あぁー久し振り。ヨウジです。
別に何かあった訳ではないんですが、約8ヶ月振りの投稿にて候。
今日はパークスでラジオ出演-パークスでライブ-20日に向けての練習と充実した日々であった。日々であった。日々であった。もとい、一日であった。
で、パークスと練習の間に、ヒデ氏、藤原君と晩御飯を食べたのだが、今日はその店と俺の物語をお届けしようと思う。
「中屋」
そこは我が故郷と呼ぶべき中華料理屋。俺の愛すべき中華料理ショップ。
人生で何かにつまずく時、必ずその店の大将を思い出す。
あの人ならどうするか…なんと言うか…
そしてそれなりの決意を胸に日々Aと言う選択肢とBと言う選択肢での選択を行う。
家の近所と言えば近所なのだが、毎日の出来事に追われ、行く機会は年と共に減って行ったここ数年。
我が西田家では日曜日によく家族4人で中屋に行ったもんだ。
店内にはおよそ幼少期の子供を出迎える姿勢は微塵も無く、壁中に張り巡らされたプレイボーイの表紙よろしくの裸の外人のネーちゃんのポスター。
ラジオからはプロ野球ナイター中継。
店の出入りは表門からでは無く裏の駐車場から。。。
店内に入ると床は油でヌルヌル、良くすべる、すべる。
思えば俺のギャグの滑り方はあの床に帰するものなのではないだろうか。
そこで晩飯を食べた後、皆で本屋さんに行き、本を買うのが西田家のしきたりであり、西田少年のささやかな楽しみであったのだ。
大将はパンチパーマに黒ぶち目がね。素肌に割烹着。
価格は今にしても安い方ではなく、割りにいい値段がするのだが、大将の気合料金が含まれていると、幼心にも察する事は出来た。
地元のヤンキーの兄ちゃんの更生所としても利用され、アルバイトの兄貴達は皆完全に暴走族風であるも、一様に規律は守られているようであった。
生駒市における「戸塚ヨットスクール」「川浜高校ラグビー部」的聖地の面持ちである。
目の前にボロイアパートがあり、そこも大将の管轄で、住人は80年代にしては珍しい全身刺青のヘビーメタル風なお兄さん達がメインであった。
80年代半ばには目の前にちょっと洒落た中華料理屋がオープン。
中屋危機説が俺達ファンの中で囁かれるも、駐車場側の看板を新装。
尋常じゃないくらいデカい、黄色と赤のそれは清閑な町「生駒市」にふさわしくない品の無さで、俺達一部の熱狂的ファンの心を更にワシ掴みにした。
学生時代、近所の散髪屋でアルバイトをしていた俺は、昼飯はいつも中屋の出前だった。
出前と言っても、持って来てくれないのがこの店の類無き個性であった。
「15分位したら取りに来い」といったスタイルだ。
バイトが終わるとその店のマスターとたまに中屋に出掛ける。
大将は日本酒をあおりながら、中華鍋を素肌に割烹着と言うスタイルでガチャガチャやっていた。
俺「焼き飯」
大将「もう味は保証せぇへんぞ」
とボソッとつぶやくと、素手で鍋の中に手を突っ込み味見をして床に吐き捨てる。。
思えばあの姿にロックンロールを見た気がする。
自分勝手でマイペース、しかしそこにその人が触れるものへの優しさが滲み出ているのだ。
当時俺は心やすい友達が出来たら、いつも中屋に連行したものだ。
それから幾年の月日が経ち、目の前を走る国道の整備問題に巻きこまれる俺達の中屋。
ロックの聖地も政治的圧力の前にもはやこれまでか。。。
とファンの誰もが中屋移転を確信すると言う事件が起きた。
しかし、中屋は今日もそこにあった。
店の前の国道はいびつに湾曲している。
正直そこだけ走りにくい!初心者は事故るぞ!的な…
俺達のヒーロー中屋の大将はここでも自らの意志を貫いたのだろうと、俺達はほくそえんだ。
