ありのまま日記

過去を許すということ

昨日は3.11でした。6年前私たちは信じられない現実を突きつけられました。

まだまだたくさんの方々が避難生活を余儀なくされ、行方不明者の捜索も続けられているようです。
 
それぞれの過去を清算することには時間が必要です。
 
過去を許すということは、簡単にできることではありません。自分の身に起きたことをどうにかして納得するということですから。
 
それぞれの方法で、出会いや別れ、いろいろな経験を重ねていくことで癒される心の傷もあります。
 
納得して、あるいは自分が変わっても、例えば肉体を去った家族の魂は元の肉体へ戻ってくることは望めません。
 
スピリチュアルな視点で観て、自分が変われば過去も未来も変わる…ということが言われますが、その個人的な創造の中では見方が変化し、それによって過去に起こったことの意味あいや未来が変化するということはあっても、社会集団に対して起こった事実・過去は変えることはできません。
 
なぜなら社会全体に影響を与えるような出来事は、社会全体で乗り越えるべく課題であり、全ての人には自由意志が与えられ、それぞれのタイミングでそれに関わる学びや気づきができるように人生はプログラムされているからです。
 
人生の中では受け入れがたいことがたくさんおこります。そのような受け入れ難いことが起こると、それらは受け入れるために起こるということに気づいてきます。
 
そうすることで、自分のみならず他も癒すことがてきるようになるからです。
 
ある意味、許すということはを過去も含めて、受け入れ難い現実に寄り添うことなのかもしれません。
 
さて昨日は、私たちは『ひとつのいのち共有している』…ということを裏付ける記事を目にしました。
 
3.11で亡くなった死者と再会した方。メールが届いた方。現代の科学では解明できない奇跡がたくさん起こっています。
 
肉体を脱ぎ捨てエネルギー体になった彼らは、肉体を持ったまま物質世界で生きている私たちよりも遥かに自由です。
 
泣かないで、私は大丈夫…ありがとう。
 
多くの死者が遺族にそんなメッセージを送り続けています。
 
魂は、肉体を離れて肉眼で見えなくなっても永遠に生き続けます。ですから魂(エネルギー体)のレベルでは、私たちは分離することはなく、むしろエネルギーを分離分断することは不可能なのです。
 
この3.11によって亡くなられた多くの死者が、遺族や私たちに語りかけていることとは何かを、私たちは向き合う時なのではないでしょうか。
 
亡くなられた死者のみなさんは、エネルギー体になって今この時も、ずっと私たちに寄り添ってくれています。
 
 
 
あるがままで
 
 
****************
 

*携帯に届いたメール『ありがとう』――被災地での「霊体験」を初告白。遺族たちはこうして絶望から救われた

デイリー新潮 3/10(金) 18:30配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170310-00518743-shincho-soci&p=1

 

誰にも話せませんでした。死んだ家族と“再会”したなんて……」
 未曾有の大震災から今年で6年――。
 被災地の遺族たちからは、不思議な体験談が聞こえてきた。

 最愛の家族や愛しい人が大津波で逝き、絶望にまみれた日々を送ってきた遺族たち。その日常の中で、突然起きたのは「霊体験」としか表現できない“死者との再会”だった。その不思議な体験で、遺族たちの心は絶望から救われることになったという。


ノンフィクション作家の奥野修司氏は遺族たちを訪ね、〈今まで語れなかった。でも、どうしても伝えたい〉という、噴き出す思いを取材して歩いた。岩手や宮城など被災地に3年半以上も通い続け、「霊体験」のひとつひとつを丹念に何度も聞き続け、検証し、選び出し、記録してきた。その記録は単行本『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』として2月に刊行された。
 奥野氏が聞いた遺族たちの告白をいくつか紹介してみよう。


