山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

酌とる童蘭切にいで

2008-11-04 14:40:19 | 文化・芸術
Nitigetusansui

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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」


―表象の森― 日月山水図を観る

天野山金剛寺に伝わる作者不詳の名品「日月山水屏風図」

5月5日と昨日-11月3日-の二日のみ特別公開されるというこの名画を拝すべく、昼前からKAORUKOを連れて出かけた。途上、泉北に住んでいたころはよく通った河内長野へと抜けるコースに入ると懐かしい記憶がさまざま甦ってくるが、バイパスが出来ていたりで様変わりしているのには驚かされもした。

行基が開基し、空海が修行したと伝える古刹だが、天野山西北の山裾に位置し、川とは名ばかりの細い流れの天野川に沿って寺域は南北に伸びる。休日とはいえ訪れる人はまばらでひっそり閑としていた。
受付の納経所から本坊に入れば、枯山水の庭を眺めながら行宮所であったという奥の間へとつづく。六曲一双の屏風の前には、四十前後かとみえる男女の二人連れが靜かに座して見入っていた。横には床几に腰をかけた作務衣姿の女性がじっと黙しているばかり。

「日月山水屏風図」は室町時代の作とも、また下って桃山時代の作とも云われ、作者も詳らかではない。春夏秋冬を描いた四季山水の図柄だが、型破りなダィナミズムが画面に満ちあふれているなんとも奇妙、不思議な絵である。

江戸時代の「河内名所図会」に、金剛寺に残る屏風について「雪村筆一双、元信筆一双、土佐光信女筆一双」とあり、この三者のいずれかが作者であろうとする説もあるが、どうやら決め手に欠けるようで事実は藪の中。

丸山健二の新作「日と月と刀」に想を与えたであろうと思われるこの「日月山水図」、作者不詳なればこそ奇想天外な幻想世界をかくも現出せしめたか。丸山自身が文藝春秋「本の話」で自作について語っている件りがおもしろい。

てっきりこの小説の所為で拝観に来る者も多かろうと思っていたのだが、豈図らんや、滞在のあいだ後から来た者とて一組の初老男女のみ。床几に座る作務衣姿の女性に、丸山の新作云々の話をしたら彼女は知らず、慌ててメモを取っていた。

夕刻からは、そのまま車で移動して、山頭火の初稽古。
台本片手に半立ちといった体の稽古を、KAORUKOが時に笑い時に小難しそうな表情を浮かべながら、さして退屈した様子もなく見続けていたのには驚かされたものである。いつのまにかこの幼な児も私の観客になりうるほどに成長してしまっているというのは、望外の果報なのかもしれぬとつくづく思い至る。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-06

  音もなき具足に月のうすうすと  

   酌とる童蘭切にいで   野水

訓は「しゃくとるわっぱらんきりにいで」

次男曰く、陣中の人情を取り出した作りだが、静・動を以てした向付が、二句一体かによって、場景は違ってくる。

前者なら、夜討に構えるさまで、さしずめ本能寺の変の面影をかすめた付と読める。森蘭丸の一字を裁入れて信長の心を匂わせれば、こういう句になるだろう。後者なら、蘭と乱を通いにした、出陣前の縁起かつぎか、それとも殺伐とした滞陣・籠城などでふと兆した優情でもあるか。

句は秋二句目、したがって云うところの「蘭」とは、これに見合うものを求めれば建蘭のことで、なかでも雄蘭または駿河蘭の名で呼ばれている品種だろう。一茎多花、花期は7月~9月頃、中国原産の栽培種である。日本にはホクリとかジジババなどの名で呼ばれている古来自生の春蘭があるが、歳時記は「蘭」を秋のものとし、ホクリは「春蘭」として別に春の部に立てている。中国の呼称にならってフジバカマのことを古くは蘭と云ったからか、それとも四君子のうちで蘭を菊と併称する慣わしがあるからか、そのあたりから起こった部類だと思うがよくわからない。
古来四君子の一つとしてもてはやされたことばの香りを取り出しているだけなのだろう、と。


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