人には銭金で譲れない大事なものがあるんぜってなもんさ。
我等ASBは本日その中屋の常連用の奥座敷にて夕食。
20日のGRPに向けての入念な打ち合わせ…と行きたかったが、何故かプロ野球トレード史の光と影について熱弁。「黒い霧事件」についてはそれに関する書籍を各自読んでレポートを提出する事で合意の上、歓談終了。
なんのこっちゃ。。。
お会計の時。
4、5年振りの来店、しかも奥座敷で食した俺は、あまりに久し振りでややこっぱずかしく、
「帽子も被ってるし覚えてへんやろな、、」
とそそくさと店を出ようとしたが
大将「久し振りやなー。」
俺「またきますわー。」
大将「おう。」
と相変わらずのパンチに黒ぶち目がね、素肌に割烹着スタイルで、昔と変わらぬ強面がたまに見せる満面の笑みで見送ってくれた。
泣きそうになったぜ。
大将、俺もよぉ、ここ数年苦労が絶えなくてよぉ、でもってまだ相変わらずロックバンドやっててよぉ、なんて話し込みたくもなったがここはこらえて満面の笑みでお別れ。
近くの道路は整備され、周りにはお洒落なお店が建ち並ぶ、街も人も変わっちまった。
でもって相変わらずの店と俺達の日々。。。
変わらないものも大事だよな、などと感じた今宵。
心臓の鼓動は8ビート。ロックのリズムと一緒だぜ。
今も昔もな。
ロックの聖地、中屋帰りの俺達ASBが20日にリリースパーティーを行う。
気合料金片手に20日は鰻谷サンスイへお越しアレ。楽しみに待ってますぜ!!
PS.中屋は近鉄・東生駒駅下車、国道168号線を南へ徒歩5分。
入り口はありますが裏から入って下さい(笑)
どうしても一人で行く勇気の無い人はこちらまでご一報あれ。
別に何かあった訳ではないんですが、約8ヶ月振りの投稿にて候。
今日はパークスでラジオ出演-パークスでライブ-20日に向けての練習と充実した日々であった。日々であった。日々であった。もとい、一日であった。
で、パークスと練習の間に、ヒデ氏、藤原君と晩御飯を食べたのだが、今日はその店と俺の物語をお届けしようと思う。
「中屋」
そこは我が故郷と呼ぶべき中華料理屋。俺の愛すべき中華料理ショップ。
人生で何かにつまずく時、必ずその店の大将を思い出す。
あの人ならどうするか…なんと言うか…
そしてそれなりの決意を胸に日々Aと言う選択肢とBと言う選択肢での選択を行う。
家の近所と言えば近所なのだが、毎日の出来事に追われ、行く機会は年と共に減って行ったここ数年。
我が西田家では日曜日によく家族4人で中屋に行ったもんだ。
店内にはおよそ幼少期の子供を出迎える姿勢は微塵も無く、壁中に張り巡らされたプレイボーイの表紙よろしくの裸の外人のネーちゃんのポスター。
ラジオからはプロ野球ナイター中継。
店の出入りは表門からでは無く裏の駐車場から。。。
店内に入ると床は油でヌルヌル、良くすべる、すべる。
思えば俺のギャグの滑り方はあの床に帰するものなのではないだろうか。
そこで晩飯を食べた後、皆で本屋さんに行き、本を買うのが西田家のしきたりであり、西田少年のささやかな楽しみであったのだ。
大将はパンチパーマに黒ぶち目がね。素肌に割烹着。
価格は今にしても安い方ではなく、割りにいい値段がするのだが、大将の気合料金が含まれていると、幼心にも察する事は出来た。
地元のヤンキーの兄ちゃんの更生所としても利用され、アルバイトの兄貴達は皆完全に暴走族風であるも、一様に規律は守られているようであった。
生駒市における「戸塚ヨットスクール」「川浜高校ラグビー部」的聖地の面持ちである。
