さて、前報で、内田竜生医師に対して、仏心を出しています。先生は美術がわかる方で、しかも受容力が高いので、患者さんが、「先生飾ってください」と自分の作品を、持ち込むのだと思います。
今は、29日の夜11時です。蛇足として、ちょっとした噂話を、下の方へ入れます。
::::::ちょっと話はそれますが、敵さんたちに肉体への攻撃をなされているわたくしは、とうとう脳まで、やられたかなあと、思っている次第です。2023年の6月ごろから、突然に、名前が思い出せなくなったのですが、それ以外の記憶は確かなので、おかしいと思っています。しかし、グーグル検索を頼れば、大体わかると思っていたのですが、今調べたい・・・・十騎会、会員名簿、それから、鎌倉美術家協会会員名簿が、グーグル検索で出てこないのです。これは、私がそれを使って、思い出せない名前を特定することが、狙いだと、敵さん(CIAエージェント)が、わかっているからgoogleに命令するのでしょう。
それからね。私は芸大の卒業名簿を持っていたのですが、盗まれています。
あ、今、突然に思い出しました。十騎会の会員で、名前を思い出したかったのは、志村節子さんです。・・・・・どうして、この名前が重要かというと、60を過ぎてからですが、「白ちゃんの絵(高校時代に描いていた絵のこと)って、志村節子に似ていたわよね」と、美大卒の友達に言われたのです。
白ちゃんというのは、私の高校時代のあだ名で、もし芸大卒業生名簿が盗まれていなかったら、志村節子さんの卒業年度と、生誕年がわかるので、私が高校時代、志村節子をまねしていたわけではないということは証明できるでしょう。彼女はわたくしより、若いのではないかなあ。今、80を超えているかしら?
どういうことかというと、私の絵に、詩情があるという意味で、友達が、そう、言ってくれたのだと思います。
ただ、私は、志村さんを、最上級の画家だとは、思っていないのです。志村さんって、色の使い方が、勝手、極まりない方で、それは、私には受け入れられないことなのです。下の方で、同じ様に、勝手気ままな色遣いだと、言っている画家が二人出てきますが、志村さんと、その二人は、画風が全然違うのです。志村節子さんは、8号程度の筆(中程度の硬さ)で、画面にいろいろな色を入れてしまうのですが、
後で、出てくる二人は、10号以上のやわらかい毛の筆で、ゆったりとした形を画面に作る作家なのです。全然違う作風です。
これは、音楽でも言えていて、ブロムシュテットに言わせると、シューベルトって、非常に深い知性の持ち主で、演奏家にとっても、解釈が難しいそうです。だけど、だからこそ、勝手気ままではない。一見したら、そう見えても、必ず、終着点がある、作品です。そこに安心感があるのです。が、画家でも同じで、私に安心感を与えるのは、佐野ぬいさんとか、前川佳子さんです。このお二人には、いつも感心してしまいます。
それこそ、勝手気ままな形で、勝手気ままな色合わせ(例えば、暖色系と寒色系が、同じ画面で、踊っていたりする)で、画面が構成されているのに、いやな後味が、まったく、ないのです。つまり、ものすごく深いところで、知性が働いていると、私は、考えています。だから、鑑賞者に違和感を与えない絵になっているのです。もしかすると、・・・・・破綻した色彩配置だ・・・・なんって、誤解をされかねない、ぎりぎりのところで、破綻をしていないのです。
例えば絹谷幸二さんという、独立画家協会という公募団体展を率いている方がいます。大邸宅に住んでいる方ですよね。人気が高い画家なのでしょう。だけど、【富士山】の絵を見ても、私は赤い絵だなあと、感じるのです。違う色が画面に入っていても、富士山を形容する赤が、強烈で、これは、赤い絵だと、感じます。また、同じ会派の、馬越陽子さんですが、私が三越の個展で見た、M100(細長い形)は、黄色い絵だと、感じました。黄色い絵の具とか赤い絵の具って、とても高いのですよ。カドミウムを使って、作られた、化学物質で(苦笑)
国画会の中では、島田鮎子さんが、尊敬を集めているのです。で、男性の有名な方が「鮎子さんは天才だなあ」というのです。が、色彩的に言うと、黄土色からこげ茶へ向かう絵なのです。単色系で、移行し、色の使い方には冒険のない方です。
つまり、志村節子、絹谷幸二、馬越陽子、島田鮎子、の四人は、芸大卒で、頭の良い方でしょうが、
佐野ぬいさんや、前川佳子さんの様に、すごい配色を使っていながらも、
見る人に、「構成力や、色の配合から考えて、この画家は頭がよいのだろうか? 違うのだろうか?』なんて、
そんなことを考えさせない、のです。‥…そこが素晴らしいのです。鑑賞者は、絵だけを受け止めます。それで、感動するのだから、それでいいでしょう?
