家事というのは ずっと流している水道水のようなもので 自分で止めなければ終わりがありません。
「これくらいでいいっか」という ある程度の妥協によって やっと仕事の量が決まりますね。
その中でも『埃』というものは掃除をする方にとっても だいぶ厄介なゴミの一種のようです。
『埃』というのは『百害あって一利なし』なのかもしれませんが それは本当でしょうか?アレルギーを持っている方はなるべく排除した方がいいと言われていますが 本当はどうなのでしょうか?
実際 わかりません(笑)
が…宇宙の視点から見ると 埃も宇宙の一部ですよね(笑)
それなら 一部だと認めてた方が気持ちが楽になりませんか?
例えば正義感のすごく強い方がいます。悪をどうしても許せない性質の人です。正義の味方は悪を倒すことに命をかけます。
例えばすごい悪人がいます。どうしても善人として生きることができません。
どちらも善の側面か悪の側面しか生きることができませんし 悪は善を 善は悪を認めることができませんね。互いに自分の中にあるもう片方の側面に気づいていないからです。善は悪を自分の一部と認め 悪は善を自分の一部と認める。それに気づくことが善と悪の統合であり光と闇の融合であり それをひとつにするのがワンネスです。そして波動が上がりアセンション(次元上昇)ということのようです(分かりにくい?)
一般的に社会では悪(埃)を排除する傾向があるようですが 排除しても悪は無くなるものではありませんね。なぜなら悪を認めていないからです。自己に内在する悪を自分と統合していないからいつまでたっても 自分の中では悪(埃)は悪のままなのです
埃があったっていいじゃないですか…
そんなにキレイにすべてを排除して 掃除することはないのでは?
自分の中に嫌いな自分(悪や埃)がいてもいいじゃないですか?それをひっくるめて自分なのですから(笑)自分の思うとうりの自分になれないからと言って罪悪感や嫌悪感を感じることはないと思います。そんな中途半端でいい加減な自分もありでいいと思います。それが自分を愛するということではないでしょうか?
どんな自分でも自分は自分で あるがままでいい。
埃をためてしまう自分。
それも素敵な自分の一部です。
ためてしまうからといって 自己否定することはないのです。
それができて はじめて他も認め 肯定できるようになるのです。
例えば 子供に言いたくないことまで言ってしまった後の自分。
すごく自己嫌悪になります。私も人の親ですからそんなことはしょっちゅうです(笑)
でも そんな自分も自分の一部なのです。
なので それから 自分を『これでいいのだ』まで引っ張って納得させます。
ま、これも私。仕方ない。後でゴメンネしよう。と(笑)
こんなんじゃダメですか?
神性を現実生活に反映させるということは とても人間臭い作業だと思うのですが…(笑)
何もかもしっかりきっちりしている方に
「埃?そのままでいいよ」
と言っても、簡単に納得はされないと思いますが…
私のようないい加減な者だから 言えることなのかも知れません。
秘訣は 中途半端な良い加減さ です(笑)
善でもあり 悪でもありの自分です
ちょっとマジメになりすぎて 真剣になりすぎているあなた。
ま、いいか。 とたまには妥協し 思考を停止させることも大切ではないでしょうか(笑)
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