目の前にボロイアパートがあり、そこも大将の管轄で、住人は80年代にしては珍しい全身刺青のヘビーメタル風なお兄さん達がメインであった。
80年代半ばには目の前にちょっと洒落た中華料理屋がオープン。
中屋危機説が俺達ファンの中で囁かれるも、駐車場側の看板を新装。
尋常じゃないくらいデカい、黄色と赤のそれは清閑な町「生駒市」にふさわしくない品の無さで、俺達一部の熱狂的ファンの心を更にワシ掴みにした。
学生時代、近所の散髪屋でアルバイトをしていた俺は、昼飯はいつも中屋の出前だった。
出前と言っても、持って来てくれないのがこの店の類無き個性であった。
「15分位したら取りに来い」といったスタイルだ。
バイトが終わるとその店のマスターとたまに中屋に出掛ける。
大将は日本酒をあおりながら、中華鍋を素肌に割烹着と言うスタイルでガチャガチャやっていた。
俺「焼き飯」
大将「もう味は保証せぇへんぞ」
とボソッとつぶやくと、素手で鍋の中に手を突っ込み味見をして床に吐き捨てる。。
思えばあの姿にロックンロールを見た気がする。
自分勝手でマイペース、しかしそこにその人が触れるものへの優しさが滲み出ているのだ。
当時俺は心やすい友達が出来たら、いつも中屋に連行したものだ。
それから幾年の月日が経ち、目の前を走る国道の整備問題に巻きこまれる俺達の中屋。
ロックの聖地も政治的圧力の前にもはやこれまでか。。。
とファンの誰もが中屋移転を確信すると言う事件が起きた。
しかし、中屋は今日もそこにあった。
店の前の国道はいびつに湾曲している。
正直そこだけ走りにくい!初心者は事故るぞ!的な…
俺達のヒーロー中屋の大将はここでも自らの意志を貫いたのだろうと、俺達はほくそえんだ。
人には銭金で譲れない大事なものがあるんぜってなもんさ。
我等ASBは本日その中屋の常連用の奥座敷にて夕食。
20日のGRPに向けての入念な打ち合わせ…と行きたかったが、何故かプロ野球トレード史の光と影について熱弁。「黒い霧事件」についてはそれに関する書籍を各自読んでレポートを提出する事で合意の上、歓談終了。
なんのこっちゃ。。。
お会計の時。
4、5年振りの来店、しかも奥座敷で食した俺は、あまりに久し振りでややこっぱずかしく、
「帽子も被ってるし覚えてへんやろな、、」
とそそくさと店を出ようとしたが
大将「久し振りやなー。」
俺「またきますわー。」
大将「おう。」
と相変わらずのパンチに黒ぶち目がね、素肌に割烹着スタイルで、昔と変わらぬ強面がたまに見せる満面の笑みで見送ってくれた。
泣きそうになったぜ。
大将、俺もよぉ、ここ数年苦労が絶えなくてよぉ、でもってまだ相変わらずロックバンドやっててよぉ、なんて話し込みたくもなったがここはこらえて満面の笑みでお別れ。
近くの道路は整備され、周りにはお洒落なお店が建ち並ぶ、街も人も変わっちまった。
でもって相変わらずの店と俺達の日々。。。
変わらないものも大事だよな、などと感じた今宵。
心臓の鼓動は8ビート。ロックのリズムと一緒だぜ。
今も昔もな。
ロックの聖地、中屋帰りの俺達ASBが20日にリリースパーティーを行う。
気合料金片手に20日は鰻谷サンスイへお越しアレ。楽しみに待ってますぜ!!
PS.中屋は近鉄・東生駒駅下車、国道168号線を南へ徒歩5分。
入り口はありますが裏から入って下さい(笑)
どうしても一人で行く勇気の無い人はこちらまでご一報あれ。
>そこで晩飯を食べた後、皆で本屋さんに行き、本を買うのが西田家のしきたりであり、西田少年のささやかな楽しみであったのだ。
このくだりがジンと来ました。
昼からビールをあおった記憶が。。
そして、ありえん量のランチ。。
ロックだな。