-表象の森- 言-ことば-と節-ふし-と手-弾奏-と
山中鹿之助の故事に因んだ「阿井の渡」を謡った高橋旭妙の琵琶演奏を観-聞-終えて、私の脳裏をかすめたのは、見事なまでに流麗な演技を見せたキム・ヨナに完敗を喫した、数日前の、まだ生々しく記憶に残る、あの浅田真央のフィギアだった。
滑りのディテールのひとつひとつにつねに全精力を注ぎ込むかのように、渾身の気力を込めて消化していっていた真央が、そのあまりに緊迫した集中が続いた心身への負荷の所為か、中盤にいたって僅かに零れ落ちるような一瞬の隙を生み、ジャンプで取り返しのつかないミスを犯してしまったように、
旭妙のそれもまた、冒頭より、琵琶の音色をよく抑え、節付にのせて語り紡がれゆく言-ことば-の、長い長い序章のその細部は、いわば文節ごとにまで精確に吟味され、声調はあくまで抑制しつつも、その背後で気根は満ち満ちていたように覗えたのだった。
とかく抑えた演技は、気根が要るもの。15分ほどの構成を序破急とみるならば、序の部分にほぼ2/3を費やし、一転、破調の手-弾奏-がはじめて入った直後の言-ことば-の一節に、僅かな乱れが露わになってしまったのだが、一気に畳みかけるがごとき終盤の波と急に至って、それまでの抑えに抑えた声調のなかで、尽くされ尽くされてきた気根はすでに遣い果されてしまっていたのだろうか、全体の要ともなる転一歩たる一節の僅かな破綻は、いかに些事とみえようとも取り返しはつかない、瞬時に立て直してあとの一節々々をきっちりと謡わんとしても、徹しきれぬ微かな虚ろからもはや逃れがたく、最後まで今ひとつノリきれないもどかしさがつきまとっていたのではなかったか。
私にはそう見えた、惜しい一曲だった。
琵琶曲を演奏という、だが語りものの世界であってみれば、節付とはいえ言-ことば-こそ命、石川九楊に倣えば、節は言-ことば-の筆蝕といえよう、ならば琵琶の音色を現前させる手-弾奏-は言-ことば-の筆蝕たる節を際立たせるものであり、琵琶曲においては言-ことば-なくして節なく、節なくしてまた言-ことば-なく、一体となった言-ことば-と節こそ表現の主体となるべきであり、手-弾奏-はどこまでも従でなければならない。
琵琶世界に参じ、手-弾奏-習いに修行中とはいえ、その修行もそれぞれ3年、5年と経くれば、この一事をしっかりと受けとめて励むべきところだろうが、なかなかそうはなりえていないのが実情なのは、侘びしくもあり残念な思いがつのる。
旭濤ことわが連合い殿においても、言-ことば-=節に手-弾奏-にと、よく励んでいるとはいえ、このたびもまた、手-弾奏-の熟-こな-しに、文字通り手いっぱいのあっぷあっぷといった態で、言-ことば-の筆蝕たる節の調声に気根ははたらくべくもなく、虚しく破綻を繰り返してしまっている。
―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-34-
1月30日
宿酔日和、彼女の厄介になる、不平をいはれ、小言をいただく、仕方ない。
夜は茂森さんを訪ねる、そして友情にあまやかされる。
※表題句は26日記載の中から
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