―表象の森― 懐かしの阪妻映画
今週月~金の5日間、毎朝10時前から昼頃までのひととき、WowWowの特番で、60年近くもタイムスリップ、阪妻主演の映画を堪能させてもらった。
‘52年封切の「丹下左膳」を皮切りに、「大江戸五人男」-‘51-、「あばれ獅子」-‘53-、「稲妻草紙」-‘51-、「おぼろ駕籠」-‘51-の5本。
Photo/阪妻主演の「あばれ獅子」
いまだテレビも登場していなかった子どもの頃、私が育った九条の町の繁華街には、5.6館の映画館が建ち並んでいた。昭和30年代の映画全盛の五社協定時代なら、そのすべての封切館があったし、加えて洋画の封切館も1館あったくらいだから、とにかく休日となれば映画館に通うといった子ども時代だった。
阪妻映画は、’53年の「あばれ獅子」が遺作だから、昭和28年、私が9歳の年である。こんな頃に独りで劇場に行った訳もないから、たいがい父母に連れられて通ったことになるが、後の勝海舟となった勝麟太郎と小吉の親子を描いたこの映画は記憶の片隅にいまも鮮やかに残っていた。それに「丹下左膳」も「大江戸五人男」も場面の断片が記憶にあるし、「おぼろ駕籠」にもなんだか記憶があるような‥。ことほどさように映画漬けの幼い頃だったのだ。
そんな昔の映画だから、運びのテンポはのんびりと悠長なことこのうえないが、それでも伊藤大輔監督の「おぼろ駕籠」など娯楽映画としてはよく出来た一級品の代物で、ずいぶんと愉しめた。
図版は面白いが、訳文がひどすぎる-エーコ編集の「美の歴史」「醜の歴史」
豊富な図版とこれらに付された引用文献の数々、その対置は博覧強記、Umberto.Ecoの躍如たるものではあろうが、如何せん翻訳が拙すぎる。訳者の川野美也子は「翻訳に関しては、原書に対応したレイアウトの関係上文字数に制限があったためと、著者の思考回路をなるべくストレートに辿っていただくためにあえて直訳に近い形にいたしました。」と記すが、直訳どころか逐語訳にもひとしく、文脈の辿れぬ熟さぬ日本語には辟易もいいところ。これではEcoの深意がどれほども伝わるまい。
これほど未熟な訳をもって、ぬけぬけと豪華本の如き体裁をなし、鳴物入りで出版する会社も非道いものだが、新聞などでお先棒を担ぐかのような書評を書いている有識の御仁たちには呆れかえるばかり。
―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-170
6月30日、同前。晴、時々曇る、終日不快、万象憂鬱。
不眠が悪夢となつた、恐ろしい夢でなくて嫌な夢だから、かへつてやりきれない。
何もかも苦い、酒も飯も。
最後の晩餐! といふ気分で飲んだ、飲めるだけ飲んだ、ムチャクチャだ、しかもムチャクチャにはなりきれないのだ。
何といふみじめな人間だらうと自分を罵つた、-こんなにしてまで、私は庵居しなければならないのでせうか-と敬治君に泣言を書きそへた。
※句の記載なし、表題句は6月27日所収。
Photo/川棚温泉、クスの森の大楠
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