さて管理人は、この段階の意識レベルをこの後に及んでまだ書かなければならないことを残念に思っています。
こういう次元が地球にまだ残留していることが残念です。
地球は本来ならばもうとっくに金融システムもリセットされているはずなのですが。
三次元的な世界に洗脳されていることの進化の停滞。
好き嫌いで人格を判断するレベルの低さ、あの人は嫌われているとか、いい人だからとかいう狭い視点による偏見。
まるで中学生女子のレベルです。
そんなことの判断の中で大の大人が日常を暮しているのです。
宇宙法則によって、類は友を呼ぶのですから、そのような意識レベルと同等な人を集め人生を形成創造しているということです。
一事が万事です。
宇宙ファミリーの援助介入にも限度があるのは当然でしょう。彼らはベビーシッターではないのです。
嫌われている人とかを選定しレッテルを張り卑下するその偏見に満ちた思考。
そもそも嫌われている人が、嫌われ役を演じていることの意味を理解するための心の柔軟性。 嫌われいるという人の背後にあるエネルギーを察する洞察力。どれをとってもスピリチュアルな気づきと魂の学びには必要なものです。
世の中に洗脳された思考のもとにある"いい人"ばかりで、どこに学びや気づきのチャンスが得られるのでしょうか。なんのための現象界なのでしょうか。
嫌われ者になることに恐れを持っているから、嫌われ者を愛せないのです。
分離した思考のもと、起こる出来事を自分の日常にリンクさせることは不可能なのです。
またオブラートに包んだ表現は、一見優しく聞こえますが、とても難解ですよ。だから私はあえて率直にかきます。分かりやすいように。
しかし人間というのは真実を率直を伝えられることを嫌います。
なせならそれは、自分にとって本当のことであり図星だからです。触れて欲しくないことなのです。
そうなると、心の闇は全力でその真実に、悪者としてのレッテルを張り排除に掛かるのです。心の闇に支配された者の単純な行動パターンですね。
腐ったプライドを捨てられず、ネガティブな思考に支配され、自分を限界のある存在に貶めているのは誰でもない自分自身なのです。
~でなければならないという固定観念に自分を雁字搦めしている人ほど、レッテルを張りたがるし限界をつくるのが好きです。
その方が楽だからです。形式どうりにマニュアルどうりにすればとりあえずの成果が見込まれると教え込まれていて、恐れがあるのでその域を脱せない。
法則に照らし合わせみても、この社会では、自分が変わらなければ、例えば水道光熱費も上がるばかりなのです。
自分が変わらなければ、自分の暮らす世界は見方も形式も何も変わらないのです。
なぜなら、私たち一人一人は自分の人生の創造主だからです。この理解に達するまではかなりの気づきが必要とされるようです。なんちゃってでスピリチュアルをかじっている程度での成果は、実にそれなりなのです。
また例えば夫婦・男と女。家族。
好きだとか嫌いだとかのレベルを超えて家族になり、いい時ばかりではありませんね。どんなことがあっても世間に後ろ指さされても、支えて守っていくことが夫婦であり家族というものではないでしょうか。
それを貫徹完結できて、初めて夫婦愛・家族愛と言えるのです。
社会のルール違反をしているからとか、周りから嫌われているから愛せない…など…というのは、何と浅はかで器の小さいことでしょう。連続昼ドラのシナリオにも使えません(笑)
そんな幼稚な人間にさえも、野に咲く花にも、神は平等に愛を施し生かしてつづけていますよ。
救い主が自分自身であると気づくように、神はひたすら愛し続けてくれるのです。
神からかけ離れている存在の中にも、すべての存在の中に神はおあすのです。
しかし魂たちがこのように稚拙な心の闇に染まってしまうのは、やはり愚民化を促進している、低次元の波長で固定されたテレビの影響は大きいのでしょうね。
テレビにチャンネルという次元に合わせただけで、意識はそのチャンネルにロックオンされてしまうんです。
テレビで流されている捏造された虚像に、それをただひたすら真実として、現実だとしがみついている大人たちは
地球アセンションには、無関係なのかも知れません。
幼稚な思考が幼稚な人生を創造する。賢者はこの宇宙法則をポジティブな人生創造に利用します。
成熟した思考が、成熟した人生を創造すると…
あるがままで