日々の暮らしの中で、誰にでも苦手なタイプの人はいるものです。
他を愛せ愛せと言われても、嫌いな人を愛するなんてことできるわけがないですよね。
今回は管理人が日頃実践している、嫌いな人を愛する方法を紹介させていただきます。
多くの読者のみなさまが、このステージで迷っているのではないかと観じています。
この三次元世界では、愛という無限の叡智までも限定されています。
三次元世界で一般的に有名なのは恋愛のような感情を伴う恋愛関係
また友人関係を形成するような信頼関係、そして親子関係を結ぶ愛など。
これらは比較的わかりやすい愛からくる感情ですね。
これらに共通しているのは、互いに分かり合うことで、投げかけた愛が相手に受け取られる場合に成立する愛です。
では、自分が気持ちをかけても受け取られない思いは愛でしょうか?そうです。それも愛ですね。
自分が嫌いな人の場合、どうでしょう。嫌いな人を好きになることはできるのでしょうか?
率直に申し上げますと、嫌いな人を愛するために恋愛関係を持つような感情だったり、信頼関係を持つように、その人を『好きになる必要はない』のです。
恋愛感情を持ったり信頼関係を築くことなく、人を愛する方法があります。
それは『あまねく魂を自分と同じ、神のわけ御霊だと認めることです』
この意識の拡張は、あなたとあなた以外のすべての魂を繋げることになります。これはあなたと他はひとつとなり、ワンネスの中で生きることの選択です。
この段階の愛への意識の拡張は、極めて高次元的と言えます。魂を尊重し認めることに何ら変わりはないのです。
嫌いな人と無理して付き合う必要はありません。自分が追い求める理想から離れているパーソナリティだから好きになれないのです。だからと言って、その人を否定することは自分を否定することになります。
あなたのその嫌いな人も、もともとは神であり愛なのです。長い長い魂の学びのための旅の途中で、その本質を見失い変質させてしまった。これを理解することは、森羅万象すべての中から神性を見出すことに繋がります。
本来、神性なる愛とは見返りを求めない無条件なもの。相手を理解し認めるなら、それも人を愛するということになるのです。
そういうことが理解できれば、嫌いな人を愛することはとても簡単なことではないでしょうか?
どこへ行っても同じような苦手なタイプに出会って
ああ、またこれか…という苦手意識が出現します。
その苦手意識がまた関係を悪循環へと動かしていく。終わりなき悪循環は永遠に続くのです。
もう、そういった次元で停滞するのは終わりにする時ではないですか?
それでも嫌いなものは嫌い。というのであれば、とことん嫌いを貫いてみてもいいでしょう。ウンザリするくらいやってみて、ようやく人は自分を変えるチャンスを掴むものです。
人それぞれ、タイミングというものがありますので、その見極め時が重要になるようです。
人を愛することとは、本当はとても簡単なことだったのです。私たちは三次元世界で愛をとても複雑にしてしまったのでしょう。
あるがままで