銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

霞が関ゴルフ場女性・差別問題の本質は、対私いじめの、弾圧の一つだ・・・その⒈、渡辺幸子と栗田玲子

2017-02-04 13:05:10 | 政治

副題1、『2017年2月3日、NHKニュースに、大宅映子さんが、登場したので、すぐさま、私は自分の推察・・・・・これは、私への弾圧だ・・・・・特にスタップ細胞疑惑について書いた文章を否定する為の謀略だ・・・・・が当たっていたことを確信した』

 

 この・・・・・霞が関ゴルフ場の、女性が、会員になれないので、オリンピック会場にしてはいけないのだ・・・・・という問題ですが、三日間ぐらい(=2月1日ごろからすでに)前から報道が始まっていたわけですが、すぐさま、私のブログ潰し用ニュースだとは、判りました。が、確信が持てないので、何も書かなかったわけですが、2月3日に入って、NHKニュースが、・・・・・小池都知事に、要望書を提出する、大宅映子さんの、姿を映し出した・・・・・ので、確信に至ったのです。というのも、この章で最重要人物として私が詳細にそのエピソードを語り始める渡辺幸子さんと、大宅映子さんは、友達である可能性が強いのです。年齢が同じで、国際基督教大学入学が、1960年で、同時だった可能性が高いのです。

 この部分を書いてのちに、大宅映子さんのwikipedia を調べたら、半年の差で、誕生日が来ていて、大宅映子さんの方が後で生まれたが、同じ学年であることは、推察通りでした。渡辺幸子さんのwikipedia があるかどうかは知りませんが、彼女が、1940年の八月生まれであることは、仲が良かったころに、私が、彼女から直接に、聞いております。国際基督教大学は、一学年が、4月期入学組は、250人前後だと、覚えておりますので、当然に、知り合いでありましょう。そして、石塚雅彦さん、およびその奥様の仲立ちで、卒業後は、以前より深い友達になって居ると、思います。

 で、私がそれに気が付くまいと思われて、今回は大宅映子さんが使役されているわけですが、気が付かれてもいいのだと、腹をくくって、彼女が使役をされて居るのかもしれません。そうなると、そこから、スタップ細胞疑惑に入って行かないといけなくなるのですが、今章では、そこまで、書き進め得ませんでした。最初から最後まで、何故、ゴルフが問題にされたのかという論点で、終始しています。で、総タイトルから、スタップ細胞疑惑と取り去るという形で、夜の11時半に変更をしております。

 しかし、ビビっているわけではなくて、最初の総タイトルに、表現したものをこれから先、4日ぐらいかけて、完成していくつもりです。しかし、過去に書いた文章類の、リンク先を探さないと成らないので、相当な時間がかかる見込みです。これは、やまゆり園事件の嘘と同じく、大宅壮一とか、大宅映子を、立派な人だと、信じている人の思いをひっくり返して行かないといけない事案なので、非常に大変な仕事です。そのうえ、前報あたりで、じゅんじゅんと、それを説明をしていますが、人間には、仕事上の立場と、離れた部分で、生きていく、生活者としての、部分もあり、それも、やらないといけないので、ブログに引っ付いているわけにもいきません。2009年ごろは、すべてを放り投げて戦っていましたが、別に、効果もないので、ゆっくりとトライしていくことにしたのです。効果がないとは、どういう事を指すかというと、彼ら、鎌倉エージェントが、謀略を作って、国民をだましていく方向が、ちっとも、おさまらないというポイントを指しています。ですから、私も体力温存に勤め、ゆっくりと、書いていく方針へと、書き進み方を変更したのでした。

 時間を生み出すという事ですが、それは、お金で解決をできる部分もあるでしょう。特に最近ですが、ホリエモンが、自らの生活手法を公開いたしました。そぎ落として、そぎ落として、大切な事だけをやるという方針を公開しました。だが、70歳を超えた私には、雑用を、果たすことが、一種のレジャーともなって居て、精神のリセットをもたらしたり、エネルギー回復させてくれる、重要な手段となっているのです。さらに、整理に関して言えば、それは、終活への必要な道程でもあり、本日も、まず、それを、優先させてくださいませ。それと、ともに、前報やら、その前々報やらに、相当に、突っ込んだ、深みのある事案を書いて居て、そこには、自信もありますので、それらをお読みいただいておけば、幸いです。

