山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

夕まぐれ木茂き庭を‥‥

2005-11-14 17:50:42 | 文化・芸術
041219-016-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

蝦夷や入鹿の邸宅跡か
 古代のクーデターともいえる大化の改新で中大兄皇子や中臣鎌足に殺された蘇我入鹿やその父蝦夷の邸宅跡の一部と推定される遺跡が、日本書紀の記述どおり、明日香村の甘樫丘東麓遺跡で発見されたと大きく報じられている。正史に登場する蝦夷や入鹿はとかく逆臣・逆賊のイメージが強いが、今後の詳細な発掘調査で彼らの像は別の角度から照射されてくる可能性もあるだろう。明後16日には現地見学会が催されるという。そういえば、先日久し振りにお会いした小学校の恩師は、古代遺跡などにも関心深く、こういった報道記事をずいぶん几帳面にファイルされていたし、現地見学会にもよく足を運ばれていると聞いたが、ひょっとすると明後日は現地見学会に行かれるかもしれないな、とふと脳裡をかすめる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-32>

 夕まぐれ木茂き庭をながめつつ木の葉とともに落つる涙か
                                 藤原義孝


詞花集、雑。詞書に、一条摂政身まかりにける頃詠める。平安期中葉十世紀後半の人。父の一条摂政藤原伊尹(これただ)は天禄三(972)年48歳で薨去、時に義孝18歳。邦雄曰く、初冬、もはや木の葉も落ち盡くす頃、結句の「涙か」には、微かな憤りを交えた悲哀が感じられる。彼自身も後を追うようにこの二年後夭折、王朝屈指の早世の歌人、と。小倉百人一首の「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」も彼の歌。

 天離(あまざか)る鄙(ひな)にも月は照れれども妹そ遠くは別れ来にける
                                 作者不詳


万葉集、巻十五。対馬の浅茅の浦にあって順風を待ち、五日停泊した時の歌として三首あり、時雨の歌、都の紅葉を偲ぶ歌の間に、この月明りの相聞は置かれている。邦雄曰く、心余って足りぬ言葉が、月並みな表現に止まらせているが、それがかえって歌の原型、初心の素朴さを味あわせてくれる、と。

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