で、私はこの二人は、自分では冒険をしているとも思っていないでしょうが、本当に勇敢な冒険者であり、天才だと思っています。
ここで、蛇足1に入ります。、
20年ぐらい前ですが、「お昼一緒にしない?」と小学校時代の友達、【まさよ】ちゃんが誘ってくれました。もしかすると、それが、佐野ぬいさんの背景を、私に知らせたいとするCIA側の策謀だったかもしれません。が、ともかく、私は【まさよ】ちゃんのお誘いにのって、ホテルのレストランで、松花堂弁当か何かを食べていたのです。するとまさよちゃんが、「ねえ、知っている? 佐野ぬいさんって、【くめお】ちゃんのお姉さんなのよ」と。「えっ」と私は驚きました。くめおちゃんとは、私の、国際キリスト教大学一年時の、たった23人しかいない同級生で、背が高くて、眼鏡をかけていて、そして、美形だが、神経質そうでした。佐々木久目夫と書いたと記憶しています。
「まさよちゃん、どうして、【くめおちゃん】、なんて、友達みたいな呼び方をするの?」と、質問をしました。だって、まさよちゃんは子供の時から日吉の住人であり、佐々木久目夫君は青森の出身です。交流がないはずだと、私は、考えて、不思議に思いました。すると、まさよちゃんが、「くめおちゃんはね、子供の時から、日吉によく遊びに来ていたの? 父がラグビー部の監督だったからよ」「えーっ。まさよちゃんのお父さんって、慶応ラグビー部の監督だったの?」「そうよ」「えーっ、本当に?」「で、くめおちゃんのこと、よく知っているから、これも知っているのだけど、佐野ぬいさんって、くめおちゃんのおねえさんなのよ」と。まさよちゃんは、30年前に、このクラス会が始まった時に、「おさとが知れているから安心だ」と、言っていました。わたくしは、父が、秋田鉱専卒だとは、日吉の友達には言っていませんが、ごく最近、隈研吾氏の父君もきっと秋田鉱専が新設大学になったころ、秋田大学鉱山学部に入学しているはずだと、言っています。つまり、地下資源について学ぶことができる唯一の(今でいう)大学で、日本の発展を担うべく、しっかりした、理工系すきの学生が集まる大学だったのです。
父は、絶対に自慢をしないけれど、明治生まれにしては背が高くて、運動神経抜群でした。そして、友人が教えてくれたのだけれど、石油会社の重役は、ほとんどが秋田鉱専卒だそうです。
ここで、この山から、引っ越していったA野さんのお嬢さんの、スマホをスパイ道具として、坂道を通りがかったわたくしに安野夫妻が、二人で、一人、20リットル入りのバケツの水をぶっかけようとしたことがあるのです。高さ15mのところからね。でもね。大江広元の時代から、彼の家来だった礒部家の末裔として、ぎりぎりの危急の時には、侍の精神が、目覚めるのですね。で、殺気を察して止まりました。で、水は一滴もかかっていません。ただ、安野夫妻は、私がギャーっという声などを発しないので、不思議に感じて、A野家に「お嬢さんが帰ったら、成功したか? 失敗したか、聞いてみて?」と電話をかけたか、メールで問い合わせた模様です。
@@@@@ここが、29日の書きかけ中の最先端です。
そういう判断を普段からしているわたくしから見ると、星野美智子さんの作品って、「ごめんなさい。ただ、自分を普通の人よりもえらく見せるために作っている作品ですね」と、なってしまう。
今般、美術家連盟の表紙に選ばれているからこそ、それを、知った日以来、一か月以上、ずっと、星野美智子さんについて、考えているので、
内田クリニックと、関東労災病院合体の、肺結核を装った、殺人未遂事件について、書いている途中でも、星野美智子さんに閑する、特殊な、エピソードを、思い出してしまうわけです。彼女が、2001年だったと思いますが、上野の精養軒の、大広間で、700人以上が立食パーティ(国展のオープニングパーティ)をしていて、立錐の余地もないという状態で、
誰が誰と、何を話しているかなど、ほかの人には、まったくわからない状況の中で、ついと、私に近寄ってきて、私の肩と彼女の肩が、60度ぐらいの角度で、くっつくような環境の中で、
「川崎さん、威張らないでね」といったときに、格別に強くそれを感じました。・・・・この人って、いつも計算をしているのだなあ。どういう風にしたら、周りから、一頭地を抜いて、威張れるかしら?・・・・・と。
他人との上下関係をいつも気にしていて、同じ年齢で、かつ同じコース芸大の大学院へ東京女子大卒後、進んだ、馬越陽子さんとは、自分の方が才能的に、劣等をしていると考えて、彼女(油絵)とは、違う分野(版画・・・・・特にわたくしが、それを見ていた、1990年代は、白黒のリトグラフ)をやっていました。会派も馬越さんが・・独立・・で、星野さんが・・国画会・・です。違うところを選んでいる。比較されると負けを認めないといけないでしょう。
そして、画題として、使うのは、南米の作家ボルヘスだそうです。ボルヘスを読んで、そこから発想を得ているそうです。どこで、それをわたくしが、知ったかですが、彼女が二次会(50人程度が出席する会)で、スピーチとして、それを語ったのだろうか? それともプログラムに書いていた?
