神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

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介護記録で今年を締めます。よいお年を。

2024-12-31 17:09:00 | 日記
こんにちは。大晦日ですね。今年も祖母と年越し、そして新年を迎えられそうで、感慨深いです。さて、昨日、書いた記事を下書き保存していました。時制を本日に合わせず、そのまま投稿します。


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こんにちは。晦日なんですね。今年は、介護中心の生活になり、特に6月以降は予断を許さないときが何度もありました。毎日毎日が必死で、精一杯で、今年を振り返る余裕も来年の抱負も特にありません。ただ、ひとつ言えるのは、時(とき)というのは、どんなに辛くても、悲しくても、寂しくても、過ぎるんだなと実感しているということです。


祖母は昨夜から咳が止まらず、私が祖母の体を右に向けたり、左に向けたりしていました。ようやく深夜1時ごろに咳も落ち着き、私も寝ました。しかし、3時半ごろ、祖母は大きな声で叫び始めました。「いたーーーーい。」「あみちゃーーーーーん」など。


私は叫ぶこと自体は、そのままで大丈夫だと思っているので、酸素のカニューラが外れていないことを確認して寝ようとしていました。しかし、年末年始で家族が集まってきているので、母がなんとか薬をのませようとしていました。せん妄で興奮状態のときは、頑なに口を閉じて薬をのまないことを知っているので「(無理矢理のませず)もう、なすがままにしておいてあげたらいいじゃん。」と言って、私は再び朝6時ごろに寝ました。


在宅介護をしているなかで、特に辛いのが「苦しんでいる人間をみつづけること」です。「人間、ここまで苦しくなっても、死ぬことができないんだ」という状況を目の当たりにしています。あまりにも見え過ぎてしまうがゆえの辛さです。


かつての祖母は、よく食べ、クイズ番組やサスペンスドラマが好きで、毎朝暗いうちから新聞を読んで、認知症予防のテキストも自らやって、化粧をしていました。そんな祖母の姿は、今はありません。苦しそうなときが多くなり、変わり果てた祖母をみていると、私の気持ちがどうしようもなく追いつかない日があります。しかし、これも個人差があって母は私とは捉え方が異なります。


母は「これだけやったからもう十分。おばあちゃんは幸せだよ。」と言います。そして、亡くなったら「よくがんばったね。」と言って送り出すと言っています。母の言うこともよくわかります。私も、もし祖母が亡くなったら「天国では、(脚を返せと泣くので)脚がある世界で、大好きな日本舞踊を踊ってね。」と言うと思います。


しかし、今、それよりも私は「死に向かう介護はあまりにも辛すぎる。苦しそうな姿を見るのが本当に辛い。」という気持ちが上回ってしまっています。だからといって、何かを変えるつもりはありません。ここまできたら、最期までやり切るしかないと思います。覚悟はあります。ただ、時に気持ちが落ち、やり場のない辛さと闘っています。特に今月は祖母が急変したり、医療麻薬のテープを使ったりと病状が悪い方向に一気に進んだことも影響しています。


それから、これは住んでいる地域によると思うのですが、川崎市在住の場合、亡くなってからも過酷です。それは、火葬場が混雑していて、すぐに火葬はできないので、およそ1週間から10日、冷凍保存されます。生きているときは病に苦しみ、亡くなってからも冷凍される。想像するだけで疲れるので、なるべく考えないように。その点、香川県の祖父は亡くなってから、すぐに天国へ行くことができました。


介護。言い方を変えれば、今年は祖母と過ごす時間を大切にしていたので、それは全うできたと思います。誰よりも祖母の近くで過ごしました。だから祖母は、寝言でも起きていても、まずは「あみちゃーん」と呼びます。これは、思考よりも本能が強い現在の祖母からのギフトのようなものだと思っています。


そんな祖母に願うはあとひとつ。「どうか苦しむ時間は短く、少しでも穏やかに過ごせますように。」です。ちなみに、量は少ないながらも、お米やバナナを食事介助したら食べています。


さて、まだ19時台なのですが、寝られる時に寝ておこうと思います。そして、このように書きながらも、私はよく笑うほうで、今日もなんだかんだ笑った気がしますので、ご心配なく。
それでは明日、更新するか分からないので、、、

皆さま、よいお年を♡

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