生後3か月 掘っ立て小屋入口の少年は子守り役の従兄
生後5か月 母に抱かれて
わたしは1938年の10月ブラジルの密林開拓直後の掘っ立て小屋で生まれた。
わたしの記憶は3歳ごろに始まる。
最初の記憶は、新築の家と風呂小屋を背にして母親に抱かれていて、母が雇い人に言った言葉である。
「子供の前で・・・」
当然そのころには掘っ立て小屋は跡形もなかったのにわたしはその内部を鮮明にイメージできる。小屋の写真は上掲以外無い。
6畳ほどの土間1間でかまどと床式ベッドが一つあった。
壁は丸太の木の二つ割を立てて並べただけで屋根は椰子の葉ぶきであった。
精神未熟な1,2歳児にそれを見て記憶できたのだろうか? 見えるはずがないのにイメージできる不思議! きっと精神が想像して定着したイメージを記憶と錯覚しているのだろう。
話が飛ぶが、川渕三郎氏が若かりしころ合宿先のドイツのスポーツシューレで見て衝撃を受けた碑文にはこう刻まれている。
「目は見ることができない。ものをみるのは精神である」
これがJリーグ創設につながった原点の哲学である。
そしてふえんされて全国で日々の指導で生かされているはずの指導原理である。
「足は蹴ることができない。蹴るのは精神である」