私たちは長らく三次元の世界の観念概念に縛られているがために、物事を目に見えるところで判断・解決しようとします。
しかし、実際私たちの暮らしは宇宙の創造原理に則って構成されていますので、思いや思考、そういったエネルギーパターンをワンランク上にパージョンアップすることで、全く異なる解決が可能なのです。
たとえば、三次元の世界では、平和な世界を創るためには戦うことが常識とされていますね。
しかし、どうでしょう?
世界各国では、散々戦いを繰り返してきました。戦争も悲惨な殺戮も…そんなことを何万年も繰り返してきた歴史を経験して、地球は・世界は平和になりましたか?
じゃあどうして世界はまだテロなどの戦いを続けているのでしょうか?
それは戦うことで平和が創造できると人々が勘違いしているからです。つまり三次元世界に洗脳されているということです。
前にもこのようなことは書きましたが、世界を平和にする誠に手っ取り早い方法はあります。
それはあなたが戦うことを止めればいいのです。
戦いを強要・そそのかされているなら、その人から離れ戦いを放棄すればいいことです。
宗教的に戦いを洗脳されている兵士が、いまだ神の名の下にテロ行為を繰り返していますが、あなたに戦いを勧める人が一緒に戦おうと言うのであれば、それはあなたも戦いを洗脳されている兵士と同じだということになります。
スポーツでもゲームでも同じです。戦いを洗脳される、それは闘争精神を植え付けることに他ならないのです。
そうやって悪魔が構築した三次元の世界では、闘争精神を植え付けられた人類が戦いを止めることができなかった。だから未だに戦いやテロが世界各地で繰り広げられているのです。
自分が正しいことを世界に模範し、平和な世界を創るためと言いつつ戦いを止めないのは、筋違いなんです。筋が通っていると思わせるところが三次元なんです。
平和な世界を創造したいならば、自分が戦いを止めればいいんです。
平和への解決は戦いでは得られない。平和的な解決は『和解・尊重・妥協』という闘いとは反対のエネルギーによってもたらされます。
戦いを止めるためには、勇気が必要です。剣を振りかざす敵に、諸刃の剣を譲るようなものですから。
闘わないのが、本当は一番強くて勇気のいることなのです。
最後まで闇や悪魔に加担し地球を戦いのフィールドにしているのは、戦いを止められない洗脳された戦士ということでしょう。
もしも、そんな人が身近にいるなら、もう闘わなくてもいいんだよ。と慰めてあげられるといいですね。
戦いは終わっているのです。葛藤に苦しみ闘うことは時代遅れなのです。それくらい私たちの精神性は地球アセンションによって、高まりを余儀なくされているのです。
私たちは地球と共に神界へと到達しています。これにはまことに疑いはなく、私たちは到達しています。
あるがままで