日々のスケッチ

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永遠のマリア・カラス

2005-07-16 01:07:17 | よろずエンターテイメント
映画館もレンタル・ビデオ店も嫌いなので、
映画は専らテレビで見る。
テレビ放送されるまでじっと我慢して待つ。
だからやっと見られた時にはもう随分昔の映画のように感じてしまう

今夜BS朝日で見た「永遠のマリア・カラス」も
2002年の公開当時に話題になった気もするのだが、
何が話題だったのか良く覚えていない。
主人公のオペラ史に残る名プリマドンナ、マリア・カラスを演じた女優が
本物そっくりだということだったかな?

お話は、引退しひっそりと余生を送る晩年のカラスに
彼女の歌う姿を映像として残さないかという企画が持ち込まれる。
しかし、彼女はもう声が出ない。
そこで提案されたのが、口パクで演技をして昔の絶頂期に録音された歌を
最新技術でかぶせた映画を撮るというものだった。
彼女は悩むが結局自分の姿を映像として後世に残したいという誘惑に勝てず
引き受けてしまう。
演目は「カルメン」
素晴らしい演技と映像美に自ら酔いしれた彼女だったが、
試写を見ているうちにこれは嘘だと自己嫌悪に苛まれる。
そして、既に完成している「カルメン」の破棄を申し入れ、
再び世に出ることなくその2年後にこの世を去った。
と、まぁこんな具合だ。

このエピソードは真実の話なのだろうか。
芸術は、音楽や絵画や書籍が形として残るのに、
演じる側のパフォーマンスは長い事記録に残らなかった。
だから、今のように映像技術が発達する以前の名歌手達は
自分ももう少し遅く生まれていたらとさぞや口惜しがっていることだろう。
それだけに、もうピークを過ぎてから映像の時代を迎えたカラスの迷う気持ちが
とても切なく痛々しく思えた。

劇中劇の形をとった映画「カルメン」のシーンはとても美しく
カラスの自宅の豪華さと共に目を見張った。
最後のクレジットでこの映画の監督がフランコ・ゼッフィレッリだと知って
なるほどと納得した。
ゼッフィレッリはプラシド・ドミンゴを起用して「椿姫」の映画も撮っているが
その映像もとても綺麗だった。
私は、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・ハウスで
ゼッフィレッリ演出の舞台を「椿姫」「オテロ」と見たが
いづれもドラマティックで素晴らしかった。
特に、「椿姫」は映画の場面を髣髴とさせる華麗な舞台で今も心に残る。

これまで「カルメン」というお話の筋が嫌で
このオペラを毛嫌いしていたところのある私なのだが、
映画を見てDVDを買って見ようかという気持ちになった。
我ながら単純だなぁ。

それから、ひとつどうしても気になるのだが、
映画の中でマリア・カラスが共演したドン・ホセ役の青年の求愛を
拒む場面があったが、何故なのだろう。
素晴らしくイイ男だったのに。




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