昨日の朝、夏坊を送った帰り道、久々にウオーキングなんぞをしてみました。
涼しくて、いい気持ち。
毎年、この時期はまだまだ暑くて大変なのに。
今年は運動会の練習が楽で、ラッキーだなあ。でも極端すぎて、なんか落ちつかないんだけど・・・。
とか思いながら、ときどき子どもたちと遊びに来ていた公園の横を、何カ月ぶりかで通ってみたら・・・。
あら? この公園の滑り台って、こんなに背が低かったっけ・・・?
不思議に思って近くをうろうろしたのち、ちょっと離れたところから、かがんで眺めてみました。
すると、記憶の中の滑り台と一致。
自分が小さいころに遊んだ場所に行ってみたら、狭くてびっくりした・・・。
大人になると、そういう種類の気持ちに、ときどき出会いますよね。
どうやらそれと同じことが起こったみたい。
冬坊夏坊といっしょに遊んでいたら、自分も自然に小さい子の目線になっていたみたい・・・。
そういえば。
冬坊が3歳くらいのころに、ちょっとインパクトのある体験をしたことがあります。
線路ぎわの道をお散歩していたときのこと。
線路は低い土手の上を通っているんですが、冬坊が、その土手を登って柵のまぎわまで行ってしまって。
いくら柵があるとはいえ、あまり近寄って見るのはあぶない。
「あぶないよ、おりてきて!」
と呼んでいるそのとき、電車が・・・。
電車って、ふだんは車体の上のほうばかり目につきますが、実は車輪の部分もかなり大きいんですね。
その大きな車輪部分が、いきおいよく冬坊の目の前を通過。
真っ黒な鉄の固まりが視界いっぱいに迫り、轟音とともに通り過ぎて、すごい迫力・・・。
あわてて冬坊の顔を見ると、恐怖でひきつっておりました。
びっくりしたよね・・・ママも驚いちゃったよ。
ところが、不思議なのはこのあとで。
後日、私ひとりで線路ぎわを歩いているときに、同じように横を電車が通ったんです。
あの迫力をもう一度味わおうと、ちょっとわくわくしながら車輪部分に注目してみました。
なのに、あれれ?
思ってたより控えめ。たいしたことないなあ・・・。
でも、それでわかりました。
あのとき私が見た光景は、自分じゃなくて3歳の子どもの体感した光景だったんだって。
自然に子どもの目線とシンクロしてたんですね。
目で見ている景色は、実は目ではなくて脳で見ている。
心で見ている。
どこかでそんなことを聞いた覚えがありますが、それを実感したできごとでした。
脳で見ている景色の話を、もう少し。
妊娠したとき、印象的だったことのひとつに「やたらと妊婦が目につくようになった」というのがあります。
外出すると、やけにおなかの大きい人ばかり目立つ。
世の中、こんなに妊婦さんが多かったんだ。いままで気にしたこともなかったけれど・・・。
子どもを産んでからは、もちろん赤ちゃんや幼児の姿が、視界に飛びこんでくるように。
同じ光景を見ているはずなのに、自分の目線ひとつでこんなに見え方がちがうなんて。
妊娠中、電車にのっても、席をゆずってくれる人がほんとに少なかった。
でも、わかる。だって、自分が独身だったころに、妊婦さんに席をゆずった覚えがないから。
通勤通学で毎日のっていたはずなのに、そもそも妊婦さんを見た記憶がないから。
目にはいっていなかった。
興味がないとか親切心がないとかいう以前の問題で・・・。
「圏外」。
この言葉が、ぴったりです。
「圏外」の反対が「圏内」。
「圏内」の目線は、知識だけでは得られないというか、やっぱり経験がない人にそれを求めるのは難しい。
さきほど書いたように、圏内の人って「視界に飛びこんでくる」みたいに、対象がよく見えるんですよね。
見ようとして見ているんじゃなく、勝手に見えちゃうわけです。
なので、学生さんとか若い人が席をゆずってくれなくても寛大だった私。
しょうがない、そのうち嫌でもわかる日がくるだろう、なーんて。
ところがですよ。
困ったことに、寛大になれないケースもときには。
ちょっとだけ年配のご婦人たち、優先席にすわるほどでもないとお見受けしますが、目の前に臨月の人間が立っているのが、目にはいらないのでしょうか?
経験者でしょ? 大変なの、わかるでしょ~!?
・・・わからないらしい、これが。
うちの母が、よく言ってたもんです。自分の娘と同じ年頃の子しか、目にはいらないって。
娘が小学生のときは小学生しか、大学生のときは大学生しか目にはいってこない。
なるほど、子連れ外出に世間の目が冷たいっていうのは、よく言われることですが、その理由はこのあたりにありそうです。
子育てが終わると、子育て中の大変さは「圏外」になるんでしょう。
孫が生まれて、「圏内」が復活するまではね・・・。
若い男性で親切なかたもときどきいらっしゃいますが、「うちにも小さい子が」と顔に書いてあるような(笑)。
自分が産んだわけじゃなくても、奥さんの体験を共有できているんでしょうね。
ということは、自分ではなく家族や友だちの体験であっても、「圏内」目線は獲得できそうです。
たとえば家族を介護してたり、身内が障害のある状態になったりしたら、いきなりそういう存在が目に飛びこむようになる。
世の中、こんなに困っている人が多かったんだって、圏内目線で体感できるようになるにちがいありません。
ということで、この文章は「困っている人に気づいたら助けてあげましょう」とは、ちょっとちがうテーマかもしれません。
少なくとも、自分が獲得した貴重な目線はなるべく忘却しないように、社会に役立つようにしたいものです。
なんて言いながら・・・。
実は最近、外出すると、乳幼児が「圏外」になりつつある自分を感じるような・・・。
おにいちゃんの冬坊が、いま10歳。
したがって、乳児の代わりに圏内にはいりこんできているのが、もちろん「中高生男子」。
ああ、目につく。しかも、奴らはでかい。体も声もただでさえでかいのに、圏内目線だとさらにでかい存在に・・・。
視界のキャパシティには限りがあるのか?
私はまだ、ちっちゃくてかわいい赤ちゃんたちにも、圏内にいてほしいのに~!
中高生男子たちと、なんとか共存してくださいね~。