自分のことをダメな人間だと思い込み 劣等感に苛まれて生きている方はたくさんいると思います。
一般的には これで稼いで成功しました 術!というようなことを述べればもしかすると人気を集めるのかもしれませんが ここでは全く逆なお話になりそうです。なにせ このブログの管理人は毎日健康で 必要なものはすべて在る(心を満たす)中で暮らせることが 成功していることだと感じているからです。
そもそもダメ人間だと 何かと比較してレッテルを貼ったのは誰でしょう?
社会の一般常識ですね。
だったらその比較基準を受け入れないことです。
しかし、そうはいってもダメな状態に陥っているのであれば それをどう改善していくかが課題になるでしょう
そんな時 ダメな状態を良い状態にするように 『努力する』ことも方法のひとつですが、何度繰り返しても報われない場合は
その状態を楽しむことがいいのではないかと思います。ダメな自分を許し・ダメな自分を愛する ありのままの自分を愛す するとプラスのエネルギーに変換されます
さらに 自分以外のダメな存在も 認め許せるようになってきます。
誰にでもあるとは思いませんが 私は「何もできないダメ人間」と言われたことがあります。
それを言った人にとって 私のように 努力をしないで(わたしなりにしていますが方向性が違うので理解してもらえない;汗)社会的地位がなく稼げない人間はダメ人間なのです。残念なのですが その方は全く同じ尺度でご自分自身をもそのように図っているのですから 随分たいへんな人生なのだろうなと感じました。ダメ人間では飯は食えないと思い込んでいるのです。ダメだという現実を自分で創っていることに気づいていないのです。
わたしはマイペースなので ダメ人間と言われても全く気にしません。むしろ その人の言うところのダメ人間を楽しんでいます(笑)生きること自体に拘りがありませんので こういう生き方をしなければならないというルールを決めていません。直感に従うだけなのです。だからみていて危なっかしくて 恐ろしくなるのかも知れません(笑)
今まで自分の身を置き 安全だと思い込んでいた社会的観念や概念という枠を取り外すということは ある意味裸一巻になることなので相当な勇気がいります。わたしも最初は不安でしたが でもとりあえず 物事を悪く捉えることを止めて 愛を基準に行動しました。 それで周りに囚われなくていい ありのままの素のままの自分でいいんだと気づくと、こんなに楽なことはなかったのです。なので一人でも多くの方に早く楽になって頂きたいと思い おせっかいにもこうして呼びかけているんです。
人は誰でも間違いをおかしてしまうものです。失敗だってします。
失敗した数が多い人ほど 失敗することの辛さや苦しさも知っているはずです。できの悪い人間ほど寛大です。自分が痛い思いをしないと人の痛みが分からないと同じです。
できなければ できないでいいと思うのです。できない人間が言うのは負け惜しみだと言われるかもしれませんが、できない人間が言わずして誰が言うんでしょうか?!
ダメ人間ならダメでもいいんです。問題はそれを自分がどう捉え どうポジティヴにしていくか…だと思うのです。
「じゃあ 劣等感を優越感にするために戦おう!」というのは極めて3次元的で古い考えです。(時代はアセンションです)
劣等感を楽しもう!喜びにしてしまおう!劣等感あってもいいよ。それも自分の一部だよ。と認める。それは克服ではありません。自分を愛するということです。
『頑張ろう』という言葉があります。他人や自分自身との戦い負けないように励ます時に使います。始めたことを 最後までやり遂げるということはある程度は必要で忍耐を養いますが、終わってしまうとまた何かに打ち込みたくなり 何か求め始めます。満足できない自分がまたそこにいるんです。人は頑張って何かを克服すればするほど また更に何かを求め始めます。終わりのないマラソンレースを繰り返すように いつまでもいつまでも欲望というものは湧いてきて 翻弄され続けます。
欲望が更に湧いてくるというのはエゴですね
つまり私たちは 頑張るところが違うんじゃないかと思うのです。
もう頑張らなくていいのではないですか?
じゃあ、どうしたらいいでしょうか?
『認める』だけでいいのではないでしょうか。簡単なことなんですけど、なかなかできないんです。
なぜでしょう?それはまだ社会では一般的ではないからです。『自分の劣等感を認める』という行為そのものが社会の基準にないのです。
学校でいじめなどがあるのは 『ダメ人間を認めること』が社会に浸透していない証拠です。
何かに挑戦していないと 自分だけ取り残されるような そんな風潮や恐れが社会にはあります。これまでいかにわたしたちが競争社会の中で生きてきたかわかりますね。
しかし 競争社会が衰退してくにつれて 葛藤や劣等感・罪悪感は減っていくと思われます。
そのときダメ人間は 愛溢れる存在だということが理解されるのかも知れません。
ダメな自分を愛する
素晴らしいことじゃあないですか!
愛を知る絶好のチャンスですね。
ありのままで