小学校の頃、母の日が近くなると学校でカーネーションの造花を売っていた。
クラスごとに箱に入れられて置かれていたその造花には、
「おかあさんありがとう」と書かれた細長いタグのようなものが付けられ、
安全ピンで胸にとめるようになっていた。
一つ100円ほどであったと思うが私は毎年それを買っていた。
学校から買うように強制された記憶はないし、
買って帰って母が喜んだ記憶もないので、
ただ単に習わしのように買っていたのだと思う。
今思い返すと、あれは一体何だったのだろうと訝しく感じる。
おそらくその造花を学校におろしていた業者からいくばくかのキックバックがあったのだろう。
今なら保護者の一部から抗議がありそうなことだ。
学校で売られていたカーネーションの造花には白い花もあった。
母親のいない子は白いカーネーションを買うようにと言われた記憶がある。
これには子供ごごろに非常に違和感を覚えた。
想像してみてほしい。
教室で売られている母の日のカーネーションの造花には赤い花と白い花があって
親のいる子は赤い花親のいない子は白い花を買えと言うのだ。
その発想の恐ろしいまでの鈍感さに背筋が寒くなる。
そしてそのようなことが学校という場で行われていたことも今さらながらショックだ。
今なら絶対に保護者から抗議がくるだろう。
かつての日本の教育現場はこんな風に随分と鈍感なところだったように思う。
私の母は「⚪️⚪️の日」的なことにあまり関心のない人だった。
子供の誕生日ですら忘れた。
それなのに自分が歳をとってからは自分の誕生日ばかりか母の日までアピールしてくるのだから呆れてしまう。
私はそういう母に育てられたのでやはり「⚪️⚪️の日」的なことに熱心ではない。
だから、最近の若い人が付き合い始めて何ヶ月記念とか言ってお祝いしているのが不思議でたまらない。
私など結婚記念日も忘れているのに(笑)
娘が買ってきてくれた母の日の小さな花。
私の子育て修行もひとつの山を越えたのだろうか。
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七夕も取り上げませんね。
なんか、昔は鈍感すぎて、今は過敏すぎ?
ワタシの子供の頃も、造花のカーネーションありましたね。
白いカーネーションとかも。
買った覚えはないのだけどなぁ、どうだったんでしょうか。
そういえば、赤い羽根の共同募金も、学校ではやらなくなりましたね。
募金した子にだけ、羽根をあげるからなんでしょうけど。なんだかねぇ
思い出すことがあります。
赤と白の差別化はどれほど子供を傷つけたことか。
学校教育の現場で当然のように行われていたことでも
理解に苦しむ事はありますね。
父の日は後付で出来たような気がします。
他の方はどうかわかりませんが、二分の一成人式にも
私はとても疑問を持っています。
お嬢さんセレクトのカランコエは八重咲きでしょうか。
咲き始めるのが楽しみですね。
でも買った記憶がないということはもうその頃には子供たちもみんな買わなくなっていたのでしょうね。
妙なものでした。
かつての学校現場が子供の人権や心の問題に鈍感だった反動で、今度は文句が出そうなことは何でもかんでも排除するという状態なのかもしれません。
いろいろな事情に配慮しながら子供たちに学校生活を送らせるのは本当に知恵のいることですから。
それなのに先生という名の付く方々が何とも思わなかったというのが何とも腹立たしく情けないです。
ところで、その二分の一成人式といういうのは何でしょう。
まさか10歳でも晴れ着を着ましょうという呉服店の陰謀に踊らされているとか?
私は20歳の成人式も呉服屋さんと役所の結託のような気がしてなりませんが。
カランコエって多年草ですよね?
枯らさずに育てられると良いなと思っています。