こんばんは。昨日は祖母が急変し、気が抜けない一日でした。というのも、朝から呼吸が苦しそうで、パルスオキシメーターで測ると82。80台の時間が長く、呼吸の音を聞いているだけで涙が溢れそうでした。
それでも、ふりかけをかけたお米は食事介助をしながらお茶碗一杯分は食べるし、ノンアルコールビールも飲む。さらに、孫の手でつついてきては笑うし、時々怒る。苦しいから機嫌も悪い。そんな感じでした。
そして、寝ている時に起こさないように測ると93。少し上がったものの、また起きると87。4日前からパルスオキシメーターの値が94〜95と少し下がっているなとは思っていましたが、ここまで一日を通して低かったのは久しぶりで、厳しい日でした。4月、5月、6月とガクンと一気に悪くなった日があるので、「12月にまた来たな」という感じです。
夜間には、オキシマイザーの不具合があり、いくつか持ってきてもらったものの、接続がうまくいかず。オキシマイザーに個体差があり、うまくハマらないものや、形状記憶がなかなかつかないもの、機械の急な故障、新しいものを緊急で届けてもらうまで酸素ボンベを交換しながら命をつないだこと、この酸素吸入に関してはことごとく神経を使います。停電が起こったら、非常に危険な状態に陥ります。
そして、もうひとつ。私は最近、「あれでよかったのかな」と後悔していることがあります。それは、手づくり餃子やみかん、バナナのこと。
祖母は大食漢でした。そのため、身長に対して体重が多く、いわゆる肥満体型。150cmあるかないかで体重は60kgを超えていました。
そのため、心臓や足に負担をかけていました。足は以前、病院で人工関節の手術を片足ずつ時期をずらして受けました。そこから痛みはほぼ無くなりました。それでも、心肥大や高血圧があったので、母と私は祖母の食事管理、主に食べ過ぎないように注意していました。
たとえば、餃子と白いお米のときは、餃子の皮も炭水化物なので、大きな手づくり餃子5個に対して、お茶碗軽く一杯。でも祖母は、もっと食べたがっていました。夜ごはんの後、私たちの目を盗んでバナナを食べていることもありました。
あまり食べすぎないように気をつけることは、その時は当然だと思っていました。しかし、ほぼお米しか食べなくなった今、さらには食べない日・食べられない日もある今、高齢だった祖母に「我慢させることが良かったのか」私は分からなくなってしまいました。「もっと好きなものを好きなだけ、食べていた方が幸せだったのではないか」と。
先日、餃子を作りながら悲しくなってしまいました。今は餃子を作っても全く見向きもしません。みかんやバナナを剥いても全く手をつけません。
たまらず母にどう思っているか、聞きました。母は、「肥満で心臓に負担がかかっていたから、食べ過ぎないようにしていて良かったんだよ」と言いました。救われました。
母は母で、母の父(私の祖父)と最後となってしまった(その時が最後だとは思っていなかった)外食で「もっといいものを食べさせてあげれば良かった」と思うことがあるそうです。「でも、考えても仕方ないから考えないようにしている」と。それもよくわかります。ただ考えたくなくても、感じてしまう。勝手に頭に浮かんでしまう。これは、結局のところ、自分で心の整理するしかないんだなと思いました。
そして、今日。酸素濃度は90くらいにはなりました。しかし、苦しそうなので、訪問医師から酸素機器の会社に電話してもらい、7ℓ吸入できる機械を持ってきていただきました。在宅では5ℓが最大だと思い込んでいたので、念のために聞いて良かったです。
ちなみに、さらに上は5ℓの機械を2つ繋いで10ℓ、3つ繋いで15ℓ流している方もいらっしゃるそうです。ただ、10ℓも流すと酸素の勢いがすごいので、鼻が痛くなる可能性が高いとのことです。たしかに、5ℓでも音がすごかったので、10ℓは想像できます。今日のところは、5.5ℓにオキシマイザーで90台後半まで上がってきたので、鼻息が荒く苦しそうですが、様子を見ようと思います。
介護が私の生活の比重を大きく占めるので、介護に関する投稿が多くなっています。しかし、介護をするうえで気分転換や息抜き、休息をとることの重要性を知りました。頭ではわかっていても、少しくらい自分ががんばればいいんだと思っていました。しかし、介護が終わったときに、自分が立ち上がれないほど自分を追い込んでしまっていてはならないのだと気がつきました。そこで、可能な範囲で私なりの楽しみ方をしているので、以前のように楽しかったことも記事にしていきたいと思います。
いつも私のブログにお付き合いいただいている皆さま、ありがとうございます。救われ、励みになり、あたたかな場所だなと感じています。これからも大切にしていきたい場所なので、よろしくお願いいたします。