山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

朝月夜双六うちの旅ねして

2008-03-13 21:07:48 | 文化・芸術
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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-11

   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊   

  朝月夜双六うちの旅ねして   杜国

朝月夜-あさづくよ-

次男曰く、「つゆ萩の」以下秋三句、「燈籠ふたつになさけくらぶる」を雑の作りと読んでよい所以だが、それとも、表の春四句に合せて秋四句としたか。これは連衆に直に聞いてみるしかないことだ。

二度目の月の定座を-初裏八句目-を上げたのも、表の扱い-五句目から発句へ-に合せたと見られようが、先に他季-冬-の月を取り出している以上秋月とするしかなく、ならばその座もここを措いて他にない。霽の月に続いてもう一つの月を杜国に詠ませたのは、計算された連衆の譲り合いだったようだ。五吟歌仙の巡については改めて説く。

朝月夜は夕月夜の対、朝月に同じである。ここは月の残っている明方の意だ。信楽郷の茶栽培の歴史は古く、慶長検地帳にも朝宮の茶園が記されているが、とりわけ茶陶の特産地としてよく知られている。又この地は奈良・平安初、阿星山を中心に盛時三千坊を数えたと云われる寺院址があり、「信楽の外山」が歌枕になったのもそのことと無縁ではない。問屋や仲買人、窯ぐれと呼ばれる窯場の渡職人などの出入は頻繁だったに相違なく、なかには博徒の類も混じっていたろうが、「双六うち」直ちに博打打と云うわけにはゆかぬ。

信楽は茶陶のほかあらゆる日用雑器も焼き、北国・西国まで急速に市塲を拡げたが、備前などと違って江戸末に到るまで多くは農家の副業だった。いきおい、他国者の窯ぐれに頼る度合も大きかった。「双六うち」実は窯ぐれ、と読んでおいても大過あるまい。

寺とは名ばかりとはいえ、もとは由緒ある寺坊に双六打が泊まる、空には残月、という取合せには無常迅速の匂がある、と。


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