  尚、基本的な予習として、国際基督教大学同窓会という、サイトに入って、その中の、【今を輝く同窓生】という頁に下って行って、その中で、渡辺幸子、塩見和子等を、読んでいただいておくと、助かります。すごく立派な成功者たちだと、書いてあります。

 だけど、私に言わせれば、塩見和子さんは、長谷川智恵子女史の、・・・・・障害児は、体内にいる間に、事前診断の仕組みを利用して、間引いてしまいましょう・・・・・という発言を産ませた人物であり、それを、すぐさま指摘した、私へ復讐する為に、新たな、しかも大掛かりな謀略として、やまゆり園事件が起こされたのでした。だから、大宅映子が、NHKニュースに大々的に登場するという事は、やまゆり園事件が、内包する嘘へのサポートでもあるのですよ。さあ、今から、それらを、解明していく、私が、がどれほど、大変なのか、ご推察をいただきたいとところです。

 そのサイトの、URL は、icualumni.com/interview です。昔読んだ記憶に依れば、上記の二人は入っている筈です。今から大宅映子、石塚雅彦、秋山豊寛、などの、インタビューがそこに、すでにあるかどうかを私が、確認いたします。そして、その結果を皆様に、お知らせをいたします。

 ところで、いま、そこを、訪問をして、石塚雅彦さんだけは、無かったという事を知りました。石塚さんは、重要な役目を果たしているからこそ、登場するのを、自分の方から、断っているのだと、思いますね。しかし、秋山豊寛氏(第12回)、塩見和子(32回)、49回(大宅映子)は、在りました。その他に、そこに登場することによって、間接的に、私への弾圧に使わているなあと、感じているのは、

 第3回の、高村薫、第4回目の、鏡リュウジ、第22回目の、平田オリザ、第25回目の、姜尚中、他、いっぱい例がありました。が、現在問題にすべき人物は、塩見和子、渡辺幸子、大宅映子、秋山豊寛の、四氏です。四氏ともに、現代の、日本国家においては、素晴らしい成功者です。が、それらの名士を使って、「どうだ、参ったか! お前はごみのような存在だから、何を書いても無駄なんだ」という方向で、謀略を作り出しては、その嘘が齎す弊害によって、責められている(または、攻められている)のが、私の現状です。

 まあ、2007年ごろに比較をすると、改善をされている点は、ありますね。昔の事ですが、一回、そのICU出身有名人のサイトへ訪問をすると、たった、30分後には、既に入れないという事が、私のパソコンで起きていたのです。本日も、夜の11時に続きを書く予定がありますが、もし、それを、やらなかったら、このパソコンで、何らかのシステム異常が起きているという形で、又もや、激しい弾圧に、私が出会っているということになります。したがって、私が書いて居ることは、すべて、正しいのだと、言う事となります。では、8時間以上の中断を入れます。悪しからず、ご了承をいただきたく。と、書いて別用をやっておりました。

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副題2、『なぜ、ゴルフというフィールドが、今般謀略の場所として選ばれたか?』

 霞が関カントリークラブという会場に、いちゃもんをつけてきたのは、国際オリンピック委員会だそうです。ところで、今は、2017年の2月4日の夜9時半ですが、長時間、休憩を入れたのにもかかわらず、パソコンは無事に開き、このグーブログのテキストボックスにも無事にたどり着くことができました。

 どうして、それが可能だったかというと、一つには、この謀略では誰も死んでいないという事があります。それで、私の過去ブログを精査している鎌倉エージェントたちは、そのポイントで、今回の謀略は、安全だと思って居る可能性を感じます。いままで、周南事件から始まってシャルリーエブド事件など、数多い犠牲者(死者)が出てきました。スタップ細胞疑惑など、学問の世界の事だと思って居たのに、笹井さんという犠牲者が出ました。あの方も他殺でしょう。自殺と喧伝をされて居ますが、他殺だと、思います。それは、ギャラリー山口のケースとそっくりな手法です。

 それで、『今回は、何を書かれても、自分たちは大丈夫だ。助かるさ』と、思って居る連中のことは、いろいろ、すでに書いて居ますが、鎌倉エージェントとして私が、くくっている人たちです。『ともかく、なんとずるくて、汚い精神の人間たちである事よ』と、驚嘆しきって来ましたが、今般だけは、確かに、死者が、出ていない事案です。霞が関カントリークラブの方で誰かが責任を取って、自殺をしたりしたら、それが、犠牲者となるのかな? 

