山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

この道をたどるほかない草のふかくも

2005-05-04 13:16:58 | 文化・芸術
ichibun98-1127-039  「うしろすがたの山頭火」より

<古今東西>


Tedさんの「Life's Speeding Up at Higher Ages (歳とともに人生は速くなる)」にトラックバックしています。

<年をとると記憶は一枚の絵に近づく>

或る書によれば、
英国の作家M.フォースターが語った言葉「年をとると記憶は一枚の絵に近づく」を引いて
記憶は、徐々に縦並びから横並びにかわってゆくといってよいだろう。
年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、
最後は一枚のピクチュァ(絵)になるということだ、とある。

生きるということは、常に現在と過去との緊張関係にあるものだ。
ライプニッツに倣えば、未来の先取りによって「現在は過去を担い、未来をも孕む」という構造をもっている。
<現在>とは、このようなカイロス的(現在中心の同心円的な構造)と、クロノス的(暦としての通時間的な構造)な二重構造なのだ。
過去の記憶は生きてゆく過程でその比重と意味とディテールをも変えるだけではない。
クロノス的な遠近法は社会生活に欠かせないものだが、時間の順序を無視した第二の遠近法(横並び)
と重ねあわされ、次第にそれへと道を譲ってゆき、最後はその人にとっての重要性による遠近法が一枚の絵画をつくることになるのだろう。
だが、この過程は幸福な人生の場合といえるのでないか。
同じ、英国の著名な作家、サマセット・モームは
「人を殺すのは記憶の重みである」という言葉を遺して、89歳で自殺したそうな。
記憶はふつうならば忘れ去られやすいことが問題なのに、彼には忘れられないことの積み重なりが問題だったようだ。



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