*「貧困層」が急拡大している欧州のリアル 「ベーシックインカム」では解決できない
03月03日 15:00
先進国において貧困層が選挙結果を左右することはあまりない。だが、3月4日に総選挙を控えたイタリアでは貧困層が草刈り場になっている。中道右派政党「フォルツァ・イタリア」を率いるシルビオ・ベルルスコーニ元首相(公職禁止の有罪判決を受けている)と、コメディアンでポピュリスト政党「五つ星運動」の党首、ベッペ・グリッロ氏が共にベーシックインカム導入を唱えているのだ。
貧困層に毎月、気前よくおカネを支給することになるこの公約は、制度設計からしてまゆつばものだ。とはいえ、少なくともこれによって急速に深刻化する欧州の貧困問題に光が当たったのは事実だ。
イタリアでは貧困層が10年で3倍に
もちろん、貧困層の全員が悲惨な生活を送っているわけではない。が、多くは困窮しており、イタリアでは貧困層が選挙結果に与える影響は無視できないものになった。全人口の約8%、500万人近くが生活必需品すら買う余裕がなく苦しんでいる。しかも、こうした貧困層の数は、わずか10年で3倍近くに膨れ上がっているのだ。
欧州全体の状況も、同様に深刻だ。欧州連合(EU)では1億1750万人、域内人口のおよそ4人に1人が貧困層に転落するか社会的に疎外される危機にさらされている。その人数は2008年以降、イタリア、スペイン、ギリシャにおいて600万人近く押し上げられている。フランスやドイツでも、貧困層が人口に占める割合は20%近辺で高止まりしたままだ。
2008年のリーマンショック以降、貧困層転落のリスクは全般に高まったが、その傾向は若者において顕著だ。年金を除く社会保障給付がカットされたのに加え、既存従業員の雇用を守るために新規採用を犠牲にする労働市場のあり方にも原因がある。2007〜2015年に欧州では18〜29歳の若者が貧困化するリスクは19%から24%に上昇したが、65歳以上の高齢者については逆に19%から14%に低下した。
確かに最近の景気拡大によって若者の貧困化リスクは多少緩和されるかもしれない。しかし、構造問題はなくならない。失業が長期化すれば、その人の職業スキルは取り返しのつかないところまで劣化してしまうかもしれない。テクノロジーの急速な進化によって、能力が時代遅れになる可能性もある。
このままだと再就職は不可能となるか、低賃金で不安定な仕事に甘んじるか──貧困層の多くにとって選択肢はその2つだけ、ということになろう。OECDの最近の統計によれば、スペインとギリシャでは生産年齢人口の14%が、働いているにもかかわらず貧困から抜け出せずにいる。
人間の尊厳が問われている
累進課税や、給与に上限を課すサラリーキャップなど、富の再分配を通じて不平等に対処する手段もある。だが、貧困の撲滅には再分配を超えるものが必要だ。貧しい人々は社会の周縁に追いやられているが、貧困層が世の中に再び居場所を得て活躍できるよう支援していかなければならない。これは単に政情の安定や経済の公正さの問題なのではない。人間の尊厳が問われているのである。
この先、欧州の福祉国家モデルは改革が必要になろう。もはや欧州の高齢者は一番の経済的弱者ではないが、いまだに社会保障給付で最大の分け前を手にしている。欧州の各国政府は、老齢年金をカットし、貧困層や失業者・若者への配分を増やすべきである。
ベルルスコーニ元首相とグリッロ氏は貧困問題に狙いを定めているが、両氏が掲げるベーシックインカムは付け焼き刃の対策でしかない。確かに貧困層の厳しい懐事情はにわかに和らぐかもしれない。だが、背後にある構造問題が解決するわけではない。
それどころか、問題をさらに悪化させるかもしれないのだ。ベーシックインカムは失業者が職を探したり、職業訓練を受けたりするのを特に後押しするものではないため、貧困層が永遠に公的給付に依存して生きていく状況を生み出しかねない。
欧州の政治家は貧困問題を無視し続けることはできない。ベルルスコーニとグリッロの両氏が明らかにしたのは、そのことだ。
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新しい社会制度を始める時は、どうしてもこのような、ネガティヴな発想がつきまとうものですね。
例えば何かを新しく始める人は、どうしても古い体質を残したい保守勢力の非難や世の中の風当たりを受けやすいように。
イタリアのベルルスコーニさん、まだまだ現役でお元気のようですね。ネガティヴな発想に惑うことなく躍進していただきたいですね。
スタートの形はどうあれ、ベーシックインカムを導入しようなんて洒落た政治家さんではないですか。いよいよ奴隷解放が現実味を帯びて参りました。
ベーシックインカムは、制度を利用する国の国民性と文化に合わせて、支給手当金額を段階的に調整していけば良いことです。
『ベーシックインカムは失業者が職を探したり、職業訓練を受けたりするのを特に後押しするものではないため、貧困層が永遠に公的給付に依存して生きていく状況を生み出しかねない』と本文にはありますが、何を恐れているのでしょうか?ベーシックインカムを支援する新しいシステムを構築すればいいことですよね。
生きるために最低賃金を受け取ることができた人類は、ようやく本当は何をしたいのか、自分は何者なのか?を見つけることができます。
そこでようやく人としての尊厳が与えられ、社会の奴隷から解放されるんです。
この記事での文章であるように、働く場を見つけられることが、人としての尊厳を与えられるという発想、そもそも変ですよね。では働けない人は、居場所や生きる尊厳を持てないということですね。だから奴隷社会から差別が無くならないんですよ。
人は産まれながに平等で、本来は働かなくても生きられる社会が正常な文明社会です。
『働かなくても生きられる権利を持てること』が、人としての生きる尊厳を与えられるということではないのでしょうか。
生きるために、働くことがまず第一に大切だなんて、さすが支配者に洗脳された奴隷社会です。
働きたい人を支援するのは社会の義務で、本来は働きたくない人は働かなくてもいいことを支援するのも社会の義務。
そういう選択肢さえ私たちにはまだ無く、働かなければ食べていけないのです。だから私たちは社会の奴隷だと言うのです。
食べるために働くのか
働くために食べるのか
この違いは天と地の差がありますよね。
このままいくと、日本もいずれベーシックインカムを導入せざるを得ない状況になるので、イタリアの制度導入プロセスはとても興味深いですね。
世界的に広がりつつあるベーシックインカムの導入。
いよいよ奴隷解放が始まるんですね…ワクワクします〜本当に嬉しい!感無量です。
あるがままで