現在、編物教室に使ってるのは2011年に亡くなった母の部屋で、
いまだに遺品があちこちに片付いていないまま。
8月のお休み中に、片付けて、スッキリ9月を迎えようと、遺品整理に取り組むも、やってはならない罠にはまり、あえなく中断。
昭和5年生まれの母は、晩年、カルチャースクールに通ったのをきっかけに、亡くなる直前まで、自分史を書く事に熱意を注いでいて。
戦争の時代の事を、私たちに書き残したいと言う思いが強かったよう。
グループで校正しあって、定期的に自費出版される、その小冊子を、当時はなかなか読むのが苦痛で、
言い訳をすると、日々の生活で、手一杯だったんですが。
いざ、居なくなってしまうと、その価値はガラリと変わる。
ページを開けば、スルスルと文章が入ってきて、光景が浮かぶ。
そして気が付いたのですが、私にまつわる出来事が書いてあるくだりで、出来事に対する記憶や認識が、私のものとずいぶん食い違っている事。
私が言った事ーそう言う意味じゃなかったんだけどな…
母が言った事ーそう言う意味だったの…
私は三人姉妹なんだけど、この頃昔話をしていて、同じ出来事に対してそれぞれ覚えているポイントや事実まで、かなり違ってる。
結局、自分が真実だと思ってるこの世界は、自分のフィルターを通してみているのだから、自分で作っているのと同じだな。
自分が変わるって、このフィルターが変わることなんだろうな。
結局、今日は何も進まなかったけど、これを読む日だったんだと思う。
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