日々のスケッチ

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中村紘子の「ピアノのおけいこ」

2016-07-29 04:18:08 | クラシックが好き

ピアニストの中村紘子が亡くなった。

若い頃は可愛らしくて女性ピアニストに抱く大衆のイメージそのままの人だったように思う。

 

中村紘子で忘れられないのは彼女がなんとピアノの先生を引き受けたテレビ番組のことだ。

 

今から30年以上前の話だが、

NHKが長年続けてきた小さな子供向けの「ピアノのおけいこ」という番組を終了するにあたり

最後の講師に大物ピアニストを招こうということで中村紘子に依頼したのだ。

 

番組の構成は非常に凝っていて、

オーディションで選ばれた十代を中心とした生徒さんが二曲づつ演奏を指導してもらい

毎週のそのお稽古の様子を放送した後、

最後に全員が一堂に会して演奏を披露し、

それが全体で一つのピアノコンサートになるように選曲と演奏順が決められているというものだった。

 

曲目は、私の記憶があまり定かではないのだが、

一曲目はシューマンの「謝肉祭」、

その後、ショパンの「ノクターン第二番」と「スケルツォ第三番」、

ベートーベンの「ピアノソナタ 月光」などが順番は忘れてしまったのだが続いて、

最後はリストの「メフィスト・ワルツ」だった。

他にも何曲か演奏されたはずだがちょっと思い出せない。

 

曲目を見て分かるように、

小さな子供が練習するにはレベルが高すぎるので

当然、生徒さん達は音大生とか音大の付属高校の子供たちでほとんどがプロを目指していた。

 

その中で、特に私が印象深かったのは、唯一音楽関係の学校へ通っていない生徒さんで

医学部の学生だった男性だ。

彼は「月光」と「メフィスト・ワルツ」の担当だった。

実家を離れて医大に通っていた彼はこの番組でレッスンを受けるために

大学のピアノを借りて練習したという他の人達とはかなり違う異色の存在だった。

 

その彼の「月光」の最初のお稽古は中村紘子の厳しいダメ出しの連続で散々なものだった。

その時私が最も感心したのは

第一楽章をルバートをかけて情緒たっぷりに弾く彼の演奏を叱って

彼女が言った次の言葉だった。

「ベートーベン(の曲)は楽譜がしっかりと書かれているので、

楽譜通りに演奏するだけで曲そのものが自ら人々に感動を与えてしまう。

だから演奏者は変に余計なことをしなくて良い。」

これにはすごく納得してしまった。

このような心に残る指摘は毎回あって、しかも中村紘子はとてもお話が上手だった。

 

医大生の彼はアドバイスをどんどん吸収して目を見張るほどぐんぐんと上達し、

難曲の「メフィスト・ワルツ」を見事に弾きこなし

最後には中村紘子が拍手しながら「ブラボー!」と賞賛するくらいに成長した。

「あなたはお医者さまになるのをやめてピアニストになるべきです。」

という彼女の言葉は多分冗談ではなかったとおもう。

彼のレッスンが視聴者の私にとってもこの番組で最も印象深く感動的なレッスンだった。

 

この番組を見て以来、私は中村紘子に対して尊敬の念を持っていた。

だから体調を崩して演奏活動を中断すると発表した時も

まさかこんなに早く亡くなるなんて思ってもいなかった。

とても悲しい。

ご冥福を心からお祈りする。