:::::::::ウィキペディアから、ホンの二行ほど、ボルヘスについての記述を引用します。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
しかし、2000年ごろ、版画芸術(季刊誌だが、非常に評価の高い雑誌)の、バックナンバーを50冊程度買ったのです。その中で読んだのだろうか? ともかく、1990年代には、星野美智子さんは、ボルヘスから、発想を得ていたのです。
しかし、こそばゆいほど、考え抜いた発言ですよね。ボルヘスって、日本の一般大衆はよく知りません。今、アマゾンで、中古本を探したけれど、ヘルマンヘッセなんて、【車輪の下】が、11種類ぐらい、販売されています。
比較して、知名度が、低いです。このボルヘスを利用することは、一般大衆を巻き込み、自分をえらく見せるのには、最高の装置です。
むろん社会が認める立場としては、星野美智子さんの方が私より上ですよ。現に、彼女は、美術家連盟の表紙を飾っていて、中に記事もあるでしょう。それから、各地の美術館に作品が収蔵されているでしょう。両方とも、弾圧をされているわたくしにはない名誉です。
でも、負け惜しみではなくて、私はそういう方向を目指さないことにしたので、星野さんが、「川崎さん、威張らないでね」と勝利宣言をしたところで、別に負けたとは思わないのです。だけど、
・・・・・嫉妬深い人だなあ。私が、文章をメルマガで、配信をしていて、人気が高くなったので、ここで、頭をたたいて、へこませてやろう・・・・と思うなんて、嫉妬心メラメラですね。
なんか、こんな人と一緒の場にいるのは嫌だなあ・・・・と思ったのです。油絵は、1990年から、版画は、1997年から国展に入選していたけれど、2003年には、両方とも出さなくなったと思います。
この間、渡辺幸子さんのご主人がなくなったと、風の便りに聞いたけれど、しっかりとした情報を欲しいと思って、新制作の会員である馬緤紀子さん(横浜国大卒)に電話を掛けたのです。40年ぶりにです。すると、彼女は舌鋒鋭く、「川崎さん、今どこで、発表をしているの?」と、迫ってくるのです。で、今現在のブログなんか画壇では認められていないでしょう。だから、仕方がなくて、「どこにも発表をしていないわよ」というと、
彼女は、心の中で『なあんだ。川崎千恵子って、終わったのね、消えた人なのね」と思ったと思います。教養がある人だから、それを面と向かって、私には言わないけれどね。でも、甘受しておきました。仕方がないから、甘受します「。
私は、今できることを必死で、やっているのです。勝敗など気にしていないから、午前、5時、午前六時まで、起きていて、命を削って、このブログを書いています。それを神様は、愛でてくださっていると思います。神様を信じています。
なお、馬緤さんとは、40年以上前に、一緒に、小関利雄(元、横浜国大教授、1980年当時、新制作会員)のお勉強会に属していたからです。そこをずっと続けたかったけれど、あまりにも勉強熱心な私は、四回目には、もう、小関先生にかわいがられる様になって、すでに、愛人であった、熊沢俶(または、淑)さんに苛め抜かれてね。そこもさることになったのです。
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ところで、こういう風に美術界のことだけを書いていると、すぐ、敵さんたちが、逃げたと考えるのです。
しかし、違うのですよ。星野美智子っていう版画家は、版画会において、医師会における、関東労災病院程度の、位置にある人間です。そして、国画会会員ですね。同じ国画会会員、油絵作家(平面部門と呼ばれているが)柏健さんは、同価値でしょう。ただ、星野さんほど、自分を売り出そうとはしませんけれどね。それは、星野さんが才能の面で、強い劣等感を抱いているからでしょうね。柏さんは、それほどの劣等感は、持っていない。だから、鷹揚で、上品です。ところで、柏さんの教え子が、私のご近所人間、大原光孝です。彼は、最近20年間、私に対して、ひどいことをやり続けてきている人間で、いつも警告をしているのですが、このブログを読まないせいか、頓珍漢なことばかりやってくるのです。圧倒的に厳しい形で、星野さんを分析しまくったのは、大原光孝のせいです。彼には、このブログで、何度もあなたが、そういうことをやり続けていると白田画廊さん(版画界にとって、特に重要な画廊)とか、柄沢斉に迷惑が掛かりますよと、言っているのにもかかわらず、彼の無礼、半年分だけ、彼を叱っています。柄沢斉は、有名な(木口)、木版画家で、大原光孝と、同じ、創形美術学校の卒業生です。