 それに、霞が関カントリークラブを会員として利用する人とは、数としては、ごく少数であり、問題が、日本国民全般のものとしては、敷衍化して行かないだろうと、起案者たち自身が思っているので、私のパソコンが、無事だった模様です。ただ、今般の謀略は、国際基督教関係者が、多数加わっているので、その中の、加害者側の一人である、古村浩三君がたぐいまれなるゴルフ好きなので、それで、こういう謀略が起きた可能性も感じていて、それゆえに、パソコンが壊れるだろうと、見ていたのです。古村浩三君というのは、最初期(1960年代から)システムエンジニアとして、働いている、存在で,2011年の第一次フェイスブック時代に私のパソコンのシステムに侵入していることが、推察される人物でした。それに、古村君を助けるために、なりすまし疑惑というのが起こされ、ほとんど、冤罪に等しい、片山祐輔君というのが逮捕され収監されているのかな? 気の毒に。

 ただ、今回は、予防線を張って老いたので、安全にパソコンが開いて、ブログを書く事ができる模様です。

 ところで、何故、ゴルフ場だったのか? という点の、二つ目の答えは、私がゴルフを一切しないので、「お前には語る資格がないよ」と、例の連中が、思って居るのが見え見えに判ります。で、連中は、私を疎外したところで、弾圧を可能にできると考えているでしょう。でも、これが、謀略であり、対・私への弾圧であることは、この章の総タイトルの右横に、文章が完成した印である、△印がつく頃には、はっきり表現できるはずです。そして、その持論に対して皆様もご納得の頂ける傍証づけも、できるでしょう。今でも、頭の中だけでは、それが、できますが、過去に書いた文章を再利用したいので、それを探すのに時間がかかるので、四日間ぐらいかけて書きますと、言っているのです。特にスタップ細胞疑惑に関しては、あっちこっち、分けて書いていますので、探すのが大変です。

 さて、何故、ゴルフが選ばれたかですが、私が上の方で、「それを、予習しておいてください」と語っている渡辺幸子さんという、国際基督教大学で学んだ女性が、ゴルフに関係があります。彼女が重んじられているポイントは一応は、美術です。ただ、ご主人がゴルフ用品の会社の社長です。

@@@@@@ここまで、一回目の推敲が済んでおります。

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副題3、『この霞が関カントリークラブの問題は、渡辺幸子さんが、2003年の二月に、私に喧嘩を売って来たことがその発端であろう。そのいきさつを、再度、書かないといけない』

 彼女は酒井忠康氏の、審査によって、青木繁大賞展の大賞を取っています。だから、国際基督教大学の輝かしい卒業生という事となって居ます。そして、今では、卒業資格が与えられていますが、実は、中退の筈です。しかし、いつも、私が言っている様に、すべては、さじ加減一つなので、彼女を、対、私のライバルとして持ち上げるために、非常に早い段階でこのサイトの登場者として選んで、インタビューを行っています。が、そのためには、まず、正式な卒業生でないといけないので、彼女はすでに、卒業したこととなって居ます。つまり多大な時間とお金の部分をプレゼントされているというわけです。どうして、そうなるかというと、私が、非常に大物なので(苦笑)、それに対して、彼女が喧嘩を売って来たことが、あるので、三段論法で、彼女の方も、重要人物となって来るからです。

 喧嘩とは何かというと、絵が、上手か下手かという点で、起きています。彼女が思っていた以上に私が絵が上手だったので、パニックに陥った彼女が、強烈ないじめをして来たことが、最初の原因です。銀座の小松アネックスの三階にあった、望月画廊での、グループICU展の2003年度版だったと思うのですが、そのさなかに、彼女の方から、喧嘩を売ってきたのです。まず、画廊内で、私のバッグをソファーから床に払い落したり、裏では、電話戦略で、芳名帳のコピーを渡さない作戦に出たりして、私が困ることを、いっぱいやられました。

