今、午後、4時ですが、16000字を越えたところで、完成をさせていただきます。ただし、誤変換はまだ、直し終えてはいません。
副題1、映画『コーヴ』に象徴される、被・植民地国家日本の悲しみ
副題2、『靖国の上映反対者は、小沢一郎でしょう。彼は隠れて言論弾圧をする』
副題3、『映画靖国は、毎年、上映したらよい。文化庁のお金で作っているわけだし』
副題4、『暗澹たる気持ちに成る、映画、TOKYO(第二話)と、映画コーヴ』
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副題1、映画『コーヴ』に象徴される、被・植民地国家日本の悲しみ
映画コーヴほど日本人にとって切なくつらい反日映画はありません。太地町側の住民がすべて、モザイクがかかっているので、一般的なイメージから言っても、悪人に見えますが、この映画では、漁師さん側は全員が、モザイクがかかっていて、一方で海は血潮に赤く染まっているわけですから、言い訳の仕様もないほど、悪人に見えます。観客の側では、彼らの、目が見えて、顔の表情も見えれば、ぐっと救われるのですが、それが、無いので、悲惨な映画です。
こう言う映画が作られたのは、ひとえに、国際的軍産共同体が、日本と、日本人に対して激しい恐怖心を持っているからです。別に日本人は獰猛でもなくて、戦争を起こす気配もないのです。が、彼らが勝手に恐怖心を抱いてくれているのです。それは、人間にとって悪でしかない核燃料を大量に売りつけているとか、そのほかの忌まわしい実態を彼らこそ、わきまえているから、反抗をされる日が来ることも予期していて、それゆえに、徹底的に恐れているのです。
で、弾圧するために、日本人が文化として、最も大切にしてきたもので、この国に固有なものが狙われます。相撲もそうです。悪くすると、歌舞伎や浮世絵も弾圧の対象になりかねないのですが、仏教美術を含めて、これらの方が弾圧の対象にならないのは、すでに、国際的な好評を得ていて、愛好家が多いことが、救いに成っているわけです。
でも、この太地町いじめ映画『コーヴ』ほど明瞭に、裏に国際的軍産共同体がいるのを示したものはありません。彼らの御用コメンテーターである、田原総一郎と崔洋一監督が積極的に宣伝に動きましたしね。
最近、田原総一郎氏が、意外な首相候補として、細野豪司氏をあげており、『おお、おお、これこそ、最大の証拠となりますね』と思ったぐらいです。 つまり、細野豪司氏は、国際的軍産共同体が、第三世代として育てている、好都合な政治家だと、私が言っていますが、それを、知ってかしらずか、国際的軍産共同体側に立つ代表的コメンテーターの田原氏は、菅首相の後継候補として、予測したわけです。細野氏は、まだ、39歳という若さですが・・・・・
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副題2、『靖国の上映反対者は、小沢一郎でしょう。彼は隠れて言論弾圧をする』
この映画『コーヴ』を日本で上映しましょうというのも、それこそ、人を食ったという以上に、大変なことなのですが、これが、海外で上映をされたら、どれほど、日本人へ対する悪いイメージを与えるか計り知れないほどです。
「これに、比較すると、靖国の方が、無難で、被害が少ないですね」といえるほど、コーヴは、被害が大きい映画です。
映画『靖国』の方では、日本刀を鍛える場面が随時挿入されていて、それが、まるで、靖国境内に置かれているようなイメージを与える・・・・・という大きな嘘(実際には四国の山の中にある)があるのですが、その挿入が邪魔をして、映画をわかりにくくしています。つまり逆効果を生んでいます。皮肉なことですが、そうなのです。て、日本人が見れば、前提条件がいろいろ、わかっていますので、理解ができますが、海外の人が見ても、わからないし、面白くないと思います。
中国政府が、いわゆる反日教育に役立つ映画として、これを利用する可能性はありますが、それ以外の国に持って行っても、ほとんどの人は、この映画が意味するものが何であるかが一切理解できないでしょう。日本現代史を研究する学者以外は。
特に音響効果が悪くて、画面も暗くて、わかりにくいところが多いのです。それは、隠し撮りを主にしているからです。だから、中国で上映しても字幕だと、良くわからない人が多いでしょう。
