山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

雪のうちに春は来にけり‥‥

2006-02-19 00:58:22 | 文化・芸術
IchiokaOB2006

Information<2006 市岡高校OB美術展>
2/19 Sun~2/25 Sat 於/現代画廊・現代クラフトギャラリー

-今日の独言- 市岡のOB美術展

 ‘98年、辻正宏一周忌の追悼企画からはじまった市岡高校OB美術展も、回を重ねて今年は8回目となるのだろうか。
とっくに人生の折り返しを過ぎたこの身には、年月は坂道を転がるごとく過ぎ去ってゆく。
彼の面影がちらりと脳裡をかすめば、途端に40年余りをスリップして、市岡時代のあれやこれやが甦ってくる。私の市岡とは、なによりも彼と出会った市岡であり、彼の存在がなければ、私の市岡は文字どおり高校時代の三年間を、卒業と同時に一冊のアルバムとして思い出の扉の内にあるがままだったろう。
彼の存在ゆえに私の市岡は、その扉も開け放たれたままに、折りにつけては40年余を一気に駆け戻り、踵を返してまた立ち戻る。思えばこの一年だって、そんな往還を何度したことか。
辻よ、君への追悼の集まりからはじまったこのOB展も、今はもうその俤もほとんどないにひとしい。この会はすでに何年も前から新しい歩みをはじめているが、それはそれでいいのだろうと思う。
けれど、だれかれと私が繋がっている部分、其処はやはり私の市岡そのままに、君はなお生きつづけている。
辻よ、私も去年につづいて、Video-Libraryを出すよ。なんでもありの市岡流だ。まあ、むろん梶野さん流でもある。でもこの参加の仕方も二度までだな。三度目はキツイだろうな、そう思うよ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-9>
 春風に下ゆく波のかず見えて残るともなき薄氷かな  藤原家隆

六百番歌合、春、春氷。
歌意は、春風が吹く頃ともなれば、氷の張った下を流れてゆく水にさざ波が立つ――その数が透けて見えるほどに、もうほとんど残っているともない薄氷よ。先例類歌に藤原俊成の「石ばしる水のしらたまかず見えて清滝川にすめる月かな」千載集所収がある。
邦雄曰く、玻璃状の氷、その一重下を奔る水流の透観。12世紀末、新古今成立前夜の、冴えわたった技巧の一典型、と。


 雪のうちに春は来にけり鶯の凍れる涙いまや溶くらむ  藤原高子

古今集、春上、二条の后の春のはじめの御歌。
承和9年(842)-延喜10年(910)、藤原冬嗣二男権中納言長良の息女、摂政良房の姪にあたる。9歳下の清和天皇の女御となり、貞明親王(後の陽成天皇)以下三人の子をなす。晩年、東光寺座主善祐との密通を理由に皇太后を廃されるという事件が伝えられる。また、「伊勢物語」によって流布された業平との恋物語もよく知られる。
邦雄曰く、「鶯の凍れる涙」とは、作者高子の運命を暗示する。業平との恋を隔てられて清和帝の後宮に入り、悲劇の帝陽成院を生み、盛りを過ぎてから東光寺僧との密通の廉で后位剥奪、宮中を追われる、というこの悲運の主人公の作と思えば、一首の鋭い響きは、肺腑を刺す。「いまや溶くらむ」と歌ったが、彼女の魂は生涯氷のままであったか、と。


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