【2-1】
第2回は猪苗代・裏磐梯方面地域の歴史・史跡などの現地学習・・・
まず、慧日寺と恵日寺・・・
慧日寺(えにちじ)と恵日寺(えにちじ)
磐梯山 慧日寺は平安時代初め、807年(大同2年)に法相宗の僧・徳一の開基と伝えられる。
徳一はもともとは南都(奈良)の学僧であったが、布教活動のため随員70余名
(僧侶、仏師、大工等)を帯同し会津へ下り、
勝常寺や円蔵寺(柳津虚空蔵尊)を建立し、会津地方に仏教文化を広めていた。
また、徳一は会津の地から当時の新興仏教勢力であった天台宗の最澄と
「三一権実論争」とよばれる大論争を繰り広げたり、
真言宗の空海に「真言宗未決文」を送るなどをしていた。
徳一は842年(承和9年)に死去と伝えられている・・・
この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3,800を数えるほどの隆盛を誇っていたといわれ
会津は もちろん、東北一円まで影響を与えるほどだったという。
その繁栄ぶりは永正8年(1511年)銘のある絹本著色《恵日寺絵図》の伽藍配置や遺物などから知られるが、
1589年(天正17)伊達政宗の会津侵攻によって炎上、
その後再建されたものの、明治2年の神仏分離令で廃寺に。
大正2年(1913年)恵日寺として再建されたという。
本堂でご住職のお話をお聞きし、絹本著色恵日寺絵図の複製品を見ながら栄えたころを想像し
金堂や徳一廟の案内をしていただきました。
薬師堂、仁王門、乗丹坊墓、如蔵尼墓など見学しながらの現地学習・・・実り多い一日でした。
恵日寺の寺宝
白銅三鈷杵(はくどうさんこしょ、工芸品) 現在は県立博物館に保管されている。
奈良時代の作で、1959年(昭和34年)に国の重要文化財(工芸品)に指定されている。
絹本著色恵日寺絵図(国重要美術品指定) 現在県立博物館にて保管されている。
背面に永正8年(1511年)に高野山で修復の銘がある。
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。
再建された慧日寺金堂と中門・・・
慧日寺散策マップ・・・
恵日寺山門・本堂・・・