同じようなメッセージ映画としては、マイケルムーア監督のものが有名ですが、あちらは隠し撮りではありません。マイケルムーア監督が突撃取材をしてインタビューをするという形式ですので、画面は明るく、音響もいいし、ユーモアのセンスも多大にあります。で、見やすいしわかりやすいのです。
ただ、本当に面白いことには、これを、国会内の一部代議士が上映を反対したということです。その時に、名前を秘した代議士連中を、国民のみんなは、自民党の代議士だと誤解をしたと思います。で、「大変だ。それは、言論弾圧だ」と成って、上映推進運動が草の根から起こりました。で、日本全国で上映されました。
私は実物を見に行って、思いがけないことに、小泉さんが、信じがたいほど、かっこよく見えるのに驚きました。それは、羽織はかまで、参拝した外見のことを言っているのではありません。
それこそ、哲学とか、心理学の分野で言ってかっこいいのです。小泉さんはこの映画の中では滅ぼさないといけない方、つまり、悪役側であると、規定されています。
つまり、戦後65年間、靖国神社と日本刀は一切関係がありません。それなのに、映画の3分の一以上が日本刀を、制作する場面に占められていて、日本がいまだに、残酷な軍国主義のイメージに満ちた国であると言う悪宣伝を目的としていますが、その代表的人物を小泉さんと規定しているわけです。
で、小泉さんを撮る画面が一番、盗撮の趣が強いことと成っています。が、その結果、『小泉さんって、本当に気の毒だなあ。なんと気の毒な人だろう』という感想を、観客に与えるのです。こう言うところも、思いがけないことで、天が存在するという私の主張を裏付けるところですが、結果として製作者側の意図とは、逆の方向へ向かうのです。
小泉さんが、切々として、「個人として、信仰の自由を許してほしい」と訴える姿は、ちょうど同時期に日本全国で、行われた集団訴訟の靖国参拝違憲判決の、方の、真の暴力性を際立たせる事となります。法の名を利用して、少数派を、弾圧する姿です。
どうして、そういうことが行われるかというと、今の司法は完璧に国際的軍産共同体に支配をされていて、かつ、集団訴訟の中核をなしているであろう、共産党を、最大の武器とかツールとして利用して、靖国へ目が行かないように、行かないように仕向けるから起きてしまうのです。
それは、東京裁判に大きな疑惑があり、それゆえに、A級戦犯が合祀されている靖国神社に国民の目が行っては困ると、彼らが考えているからです。
東京裁判の、大きな疑惑ポイントとは、責任を問う所在が、上に対しても、下に対しても線引きが不透明であり、公平ではないということです。上といえば、どうして、昭和天皇は責任を一切問われなかったのですか? それから、思想統制に、大変な力を発揮した大政翼賛会に参加した当時の新聞社は、なぜ一切の責任を問われなかったのですか?
それから、岸信介氏のような釈放後、総理大臣にまで上り詰める人さえ出てきます。
ともかく、着物姿が格好いいのではなくて、小泉さんの心情がとつとつと、吐露される記者会見の場面がすばらしいのです。それを見たら、普通の人なら、「小泉さん、あなたの言うとおりですね。あなたは、こんなに、記者連中に攻め立てられていて、いじめられていて、なんと気の毒でかわいそうな人なのでしょう」と、感じることは請け合いです。
で、実際にこれを見た自民党の代議士が、上映を反対する理由がないのです。だから、勿論のこと、反対したのは小沢一郎氏でしょう。が、名前を伏せている。そこが、とても、いやらしいずるさなのです。しかも、記者連中は彼をかばって、こう言うときには彼の名前を伏せるのです。
反対の場合ですが、谷垣総裁に対しても、菅総理に対しても、揚げ足取りと、何とやらで、微にいり細にいりいじめるのに、小沢氏だけ特別扱いです。
だけど、私だけではなく、大勢の一般の人がこう言う仕組みにすでに気がついています。私は良く、レストランや喫茶店で仕事をしますし、電車を多用する人間です。サラリーマンではないので満員電車を避けます。すると、電車の中でも、レストランの中でも、皆さんが友人と会話を交わしていますが、ほとんど、私と同じぐらいのことには気がついていますよ。知らぬはメディア貴族と、永田町の住人だけです。
で、メディア貴族を主体として、日本人へ向けて総力を挙げた洗脳作業が繰り返されていますが、その結果としての、ひとつの象徴は、東電の記者会見のテレビカメラを使った、記者取材が許されなかったことです。あれだけの大事故を起こした会社の株主総会ですよ。国民みんなの目線が集中するのは許されるのではないですか?