となると、水沢勉氏や、酒井忠康氏にも迷惑をかけていることとなります。どういうことかというと、鎌倉の美術館本館がまだあったころ、柄沢斉の大個展を開いてあげているからです。彼の、今、家出中の奥さま、恵美子さんが、20年以上前に、彼に対して、「あなた、川崎千恵子とかかわってはだめよ。彼女はあなたの手におえる様な人間ではないから」・・・・・と忠告したそうです。酒井忠康先生からの忠告だったと、私は見ていますが、守っていないので、関東労災病院も、星野美智子さんも、大恥をかいたということとなります。星野さん、柏さんが元気だったら、柏さんに文句を言ってくださいな。柏さんは、大原さんを叱りなさい。
でね。我が家の、東側の、崖を神奈川県名義で、大工事をしているのを批判しています。だって、鎌倉の旧市街に、そんな無粋な、コンクリート擁壁なんて、いまだかつてないのですよ。この工事自体がわたくしいじめです。
内田クリニック(武蔵小杉)と、関東労災病院(元住吉)の二つをダブルで、利用して、私を偽の、肺結核に仕立て上げ、病院に強制的に入院させ、病院内で殺してしまおうという罠と並行して、
旧中谷共二家の、東側に県が何億円もかけて、今の持ち主(らしいが、お金は、一銭も払っていない)前田達之さんを、えらく持ち上げるものも、進行しているのです。この土地は、1970万円で、東急リヴァブルが扱ったのですが、前田達之君は、一銭も払っていないのです。1970万円は、例のごとく、内閣官房機密費で、まかなわれて、中谷共二氏の遺児にわたったのです。なぜ、そういうことが発生するかというと、雪ノ下黒物語に書いているか古賀あるからです。
ともかく、この崖工事について、書いているわたくし「に対する復讐行為として、以下のニュースが、ネットで、出てきました。特にMSNというサイトで、カナロコという別のサイトが、紹介されたのです。神奈川県知事、黒岩祐治氏が、素敵な発表をしたというニュースです。&&&&&&&&&&&&&&6罫線以下に置きます。
これは、穐本という工事会社の、作業員が、おしっこをしているところです。狙ったわけであはないが、偶然に撮影できました。彼の後ろ眼下に映っているのが、流鏑馬が、春と秋に行われる、道です。手前にある赤い棒と、同じ角度で、東に向かっている道路のことです。
これは、この工事が県の大切な工事ですと、知らせる銘盤です。こんな立派なものは一週間でできるはずもないので、私を殺すアイデアは、ずいぶん前から、準備されていたと思います。
これは、旧中谷共二氏邸です。一室7万5千円で前田達之さんが、シェア・ハウスを経営していると大宣伝をされた家です。だけど、前田達之君は、一銭も支払っていないのだから、徹底的な嘘でしたね。
詳しい顛末は、
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老朽化に伴い来年4月から休館する神奈川県立県民ホール(横浜市中区山下町)について、黒岩祐治知事は28日の県議会で、建て替えによる再整備を進める方針を示した。バリアフリー対応で、本格的なオペラやバレエの公演も可能な文化芸術拠点として整備する考えだ。
県民ホールは1975年1月に開館。約2500人収容の大ホールや約400人収容の小ホールのほか、会議室やギャラリー、食堂などを備え、半世紀にわたり、県民の文化芸術活動の拠点となってきた。
ただ、配管や空調設備の老朽化に加え、バリアフリー対応も課題として顕在化。県は昨年6月に休館の方針を発表し、在り方を検討してきた。
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