山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

とけのこる石間の春の朝氷‥‥

2006-02-07 11:45:58 | 文化・芸術
051129-108-1
Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 合縁奇縁なりや

 昨夕は、石田博個展のOpeningPartyにと出かける。
ひさしぶりに覗いたマサゴ画廊は、アレ、こんなに細長く狭い空間だったかと、感を狂わせられた。それほどに、壁面には絵画、テーブルには陶器が、ところ狭しと居並んでいた。
富山県久利須のスミヤキスト美谷君の幼馴染みのU君と一瞥以来の再会。神戸・原田の森ギャラリーでのパフォーマンス以来だったからちょうど二年ぶりか。あらためて石田君から引き合わせて貰わなければお互い気がつかなかった。席上、そのU君から紹介された建築士のI氏なる御仁、維新派の昔話が出るに及んで話題は空中戦のごとく飛び交う。勢いあまって、U君とI氏と三人で氷雨そぼ降る梅田界隈へと繰り出して呑み会となってしまった。
これも合縁奇縁というものか。それにしても人というものは我知らず見えない糸でつながっているものだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-3>
 さやかなる日影も消たず春冴えてこまかに薄き庭の淡雪  正徹

草根集、二、永享二年正月二日の朝。
淡雪の積りようを「こまかに薄き」とねんごろに表現したのが見どころ。水墨の密画を見るような冷え侘びた景色だ。正徹は15世紀前半の傑出した歌人だが、二十一代集最後の新続古今集には、嫌われて一首も採られていない。だが、家集「草根集」には定家を憧憬してやまない詩魂と歌才が、ただならふ光を放っている、と。


 とけのこる石間の春の朝氷かげ見し水の月かあらぬか  貞常親王

後大通院殿御詠、春冰。
応永32年(1425)-文明6年(1474)、後崇光院の二男、後花園院の同母弟、後大通院は号、和歌を堯孝・飛鳥井雅世・雅親に学ぶ。
邦雄曰く、幻覚の朝氷。春まだ寒い寝覚めに見るあの鋭い光は、あるいは昨夜水に映っていた月ではないのか。「かげ見し水の月」で記憶を一瞬に照らし出す技量は見事。飛鳥井雅世に学んで出藍の誉れ高く、御詠は700余首残る、と。


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