それに、NHK、日テレ、TBS, フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の取材クルーが、何か乱暴沙汰を起こしたら、司会進行を妨げたりしますか?ありえないでしょう。そんなこと。
ところで、今、グーグルでこの二つの映画を検索をしてwikipedia を確認したときに、自分のブログのヒット数を検索したら、また、一日で、6000件も数が減らされていました。この様に何でもかんでもやってくる闇の勢力に守られている小沢一郎氏の、特別扱いを、怖がったり、優れていると思うのではなくて、それが、日本が、被・植民地国家の証であると捕らえるべきだと、私は考えています。そろそろ、彼を恐れたり敬うのは、やめにしたらいいいです。
ところで、wikipedia では、自民党の稲田さんという代議士の名前が何度も出てきますが丁寧に読むとこの人が上映を阻止したということではないです。そして、カモフラージュとして利用をされていると感じます。実際に、上映を阻止しようとしたのは、小沢氏でしょう。
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副題3、『映画靖国は、毎年、上映したらよい。文化庁のお金で作っているわけだし』
この表題はある意味で反語です。あの刀鍛冶のだまされようひとつをとってみても腹立たしい映画です。その上、この映画に文化庁が制作に金を出しています。当時は、自民党政権だったはずなのにです。だから、自民党には頭脳がないというのです。何にも考えていませんね。
その後、文化庁は、まずいと気がついたらしくて、外郭団体を作り、そこが出したことにしています。だけど、実質的には国庫金で、反日映画を作っているのです。去年、私が調べたところによると、文化庁は、その外郭団体をなんと、場所さえ、国立劇場の敷地内へ移動をさせて、責任逃れをしています。
800万円ということですが、この映画なら、ほとんど、そのお金内でできます。監督たちの通年での、日本滞在費まで含めると、10年にわたるので、無理ですが、映画そのものは、そんなに、日数をかけて撮影されているわけでもなく、セット組んだわけでもないので、映画そのものにかけた費用だけを計算するのなら、充分に、800万円でできます。ただ、プログラムを見ると、他にも協賛企業はあるみたいですが、それは後から正当性を付与するために、加えられたものでしょう。
しかも、なんといけないことに、二度目のこととして、文化庁は、オムニバス映画『TOKYO 』にもお金を同じく、800万円を出しています。こちらはプロの俳優と世界の有名監督3人を使っていますので、とても、800万円では仕上がるはずも無く、文化庁の負担分はすずめの涙ほどでしょうが、これが、また大問題の反日映画です。性懲りも無く、繰り返される、反国家的なあやまちですが、文部科学省は、伏魔殿、に似ていて、魔物が住んでいるのでしょう。それは官僚の中の誰かですし、伝統を引き継いで、そういう方向へならしていく存在がいるはずです。
ところで、それを逆手にとって、『毎年、8月15日前後にこれを上映しましょう』という運動を起こしたらいいのです。歴史書を読まないでゲームばかりしているような、30代の青年たち、または、20代の青年たちに見てもらえば、第二次大戦中から戦後にかけての近代史が、一目瞭然でわかります。
アメリカには偶然を、助けてとしてできた『ミリキタニの猫』という秀作があります。これは、日米関係に限った近現代史の秀作です。いままで、動く映像では、語られることの少なかった、日本移民への強制収容所への収監が語られるからです。しかもしみじみとした叙情性を持って。しかし、一方でアメリカ政府を非難する映画でもあります。それが自由に公開ができるのは、アメリカが被・植民地国家ではないからです。文化的な意味で言って、アメリカ人には束縛が少ないのです。
でもね。思いがけないことですが、どんなに、海外で、賞を取ろうとも、この映画『靖国』が、本当に理解をできる外国の庶民は少ないでしょう。一番理解ができるのは、日本人です。だから、終戦記念日に毎年、上映させたらいいのです。近現代史への理解に役立ちます。刀鍛冶の部分が、四国で撮影をされたという事実を教えた後なら、中学生から見せてもかまわないと思います。
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副題4、『暗澹たる気持ちに成る、映画、TOKYO(第二話)と、映画コーヴ』
ところが、映画コーヴとなると一変します。どうしてかというと、非常にわかりやすいのです。世界中の庶民が見たらすぐ、洗脳されるでしょう。『日本人って、たいへん野蛮な国民である』と。元いるかの訓練師で、今は、いるかの開放家、リック・オリバー氏が、正義と善を代表する側であり、顔が見えず、だみ声(潮で焼けるのでしょうね)で、下品な言葉(と、これを見る海外の人には聞こえるはずです)で、やけっぱちな発言を繰り返す、太地町の漁民は悪人です。
しかもアカデミー賞を取っています。最優秀賞ではないが部門賞を取っています。と成ると、世界中の興行主は争って買うでしょう。そして、配給しあたると思います。
で、表現の自由の問題以上に、どうにも防ぎようのない、日本と日本人を攻撃する映画に対して何の防衛もできないのですが、警察と、中央官庁の代表の誰かが、撮影隊に細々と抗議はするのです。それをもっと支援してあげなさいというのが今日のタイトルのゆえんですが、その前に、少し寄り道をします。
このコーヴを、悪い映画だと規定できる唯一の論点があります。それは、欧米人でも、他の生き物を殺して、食べて生きているということです。そのやり方はすさまじいレベルで残酷です。それは、『命を食べる』という優れたドキュメンタリー映画で、つぶさに感じ取ることができます。だから、大きさの違いはあれど、誰も人間なら生きていくために、同じことをしているのです。
しかし、そこをもすり抜ける、上策も、この映画には用意されているのです。それは、いるかを生け捕りにするのが悪いという論点です。知能の高いいるかを生け捕りにして、各国、各地の水族館へ売るのが、いけないという論旨も含まれています。それが抗議することの難しい論点となります。ですから、この映画には救いようがありません。
そして、さらに知的な装いを加えて、煙に巻く反日映画が、レオス・カラックスの『メルド』です。それは映画TOKYOの中に第二話ですが。これの何がいけないかについては過去に書いていますので、後で探しておきますし、見つからなかったら、また、書きます。
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さて、初稿段階では、この後で、こう言ういまわしい事を止めさせるための手段について述べ始めるのですが、そのためには喧嘩をすることが大切だという話しになって行きます。が、それを、4日のくじに、分離して、この上においてあります。次の報としておいてあります。
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