●火葬後に妻娘からの『待っている』『どこにも行かないよ』


 宮城県亘理郡で被災したある男性は、妻と2歳にも満たない次女を津波で一度に喪った。震災から10日あまりで遺体が見つかり、やっと弔いの火葬ができた夜のことである。
「夜中に目が醒めると目の前に二人がいたんです。マスクをしてしゃがんだ妻に寄り添うように、娘が僕に手を振っていました」
夫は目を醒ましたが、瞼を閉じても妻娘の姿は見え続け、泣きながら「おいで、おいで」と声をかけたという。その後も、夫が寝ているときに妻はあらわれ、『戻りたい』『いまは何もしてあげられないよ』『どこにも行かないよ』『待っている』と語りかけてきた。

この邂逅が、夫には生きていく心の支えになっているという。

●青い玉になった父母からの言葉
 宮城県気仙沼市の女性は父の死を知り、安置所に駆けつけた。遺体の傍に付き添っていたとき、数多くの遺体の腹部からいくつもの「ピンポン玉のような大きさの青い玉」が浮かんでいた。「一人の遺体に青い玉は一つ」「たくさんあるんだから、お父さん、寂しくないね」と語りかけたという――。

●亡き兄から届いたメール『ありがとう』
 岩手県陸前高田市で働く女性は、震災から数ヶ月後にようやく兄の遺体と対面した。その翌日のことである。女性は、市役所で兄の死亡届を書いていたとき、携帯電話にメールが届いた……一言だけ、「ありがとう」と。発信元は、信じられないことに、津波で亡くなった兄の携帯電話だった。しかし、それは「壊れて使えない状態」だった……。さらに、彼女の携帯に届いた兄のメールは生前のメールも含めてすべて消えてしまったのだった。彼女は、「兄なりのお別れの挨拶」として受け止めているという。

●突然動き出したおもちゃの車

宮城県石巻市で3歳の息子を失った母親の体験である。震災から2年後、息子仏壇に声をかけた瞬間、息子が生前に好きだったおもちゃの車が突然動き出した……。スイッチの付いた電動式のおもちゃで、勝手に動くことはありえない。その後も、「もう一回、動かして見せて」と息子に願った瞬間、おもちゃはまた動いた……。そして、女性は息子を見ることになる。『ママ、笑って、笑って』と言っていた息子。『ママ、どうして怒ってるの』と変な顔をして母を笑わそうとする息子……。女性の胸中には、「ありがとう」「私も笑わなきゃだめだ、頑張らなきゃだめだ」という思いが去来したという――。

●3歳の孫娘が伝える『イチゴが食べたい

宮城県南三陸町で、娘婿と孫娘を津波で喪った女性は、震災後3年目の夏、落ち着きを取り戻した中で、孫娘が夢にあらわれるようになる。『イチゴが食べたい』『じゃがりこが食べたい』と生前好きだった食べ物について、女性に話しかけてきた……。

そして、毎年3月11日が近づくと、なぜか、テントウムシが目の前に……孫娘は、『テントウムシになりたい』とよく夢を話していたのだ。テントウムシがあらわれるたびに、女性は、心がときめくという。


●被災者の2割におよぶ「霊体験」

これらのケースは、奥野氏が聞き取った遺族たちの告白の一部である。

奥野氏は、がん治療についての著作もあるなど、極めて科学的な視点をもつ作家で、幽霊は信じていない。だが「霊体験」に関心を持ったきっかけは、在宅緩和ケアのパイオニアとして宮城県で2000人以上を看取った医師(故人)を取材する過程のことだった。医療の現場で自身の患者の約4割が「お迎え」を体験することを知る、その医師は、奥野氏に「お迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいい」「被災した人の2割が(霊を)見たという話もある」と、取材を薦めた。当初はためらった奥野氏だったが、その医師は、末期のがんで余命いくばくもなく、最後の言葉に背中を押され、「死者と生者の物語」を聞くという旅に出たのだった。
度重なる聞き取りを行い、妄想や虚言を排した、実名で“告白”された「死者と生者の愛の物語」が、奥野氏の優しい筆致で伝えられる。
「霊体験」とは遺族たちにとって、“奇跡と再生”につながる、“かけがえのない体験”だったことが、いま、明らかになった。

 奥野修司さんの『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』は発売中です。


(転載終了)



 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
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