夜が明けて降り出した雨が起きてもまだ降っている。
1日に平均11人が事故で死んで、1日に平均70人が自殺しているこの国で今日もみんな頑張って生きている。
外に出れば、合法的な殺害兵器である鉄の塊がブンブン走っており、2時間置きに1人事故で死んでゆく。
20分置きに1人ずつ自らこの世を離れる。
昨夜見た二つの事故の映像、あれは二つとも自殺なのではないかと思い始めている。
認知症や飲酒やドラッグの可能性も考えられるが、大型トラックと大型トラックの間、
大型トラックの車輪の間に自ら入り込んでいくというのは、あれは計算尽くなんじゃないかと。
あれがもし乗用車だった場合、相手側も被害は大きくなる。
しかし車高のかなり高い大型トラックならあんなものは屁でもないんじゃないか。
相手に出来うる限り被害は与えたくないが、事故で死にたい人は
大型トラックの間か大型トラックに突っ込んでいくのが一番だろう。
事故で死ねたら保険金も降りるかも知れない。残していく家族のことを思ってどうしても事故死に見せたい人は多いのではないか。
そう考えると悲惨な事故の映像も感動的に思えてくる。
あんな悲惨な死に方を選んでまで家族のことを想ってたのかもしれないと思うと。
乗用車に突っ込んで行くより大型トラックに突っ込んでいくほうが何十倍と死ねる確率は高い。
もし失敗すれば半身付随などになって最悪なことになる。
どうしても成功させなければならない。
そうすると一番成功させやすいのが、昨日見た映像の事故の起き方、普通では考えられないような事故になる。
一つ目の映像は広い道路だから多分日本じゃないと思うが、
ものすごく大きな車輪の並ぶタンク型ではない平ボディの大型トラックのその車輪部分に
少し離れたところからおっちゃんみたいな人が乗った小さなバイクが横から
普通に走ってって車輪の下に入って動いた車輪に巻き込まれるという事故の映像。
見るからにまるで車輪部分に吸い込まれるような形で突っ込んでいってる。
正常な感覚を持った人間が起こすような事故ではない。
正常な脳の感覚を失っていないと起こりようがないと思えるような事故。
ただ認知症のような症状だったのかもしれない、アルコールやドラッグで脳がおかしくなっていたのかもしれない。でもなんであんな遠くの場所から車輪部分目掛けて突進していくのだろう?
北野武が94年にバイクで事故って顔面がえらいことになったあの事故はもしかしたら自殺をしようとしたのかもしれないと言っていた。
たけし、「バイク事故は自殺だったかもしれない」と語る。(26)「北野武 神出鬼没」北野武×蓮見重彦
もう一回同じ状態にいくんじゃないかとたけしは心配しているようだ。
酔っ払った頭でバイク乗りながら一瞬自殺念慮が起こってその瞬間かその一瞬のあとに事故が起こることってあるだろうなと思う。
酔っ払ってバイク乗っててふと自殺したいという思いが沸き起こった瞬間に
ちょうど目の前に大きな車輪が並ぶ光景が目に入るか、それとも酔っ払って
バイク乗ってて目の前に大きな車輪が並ぶ光景が視界に入った瞬間にふと、
あ、自殺したいな、という気持ちが沸き起こるのか、どっちもあり得ると思うが、
そうなってしまうと脳が正常な感覚ではないのでまるで吸い寄せられるかのように
車輪部分に突っ込んでいってしまう。というのは至極納得が行く。
恐ろしい話だが人間の脳とは脳内成分の働きによっていとも簡単に操作されるかのような行動をとってしまう。
普段死にたいとは思わない人であっても無意識に潜在意識の中に
潜んでいた自殺念慮がアルコールや薬やなんらかの脳内物質の異常によって意識下するか、
もしくは無意識下であっても行動に移ることがあるのではないか。
だからアルコールや精神系の薬を摂ったあとに自殺する人はかなり多い。
ストレスが休みなく続くようなこの国では特に、ふと脳が緩んだ瞬間に楽になりたいと思う人は多いんじゃないか。
ここで脳内物質の異常と言えば現代病の鬱があることも忘れてはならんだろう。
鬱は脳内物質が異常になる。
なんかおでんみたいな匂いが流れ込んできてお腹がすいてしまったが続けよう。
まだ起き上がってないので布団の上でずっとスマホで打ち込んでいる。
脳内物質が異常になっているのは確かなので、鬱状態にある人は正常な脳の状態にあるとは言えない。
私自身が鬱とははや15年以上は付き合っているので、鬱と事故の危険性について言いたいと思う。
鬱になると、感覚が普通とは変わって、ボーッとする。
脳がまともには働いてくれてないので何かを理解するにも普通の何十倍ほどの時間と労力を必要とする。
これは言葉だけでなく、空間にある物事の存在の理解にも同じように労力がかかる。
例えば鬱の状態で外を歩くと、道路の向こうから車が走ってくるのは見てわかる。
ああ車がだいぶ先のほうにいるからここで渡れば大丈夫だ、というのはわかる。
しかし終始ボーッとした感覚があるので、そのボーッとしたのは行動に勿論反映して、