 そのいきさつについては、詳しく書いたブログがあるので(後注1)、それを探さないとならないので、私の方が、大変なのです。というのも、その章は、有名な殺人事件が起きた時に書いたものではないので、すでに、ブログ開始後9000日が経過していて、公開したものだけでも、4000本近くあり、非公開を入れると、5000本近くあるこのブログの中から、それを探すのは、非常に時間がかかるからです。

 ところで、何で、彼女から喧嘩を売られたかというと、そのグループ展の前に、何度も個人的な電話を交わしていて彼女の方から、田沢茂先生に関する愚痴とか、所属している湘南地方の、女性画家グループ内での噂とか、聞いていたのですが、その中に、「グループICU展など、大切にも思って居ないのだけれど、社交上必要だから、出品しないといけないのよ。で、鎌倉美術家協会展に出したのを回すわ」と、言う文言があったのです。それに対して、私は否定もしなければ肯定もしないで、ただ、淡々と聞いているだけでした。彼女は非常に激しいレベルで、画家として出世したいと、思って居ます。一方で、私の方は、画家としてよりも、考えることが大好きで、それは、文章に落とさないと、前に進めない仕事だから、1998年以来、文章を書く事に凝っていました。特に少数ですが、私の書いたものを読んでくれている人があると、言う思いは、心躍る経験を与えてくれて、毎日、そちらを優先する時間の使い方をしておりました。そして、パソコンを使わないと言う渡辺幸子さんにもプリントアウトを郵送する形で、送っておりました。それが、【黄色いさくらんぼ】というタイトルで、本屋で、売らなかったのに、そして、500部程度しか出回っていない筈なのに、アマゾンで、10800円の値段がついているほど、面白いエッセイ集なのですが、彼女は一切読んでいないみたいで、「どうして、こんなことにお金を使うの?」と不思議がっていました。つまり、二人の間では、金銭感覚がまるで、違っていたのです。それも誤解を生んだ一つの要素です。【黄色いさくらんぼ】は、その金銭感覚の違いを、ニューヨーク在住の二人の有色人種系版画家を、主要な登場人物として、描いているものです。

 今、NHKの朝ドラ【べっぴんさん】で、主人公・すみれさんが、他人の、心が理解できないという問題を語っていますが、私もね。金銭的には、まるで、他人の事情や苦しみが、当時は、判らない人間で、やりたいことには、お金を使うのを惜しまない人間だったのです。が、そういう考えで、莫大なお金をニューヨーク滞在中に、版画の材料や、昼食に、使っていたので、毎日、サツマイモ入りの蒸しパンだけを食べていたらしい、エドゥアルドという版画家を、傷つけていたのだと、言う事に、後で、気が付くのでした。特に、彼が、私が帰国後、たった、9か月で、しかも、61歳で、亡くなったことを知らされたのちに、気が付くのです。そういう劇的なストーリーを含むエッセイ集なのです。
 ストーリーは、もう一つあって、ニューヨーク一古い、しかも、立派な版画工房が、日本人女性版画家、ミミの、本音としては、「自分はただで、そこを使う様にしたい」という狡猾な、たくらみにより、誰もが、使用料が払わなくなったので、つぶれてしまい、エドゥアルドにとっては、毎日、行く場所(一種の家庭だった)と、摺師としての収入を失ったのでした。それも、彼の急逝につながったと、思うのです。そういう二重の劇的要素を含んだ、エッセイ集なのでした。

 しかし、渡辺幸子さんは、自分が得になる事しか時間を割かないので、そんなものを読む暇はなかったみたいで、私がすべての物事に対して、深い洞察力を持っていることなどは、理解ができなかったみたいです。で、喧嘩する前までは、私を、バカに仕切っていたみたいですが、突然に、私が才能のある画家としての側面を、その時のグループ展で、示したので、焦ってしまって、パニックに陥り、ともかく、いじめることで、自分の気を晴らそうとしたのでした。それって、最近連続して書いて居る柳沢昇(かまくら春秋窯主宰者)の傾向とそっくり同じなのです。単純すぎます。渡辺幸子さんは、絵描きとしての出世だけに目を向けていて、哲学的な事とか、を考えたことはないみたいです。

