山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

更けてやつと出来た御飯が半熟

2010-03-04 21:47:49 | 文化・芸術
Santouka081130042

-表象の森- 日本語とはどういう言語か -03-

「序章-日本語の輪郭」-からのMemo その3

・漢詩、漢文とそれらの訓読体と音語は主として政治的、思想的、抽象的表現を担い、和歌、和文と訓語は主として性愛と四季と絵画的具象的な表現を担う

・このような二重複線の日本語の構造は、平安時代中期に生まれた
女手の成立の時期を絞り込めば、10世紀初頭の「古今和歌集」や「土佐日記」-935年頃-を書いた紀貫之の時代にはすでに成立しており、それ以前の菅原道真の「新選万葉集」-893年-と遣唐使の廃止-894年-の頃がきわめて濃厚であると推定される。

ちなみに女手とは、続け字・分かち書き成立の可能性まで踏み込み、自立した女手文を成立させた仮名の謂であって、漢詩・漢文の書式を真似て一字一音-一音節-の単独の文字が、つながることもなく羅列されるばかりの万葉仮名や真仮名、草仮名とは次元を違えている。

・平安中期に成立した日本語は、中世、近世、近代、戦後、1970年代半ばにそれぞれ転生を遂げている
平安中期には漢字を媒介項として音と訓とが背中合せになり、二併性の二重複線言語、日本語が生まれた。
中世、鎌倉時代に入ると、大陸に蒙古族の元が成立し、これを避けて、宋の言語と語彙、文字と学問が日本に亡命、疎開するに至り、この租界地として、京都、鎌倉の五山や林下禅院が生まれた。五山には、新たな宋語-音語-受容空間でもあるところの文官政治機構が生まれ、平安時代の音訓二併性の日本語の傍らに、さらに宋元詩、宋元文とそれらの訓読体が加わった新たな日本語が生まれ、それらは鎌倉新仏教等によって大衆化され、ここに日中二元性の日本語が成立した。

近世に入ると、禅院の性格は弱体化して日本化し、重箱読みや湯桶読み風の、換言すれば、音語が訓読化し、訓語が音語的歪みをもつ、いわば二融性の近世日本語が成立した。たとえば歌舞伎の「積恋雪関戸-つもるこいゆきのせきのと-」のごとく。

近代に近づくと、中世以来の漢-音-・和-訓-の二元性を踏まえて、漢字の音訓の融合状態から音と訓を原型に復して剥がれやすくし、訓の、意味で西欧語を翻訳し、音の、音で発音する形で、西欧語の日本語への翻訳を実現し、日本は、アジアでいちはやく、西欧化、近代化を達成するに至った。そして、この西欧語化した漢語は、半島と大陸に逆流することにもなった。朝鮮半島の植民地化や大陸侵略はその社会的な現れの一面をもつ。
また、近代において、特記すべきは、近代活字=印刷の成立である。この意味は、平仮名が連続・分かち書きを崩さなかった江戸自体の木版印刷とは異なり、女手、平仮名の文字も一字を単位に分解され、「語」としての連続を解かれた点にある。一字で表語性をもつもつ漢字と、数字連合しなければ表語性をもつことができない平仮名とが、あたかも一字単位で等価であるかのような錯覚が生まれ、ローマ字書き論や仮名書き論が生まれた。

敗戦後の、1-当用漢字による漢字の使用制限、2-歴史的仮名遣いの廃止、3-公用文の横書き化、という三つの日本語政策の導入は、漢語・和語語彙の縮減と西欧語翻訳文体をもたらしたが、必ずしも、日本語における言-はなしことば-の語彙と文体の向上に結実したわけではなかった。

1970年代半ば以後の、資本主義の超高度化=泡沫化、さらには1990年代以降加速した、米軍事技術の廃物利用たる情報化とともに、米語の経済や技術の語彙は、漢字化の余裕なきまでに高速度での言語泡沫化状況をもたらし、いわば文字としての十分な体裁を整えていない軽便な片仮名語が氾濫する一方、生活語は貧弱化の度を加速している。

長期的に展望すれば、詩や言葉が無力であった泡沫の時代は四半世紀ほどももみ合うことはあっても、9.11事件で限界を見せた。再び詩や言葉が希望と理想を語る力をもつ時代の姿はおぼろげには見えてきた。グローバリズム-アメリカの八紘一宇-に代わる民衆の国際連帯は、現在の延長線上に、英語を国際語とするか、新たなエスペラントが採用されるか、あるいは嘗てライプニッツが夢想したように漢字を共通語とするか、それとも共通語を作らずに、宋語翻訳主義を貫くかについては、いまだ語るべき段階に至ってはいない。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-37-
2月2日、また雨、何といふ嫌らしい雨だらう。

私も人並に風邪気味になつてゐる。
ゲルとが入つたので、何よりもまづ米を、炭を、そして醤油を買つた-空気がタダなのはほんたうに有難いことだ-。

※表題句の外、句作なし


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