銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

残間里江子の3 海外ではどうか? 司馬遼太郎から推察する

2010-04-25 12:17:58 | Weblog
 昨日残間里江子の2を書いた後で、相当推敲しなおしました。日本時間の午後十一時前にお読みいただいた方は、下の文章が相当に改良をされているので、再び目を通していただければ幸いです。さて、昨夜は午前3時まで、パソコンを開けていましたが、あのような真実、=====CIA(もしくは国際的軍産共同体======が困るであろう真実======を書いたときには、よく、エロチックなコメントが引っ付いてきています。いつもは、気がついた時にすぐ削除するのですが、今回は残しておきます。これが何を狙っているかですが、私の文章の品格を落とし、コメントを書くつもりであった読者の気をそいでしまうことが目的でしょう。

 こういうのも、言論弾圧のひとつの形です。最初のころなど、もっとえげつないホーム頁・・・・・(警察庁は悪質なホーム頁を取り除くはずでしたが、言うに言われない悪質でエロチックなもので、URLを入れても実際にはそんざいしないもの)・・・・・が、トラックバックとして、が引っ付いてきました。それも削除をしましたが、そういう機能があることはわかって、今度は自分がそれを利用しようとしました。その、トラックバック機能が、私の場合には、利きません。自分のほかのブログに今度新しく書いたこの記事は似ているから、トラックバックとして、お互いに関連をさせようとして、トラックバック欄に入れるとしても、結果として、画面に出てこないのです。

 これって、グーブログ(会費を払っている段階だ)のビジネス上の、契約違反ですよね。????? もし、急にそういう条項が規約に盛り込まれたのだとしたら、その条項はまったく日本的ではないと言うしかないです。そして、言論弾圧がそういう形でも行われているというしかないし、それがまた、ひとつの証拠となります。つまり、トラックバック機能が利かないことが、言論弾圧のひとつの証拠となるわけです。来週までにグーブログの管理者に、問い合わせるつもりです。

 『この会社そのものが、CIAもしくは国際的、コングロマリットの支配を受けているわけですか?』ともね。

 が、そんな損失を与えられれば、与えられるほど、きりっとしてくる私です。意欲が高まりしっかりしてくる私です。

 ところで、一年前ぐらいは、私もナイーブでした。びっくりして、どうして、この民主主義の日本で、こういうことが起きるのだとも考えましたが、今では、それを、やる組織の、心理的な幼稚さにあきれているという次第です。「人材不足よのー」と、陰ながら微笑んでいますが、次から次へと発案して来ますが、問題はそのタイミングです。小沢幹事長がテレビに登場する日と登場しない日とに、密接に関連して居ることもすでに検証が済んでいます。日にちは少しずれます。というのも目も段階で、把握をされるからです。だから、未推敲の段階でもアップしてしまうことが多いのはそのためです。一応論旨を確定しておきたいと思う気持ちがあるわけです。

 この私の固有(?)の現象を見ているだけでも、<<<<<小沢幹事長が、国際的な軍産共同体のもっとも、かわい子ちゃんである>>>>>と、信じるしだいです。面白い現象です。つまり、私が文章を書いたものの、公開しない段階・・・・・それは、ブログにアップしたり、メルマガで公開する数日前ですが・・・・・・

 この日本社会を取り巻く環境、および、政治が悪すぎる現象が起きるわけで、したがって、昨日のような(残間里江子さんの特殊な役割に関するもののような)文案が、3,4日前に出来るわけです。
 ハッキングがされていますので・・・・・といっても、あなたも、すべてのパソコン成形文章はハッキングをされていますのですよ・・・・・・手書きでない限りね。そのことをあなた自身が、知らされるか知らされないかの違いです・・・・・・それだけの違いです。
 日本弁護士会等に、言論弾圧の実例として、被疑者不詳で、訴えることさえ考えているほどです
日本ペンクラブがそれをやったようにね。
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 ま、元へ戻って、本論に入ると・・・・・残間里江子さんやら、高野孟氏が、戦後日本の論壇を、実質的に、牽引してきた・・・・・、というのは確かでしょう。このエロチックコメントがついたことによってさらに、確証を与えられました。目にはさほど、大きな存在とは映りません。しかし、人脈のフル活用で、大きな存在となっているのです。発言自体がショッキングであったりご本人の著作が大当たりしたというわけではないが、大きな存在であるというわけです。

 これが海外では、どうなっているのか? そのことに興味が移ります。で、この文章の数時間後で、司馬遼太郎のニューヨーク紀行文、および、私のパリ滞在時の思い出を語りましょう。お待ちくださいませ
 では。2010年4月25日                雨宮舜
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