 その喧嘩のことを解説する前に、渡辺幸子さんと、共通する話題として、仲良しだった時期に、よく話の中に出てきた、「美大卒ではないので、新制作でも、国展でも、出世ができない」という問題について、語らないといけません。それですが、もし、若くて美人だったら、会員になれる可能性があるかもしれませんが、私や渡辺さんの様に、50過ぎてから、中央画壇に出て行った人間にとっては、会員になる見込みが少ないのです。しかし、最近は、工房団体展の人気が低くなっているので、却って楽かもしれないし、渡辺幸子さんは、国際基督キリスト教大学を、実際には、卒業は、していないのに、CIAさんたちのご支援を得て、新制作の会員にすでに、なって居るかもしれません。しかし、私のパソコンでは、そのサイト(=新制作の会員情報)が開かないので、今のところわかりません。

 私の方はすでに、その2003年の時点で、会員になることは、すっかりあきらめていて、国画会への、興味を失っていて出世する気持ちがなかったのでした。しかし、女流展というのにも出していて、過去には、毎日展とか、上野の森大賞展とか、神奈川県美展(県民ホールで開催される方)などの、コンクールにも出品入選していた私は惰性で、大作は描き続けていて、その望月画廊での、グループICU展でも、手持ちで、100号Sという作品はありました。それを、国展に出品しないで、こっちに出そうとしたのが、大きな誤解を生んだのです。つまり、『自分が、小品(8~10号程度)を出すと言ったのを、出し抜いて、いいものを出した。だから、自分の方が目立とうとしているのだ。私を、裏切ったな』と、彼女は思ったので、怒りに駆られたのでしょう。

 特に、1997年までは、私は渡辺さんと、似たような生活態度で暮らしていたので、渡辺幸子さんは、私が彼女と同じ様な、希望を持っている存在だと、誤解をしていたのです。

 彼女の希望というのは、画家として、有名になるという事だったので、多数の公募団体展と、コンクールに出品をしておりました。特に、似ていたのは、彼女は当時、新制作展に、連続出品をしていて、私の方は、国展に連続出品をしている時期で、それが似ていました。まだ、六本木の新国立美術館ができていない時期で、両団体展とも、上野の都美館で、展示をしていた時代です。また、公募団体展に出品をしていて、まだ、会員になって居ない時期には、複数枚、100号以上の対策を準備しないといけません。で、私の方は、だいたい、年間、7枚は描いて居ました。彼女も年間、五枚~10枚程度は大作を描き、10号程度の、作品もあっちこっちに出品するために、作っていたと、感じています。で、電話をかけても、受話器を片手で持ちながら片手で、ブラシを動かしていました。夜の10時でもそうでした。

 ところで、私は内心では、自分の方が画家として上だと、思っておりました。(笑い)それは、国画会の国展に出品し連続入選するにしても、誰の指導をも、受けていなかったからです。そのうえ、渡辺幸子さんよりずっと早く、1981年と、1994年に、銀座の、広い画廊で、既に個展をしておりました。

 ところが、渡辺幸子さんの方は、新制作展に、出品をするにあたって、一から十まで、田沢茂氏の指導を受けていた時期なのです。どうしてそういう事になるかというと、彼女は趣味で油絵を始めたのですが、そういう人の登竜門として、鎌倉美術家協会展に出品をし入選をしました。そういうところに初出品で初入選をした人を、美術評論家で、狙いうちにして、自分の顧客として取り込んで行く人もいるのですが、指導者としての田沢氏も、そういうタイプの人間で、渡辺幸子さんをリクルートをして、「鎌倉美術家協会展という、日展系の団体よりも、新政策展の方が上だ」という認識を彼女に与えたものだと、推察しています。これは、どうして、そう言えるかというと、私自身が田沢茂氏に、誘われていたからです。それは、他人の絵を鎌倉の画廊内で、見ている時でしたが、突然に向こうから「自分のグループ内に入って、自分の指導を受けなさい」と、誘われて、一応断ったのですが、『おや、まあ、聞きしに勝るものだ』と、驚いた経緯がありますので、渡辺幸子さんのケースも類推できるのです。田沢茂氏の商売意欲丸出しの、性向については、湘南地方では、有名な事だったのです。

 ところで、彼女がどうして、中退をしないといけなかったのかの理由については、私は知っていますが、語りません。で、中退後、彼女は当時は、花形の職業だった、日本航空のスチュワーデスになります。で、その時の、望月画廊での、いじめ方とは、スチュワーデス時代の女の闘いそのものを彷彿とさせるもので、私にとっては、別世界の事であり、さっさと逃げ出しました。すなわち、そのグループ展を止めるという形を取ったのです。これが、また、渡辺幸子さんには、予想の他の出来事だったみたいです。

