高橋大輔 全日本選手権 SP ヴァイオリンのためのソナチネを編集してみました
現代のベートーベンなどとマスコミがもてはやしていた佐村河内守氏が
実は自分では作曲していなかったことがばれて大騒ぎになっている。
全聾だという彼の障害にまで疑惑が生じてなんだかとても嫌な展開だ。
彼を取材したNHKの番組を見た時、物凄く違和感を覚えた。
だから今回この騒動が起こった時も驚くというよりやっぱりという気持ちの方が強かった。
テレビではかつて有名音楽家達が彼の作品と言われていた楽曲に対して贈った
気恥ずかしくなるほどの惜しみない賛辞が晒されている。
彼等は今後どのような態度に出るのだろうか。
作曲した人間が全聾でなかったならば、
あるいは、ゴーストライターとして表に出ないはずの無名の者の作であったならば、
評価は変わってしまうのだろうか。
今回の事件はこの国の大家と呼ばれる音楽家や評論家達が試されているのだと思う。
そして、音楽の素晴らしさとは何かという本質が。
私は異例の大ヒットを記録しているという「HIROSHIMA」という曲に関しては
最後まで聞くことができなかった。途中で聞くのを止めてしまったから。
しかし、高橋大輔さんがSPに使用している「バイオリンのためのソナチネ」には
今回の騒動が起こる前から作曲者が誰かも知らずに惹きつけられた。
スケートの中継では解説者の声が入ってしまうので
曲だけを聴けるように編集したものがyoutubeにあがっていたので貼り付けた。
何度も流れるむせび泣くような旋律の美しさには心が揺さぶられる。
この音楽がスキャンダルにまみれて葬り去られてしまうとしたら
とても残念なことだと思う。
オリンピックが終わったらどろどろした話が次から次に垂れ流されそうで嫌ですね。
新垣氏が音大の非常勤講師を辞めなくても良いようにと学生たちが運動したようですね。
音楽で食べて行くことの難しさを身をもって知っている学生たちの気持ちが切ないです。
ゴーストライターになってしまったことは犯罪でもなければ悪いことでもありません。彼がこのタイミングで発表したことを売名などと非難している人がいるようですが、とばっちりを受けた高橋選手が気の毒とは思いますが、売名と非難されるのはちょっと違うような気がします。
この関連のニュースに目がいくようになったのか
徐々に問題の大きさが露呈してきているのか
やたらと見聞きすることが増えてきました。
今朝は謝罪文が出されましたね。
嫌悪感が強く全文を文字で読む気になれませんでした。
残念な気持ちでいっぱいです。
オリンピックの舞台でこの曲が流れるまでに
マスコミはいろいろことを見つけてくるだろうと思うと
何とも表現できない虚しさに襲われます。
彼の演技とこの曲の哀切なメロディーとが相まって胸に迫りますよね。
ゴーストライターであった新垣氏のことも私はとても哀しく思っています。
だから高橋選手にはケチがついてしまった曲というよりむしろ色々な人の哀しみを背負った運命の曲として滑って欲しいです。
音楽に秀でることは健常者であっても難しいことですから、何かのハンディキャップをかかえているにもかかわらず優れた音楽的才能を発揮している人には、やはり普通以上に賞賛の気持ちを抱いてしまいます。それは苦難を克服した並外れた強い精神と才能に対する心からの尊敬の念でもあるからです。
今回の事件が嫌なのは、そういった素朴な尊崇の気持ちまでが馬鹿にされたように感じられるからです。
ただ、素晴らしいと賞賛された曲が実はごく普通の人間が作ったものであるならば何の価値もないということになってしまうとしたら、それはまた話が違うだろうと思うのです。
高橋選手の今の状態のせいなのか、この曲のせいなのか、彼の演技を見ていると必ず涙がこぼれてしまいます。
音楽だけでなく、何かに対する評価って難しいですね。
他の要素で本質の評価が異なってしまうことはあってはならないと思いますが、人がする評価というのは、なかなかそう単純にはできないのかも知れません。