自分では普通に早く歩いてるはずが実はものすごくゆっくりと歩いていたということが起きてしまう。
だから鬱が酷い時は歩道を渡っては行けない。
自分も何度か車が走ってくるスピード感覚を捉えられず渡ろうとしてぶつかりそうになったことがある。
実際のろのろと曲がってきた車に軽く当たったこともあった。
自分はその危険性を十分わかっているので外だけではなく家の中でもものすごく慎重にいちいち行動している。
無意識で行動することのないように一日中ほぼ意識的に生きている。
例えばお湯を沸かしてお茶パックを鍋に入れる時も自分は今からこのお湯にお茶パックを入れるのだ。
熱湯に気をつけねばなるまいぞ。と神経を張り巡らせながら沸いた湯にお茶パックを入れる。
そうしないとついボーッとしながら行動してしまい様々な危険が起こり得る。
しかしこれもあんまり鬱が酷いと通用しない。
そういう時はお酒をくっと飲んで料理したりするがこれはこれで危ない。
アルコールも精神医薬も脳内物質の異常を脳内物質の異常で誤魔化しているに過ぎないので、
それを続けることは脳内物質の異常をさらに引き起こすことになるとわかってはいるのだが、
これが苦しいものだからやめることができなくなるというわけである。
ちなみに私は薬の類いはもう一切飲んでいない。
よっぽど苦しくて寝れない時期は漢方薬の抑肝散を飲むことがあるくらいである。
自分は副作用もなくスッーと心地良く眠れる。
自殺念慮の起こる時も脳内物質の異常が起きている。
これも平常感覚とは違うボーッとした感覚にある。
現実感覚の欠如、夢の中を生きているような感覚、そんな状態の中、
車やバイクなんぞに乗ったら一体何が起こるか?
二つ目に見た事故の映像、これは轢かれて血飛沫が飛ぶとかいったグロテスクなものは何もなかったが、
精神を病むような悲惨な事故の有り様だった。
乗用車の後ろからカメラを撮っていて、乗用車の前には大型トラックが止まっている。
乗用車は一体何を考えたのか後ろから車がそこまで来ているにも関わらず右へ
車線変更の為に右側の道路へ移動しようと乗りかける。
そしてまず右側の道路の後ろからやってきた乗用車とぶつかる。
そしてすぐ後に続いた大型トラックにもぶつかって、乗用車は自分の元いた車線の前に止まっていた大型トラックと後ろから突っ込まれた大型トラックに挟まれながら突っ込んできた大型トラックと一緒に前へ運ばれるにつれて車の幅が4分の1くらいになってしまう社会死状態は決定的な映像だった。
瞬間的な事故だから即死だと思うが、これは一つ目のグロテスクな映像よりも精神に来るものがあった。
私はその映像を何度目かに一時停止しながら見てみたが、ああこの時はまだこの車の中の人は生きてるんだなと思うと悲しくてならなかった。
一瞬の後にあんな悲惨なことになってしまうんだと思うとこの世の不条理に虚無を感じもした。
どんな子供時代を過ごしてどんな人生を歩んできたんだろうと思った。
なんで後ろから車来てるのに車線変更しようとしたんだろう?
大型トラックが前にいる、そして後ろの後ろに大型トラックが来た、
よし、今右へ車線変更すればこれは確実に死ねるだろう。そう計算して右へ寄ったのだろうか。
ボーッとした感覚状態の中に前に止まっている大型トラックとバックミラーに大型トラックを捉えた瞬間、死のうと思って右へハンドルを動かすのはおかしいことではない。
ただドン!と当たって頭を打って死ぬという事故ではなく、あんな原型を留めないような凄惨な死に方を何故しないといけないんだろう。
どうしてあんな凄惨な死に方をするかもしれないのに車は売れ続けているんだろう。
想像力の欠如?いや、違う、本当のことを誰も見せないからだ。
本当の恐ろしさを学校でも教えない、車がどれだけ悲惨な事故を生んでいるか、本当の現状を見せて警告する人があまりに少ないからだ。
乗らなくても別段いい人まで車に乗っている。便利だから。楽だからと。
車が多いほど事故は起きやすい。
多くの人がアメリカの銃を規制するべきだという考えを持っているようだが、日本で2時間に1人死んでいる事故の原因である車を規制したほうがいいという声は滅多に聞かない。
まるで交通事故は病気と並ぶような死因だとみんな思っているのだろうか。
病気はあんな血飛沫が飛び散って肉片や脳みそが道路に転がったり、原型を留めない死体などを子供が見てしまったりするようなことは起きない。
どうしたら車を減らしていくことができるんだろう。
この先何度人の手によってグロテスクな遺体を片付けていかなくてはならないのだろう。
ちょっとやそっとの事故が起きても大丈夫な頑丈なボディだと唱って新製品を売る。そんな頑丈な車体にぶつかった為死ぬ人のことは考えないのだろうか。
人間が便利で楽しい車というものの為にあんな悲惨な死に方をしてほしくない。
人間はそんな便利さや楽しさよりずっと大事なものなんだ。