数日前、娘の運転ミスによって、愛車が大破しました。誰にも怪我はなく、車だけが大きく破損。
最期まで娘を守ってくれた愛車でした。
ちょうどこのブログを立ち上げた頃に購入し、雨の日も雪の日も私の足になり、子供が病気になった時も、買い物をするときも、いつも共に行動してくれた愛する家族の一員でした。
次女は一年前に免許を取った時も、愛車は練習車になってくれて、ドアを凹ませ、傷を付け、それも修理しました。今では運転も上手になって自分の車に乗っています。
今回上の娘が数ヶ月前に免許を取って、私の愛車はまた練習車となりました。
子供の成長のために仕方ないんですが、最近少し慣れてきていて、乗り方も雑になっていたようです。
数日前に車の乗り方を妹に注意されていたらしのですが、妹の進言を守らずに、ただやり過ごしていたことが、テクニカルな面では事故原因になったようです。
もう運転はマスターしたから大丈夫。というようなメンタル面での『おごり』もまた、こういうことを招くのかもしれません。
娘には愛車が学校生活を支えてくれたこと、おかけで色々な場面で不自由せず過ごせたこと、車に心はないけれど意識はあること。車にかかる費用を父親が負担してくれていたこと。
いつも傍にあることは、当たり前にあるのではなく、たくさんの支えがあって成り立っていること。
成長する過程で大切なことが子供に伝わらないことってありますよね。そこを知ってほしい…ということが…。
今回愛車は廃車になってしましたが、私が娘に伝えたかった大切なことを、身を持って教えてくれました。
経験はお金では買えないものです。そしていつも当たり前であることを失って、初めて気付くこともあります。
ちょっと高い代償ですが、車は娘が買うことになりました。これは娘にとっては願ってもない、いい経験になると観じています。
愛車を失い、家族を失ったかのように傷心している私に、友人から優しい言葉をいただきました。
それはもう寿命だと思って諦めるしかない…と。
はい、おっしゃる通りです。
心に染みる言葉に心から感謝。
愛車に捧げる薔薇の名は『ライラ』私の故郷と同じ名です
あるがままで