自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

香港/砲弾と拉麺

2012-03-13 | 体験>知識

開戦時から敗戦まで日本占領下にあった香港でも日本人乗客は上陸厳禁だった。
わたしは一人勝手に下船して岸壁でめぐりあった香港青年と言葉を交わした。
対岸の山腹に日本軍が15サンチ砲を据えて盛んに砲弾の雨を降らせてきた、と
聞いた。
香港は世界三大美港の一つと聞いていたがデッキに出てその美しい夜景を愛でる
日本人の姿はなかった。
寒さが募ってきたせいもあるが、戦中、ひそかに短波放送の大本営発表で心を踊ら
せて聴いた地名のセイロン、マレー半島、シンガポール、香港に寄港するたびに、
乗客たちは益々心が沈んで誰もが無口になって船中にこもるようになっていった。
もともと乗船した時から戦争と政治の話はいっさい出なかった。
この香港で食べた「ラーメン」ほど美味しいラーメンを今日まで食べたことがない。
日本ラーメン発祥の地久留米で育ち鹿児島から北海道まで行く先々でラーメンを
食べてきたわたしがいうのだから間違いない。
いや、食味は個人固有のモノだから余人にも当てはまるわけがない。
かなわなかった恋と同じく二度と巡りあうことがないから忘れがたいのだろう。
やや沖に停泊している船に、はしけに乗って売りに来たのは水上生活者であった。
彼らは陸上に家がない被差別民だった。
今では彼らは中国の近代化の波に乗って陸に上がったことだろう。
船上から籠を吊り下ろして買った湯気の立つラーメンの忘れがたい味!
何を出汁にしたのだろうか?
全く想像がつかないところが私にとって幻のラーメンたるゆえんである。



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