 彼女にとっては、スチュワーデスを止められない事情がありました。だから、女の園での、激しいいじめ合いがあっても、そこからは逃げないのが、ルールだったみたいです。一方の私は子供の時から、夢見る夢子さんで、計算しない人なのです。お金だって、禁治産者並に使うのですが、それでもなんともない、人生となって、いるのですよ。不思議なレベルで、金銭的には、恵まれていて、いつも、繭の中にいるみたいな人間だから、『あら、是って、精神的には、嫌な状況ですね。彼女を変革するのなど、無理でしょうから、さっさと逃げましょうね、この環境からは』と、思うだけなのです。

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副題4、『私は、ガレリアグラフィカという銀座での有名な画廊のオーナー栗田玲子さんから、渡辺幸子さんが、私の悪口を言いふらしていると、聞かされた。なんとその場所は、鎌倉駅のトイレだった。栗田玲子さんは、葉山の住民なので、夜の10時半に鎌倉駅のトイレに居ることは変だった。すぐピンときた。・・・・・伊藤玄二郎が、私を弾圧する為に、栗田玲子さんを、リクルートをしている最中だ・・・・・と。伊藤玄二郎は、その時点ですでに、瓜南直子さん樋鎌倉在住の画家を通じて、柴田悦子画廊は、籠絡をしていた模様だが、その画廊で、私の悪口オいても、効果が不十分だと考えていて、現代アートの方を、支配したいと、思い、栗田玲子さんに、触手を伸ばしていた最中だったのだろう。画廊を閉めた後、7時半から、高級なところで、飲食をする。その後、二時間程度、銀座で話し合っても、まだ足りないので、鎌倉で、もっと続きを話しましょうという事だったと思う。』

、この章ですが、ものすごい事を、今から、書かないと成らないのです。特に初めて書く事を書かないといけません。今までは、35%程度の開示だったけれど、やまゆり園事件みたいな悪辣な謀略を起こされた後ですから、70%程度の開示で、かたらないといけません。

 ここで、平野和子さんという、元日本航空、勤務(地上職員)の画廊オーナーも登場しますし、酒井忠康氏も登場しますし、・・・・・日本の警察が、CIAの手下である・・・・・という問題も登場します。今・・・・・・(というのは、2015年から、2017年にかけて、シャルリーエブド事件や、スタップ細胞疑惑などが、起こされて、それについて)・・・・・・書いて居る文章の、政治的な、事実など、渡辺幸子さんとの、いきさつを通じて、私が、身体的に、理解した出来事です。理論的な出来事ではなくて、身体を、壊す可能性のある、つまり、私が、自分の死を招きかねないほどの、攻撃を、後日に、彼女から、受けて、そこから、しっかりと、理解したことなのです。ですから、渡辺幸子さんとは、五指に上る重要人物なのですよ。

 ですから、やまゆり園事件なども、警察が、大きく関与している事件だと、私にはわかるのです。たとえば、相模原警察署は、一回も記者会見を開いていないでしょう。そういうポイントでも、あれが、嘘・満杯の事件だったと、私には、判るのですが、そういう事案は、安野智紗夫人の特殊なわがままとか、柳沢昇の、未熟な人間性・・・・むしろ、バカ丸出しと言ってよいほどだ・・・・とか、渡辺幸子さんの、激しい嫉妬心とか、そういうごく個人的な、原点が、すべて、関連して起きている現象なのです。

 ある個人の特質やら、失敗を、CIAは、すぐさま利用をするのです。言論弾圧を、ある個人同士の喧嘩とか、好き嫌いの問題へ、還元できるので、自分たちの本質を隠蔽することができるからです。

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

彼女のご主人がゴルフボールを販売する会社の社長です。で、その渡辺幸子さんですが、長谷川智恵子女史の、「障害児は、妊娠中に、堕胎をさせて、間引いてしまいましょう」という発言を裏で、準備するのに、手助けをした人物だと、見ています。(後注2)

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しかし、既に、午前零時なので、この章は、ここで、終わりとさせてくださいませ。このトイレでの開港についても何とか、時期だけは後で、特定できると思います。

 

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3885853です。

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