一昨日から、息子の住むところへ遊びに行ってきた。
その前に息子が帰ってきて、学校があるため先に帰っていった。
次の日に、冬支度のための荷物を車で運ぶため夫婦で息子のアパートへ赴く。
そのあたりは観光地も多く、夫と二人で色々散策していた。
調子が良いわけではなかったけれど、思い切って出かけようと思った。
夫は私を心配して、近所の年配女性から同じような経験をした人に相談をしていたらしい。
そして、「母親と息子と二人の時間を作ってあげて!」
とアドバイスされた夫。
荷物を運び入れて、観光して夕方ごろにはインコのピーちゃんと先に帰っていった。
昼間、歩き回っていたためもうエネルギーが尽きたぐらいだったけれど、
可愛い息子と二人になれて、嬉しかった。
夜ご飯はちょっと豪勢に焼き肉を食べて、近所の銭湯へ出向いた。
もうくたくただったけれど、楽しい時間だった。
そして、露天風呂に浸かっていたら、年配の女性が、話しかけてきた。
「見てみて、少し欠けているけれどお月様が綺麗よ」
歳は重ねているだろうけれど、綺麗な顔立ちの品のある女性だ。
「本当に綺麗ですね。湯船に浸りながら月が見られるなんて幸せ。」
と私。
ここ最近、月を見る心の余裕はなかったかもしれない。
二人でそんな会話を少ししながら、しみじみと感慨深い気分になった。
そんな長い日を終えて、息子の狭いアパートで私にベッドを譲ってもらい眠りについた。
次の日は、モーニングを楽しみ、いろんな話をした。
私の心はいつも息子に向かっていたけれど、息子は新しい土地で新しい人たちと新しい生活をもうしていて
すっかりなじみ楽しんで生きていることが分かった。
そして、その心の中には私の存在はもう薄れていることを実感したのだ。
狭い部屋でベッドを譲るのは嫌だと言われ、たびたび来られては困る様子だった。
これはきっと本音だろうと思う。
私は、やっと現実を見て感じて、
私は私の足で立ち、息子は息子の足で立ち
別々の人生を生きているということ。
私の人生をどこかに置いてきてしまって、宙ぶらりんになっていたんだ。
なんだか大好きな人に振られたような気分だった。
でも、それが良かったんだと思う。
自分の人生を歩んでいくとはどういうことか、どんな感じがするか思い出してきた。
心ここになしだった自分が鏡に映ったように見えてきた。
私の人生は私のものだ!!
一体どうやって楽しもうか?
これまでの時間を取り戻し、目の前のことをやっていきたい。
もちろん、それまでの自分とは違う自分でいいのだ。
常に変化しているんだから、それでいい。
一つ一つを丁寧に、生きて、たまに投げやりになったり。
そんな繰り返しが今なんだから、すべてが自分だと受け入れていくこと。
どうにもならないこと、二極化を意識を広げる過程にある。
どんなに辛いことも、いつかは陰と陽でバランスがとれるようになっているんだから。
自然、あるがまま。
言葉は簡単だけれども、実際はそう簡単ではないことばかり、、。
おみくじを引いたら末吉だった。
病は心を安らかにすれば治ると、書いてあった。
今の私の状態を表しているようだ。
安らかとは遠いところまで来てしまったけれど、
揺さぶられながら、次第に安らかになっていくことを願いたい。
愛をこめて♡
END