新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

源平合戦ゆかりの生田神社を参拝する…前篇

2024-09-14 06:49:15 | 歴史史跡

三ノ宮駅から
賑やかな繁華街の生田ロードを歩いて
兵庫県を代表する神社

「生田神社」を参拝する


この木製の鳥居は伊勢神宮の柱として使われていたものを譲り受け新たに築かれたもの
元々あった石製の鳥居は阪神淡路大震災のときに倒壊してしまったそうな

 

 


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鳥居の左右には
狛犬
なんか、楽しそうですな…
阪神大震災をはじめ「いくた」の困難を乗り越えてきた喜びでしょうか
いや、2023年阪神タイガース優勝の喜びでしょうか

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吽形の狛犬は特に…嬉しそうな感じもなく

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機織りの神様・稚日女尊さまが御祭神

この神様は天照大御神さまの幼い時の名前らしい…

神戸の総鎮守で「神戸」という地名の由来になったことでも知られ

「縁結びのいくたさん」として全国的に有名な神社

「糸と糸を織りなすように、人と人とのよきご縁を結んでくれる神様」とのことで、強力な縁結びのご利益がある…稚日女尊さまが御祭神であるこの生田神社

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由緒書きには

神功皇后元年(201年)、神功皇后の三韓外征の帰途、今の神戸港で船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊さまが現れ
「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」との神託があったと日本書記に記されているとか

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山に祀られていたが
799年、大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したと伝えられてるとのこと

806年には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり、

中世には紺戸(こんべ)、近年には神戸(こうべ)と呼ばれるようになったとのこと

延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に県社に列格し、その後の明治18年(1885年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、明治29年(1896年)には官幣中社に昇格したとのこと

これが境内図


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この神社の奥は
「生田の森」と呼ばれていて
「源平合戦の古戦場」だったようで
それ以前に「枕草子」にも詠まれていて
清少納言もこの地を訪ねていたのでしょうね

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さらに
ここは灘五郎酒造の発祥地であるようで
毎年来日する「新羅使」が瀬戸内海を通過する際には、ここ生田神社で醸造した神酒で新羅からの使節をもてなし、 これが灘五郷における酒造りの始めとなったとか

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そのそばに、境内社として、「酒の神」 松尾神社
御祭神は大山咋命さま

二礼二拍手一礼
「元気ぽっくり逝けますように…亡くなる直前まで美味しい酒が呑めますように…」


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もう一つ、鳥居のそばに境内社がありまして

大海神社

日本神話や古事記に登場する猿田彦命さまが御祭神

海上安全や交通安全、方位除けなどのご利益がある神様
生田神社がここに遷る前から、祀られているよう

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さて赤の大鳥居…(二ノ鳥居)
その奥には、立派な楼門

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神社の境内に入るのは
東門から入ることも可能…

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ではでは手を浄めまして

手水舎も

新型コロナウイルス感染対策で柄杓がなくなったりと

作法もイロイロモロモロ変わってしまってるけど

 


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ここでは竹から御覧のように…

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「手水の作法」は
新型コロナウイルス感染症対策を踏まえて

新型コロナウイルス感染症対策を踏まえた案内看板は
私、はじめてみたような

やっぱ口はすすぐんだ…
今まで、口をすすいでいなかったけど、この生田神社では、口もすすいでみました…

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燈籠(とうろう)の横をとうろう(通ろう)

その手前には
「生田の森」を示す石標と
百度石
百度も参拝できないけど…4,5回は参拝したつもりで
4,5回、石を撫でておく…

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さらに楼門の横には
梶原景時が平家軍と戦った「生田の森」がある生田神社に立つ
景時の息子景季ゆかりの「箙(えびら)の梅」

梶原景時、景季父子は生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦したエピソードが
謡曲になり、能の演目にもなっているとのこと

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戦いの最中、梶原景季は箙(矢入れ)に梅を差していた…
それで、梶原景季の周りには梅の香りが漂っていたそうな

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子日庵一草の句碑
「神垣や又とをらせぬ梅の花」

子日庵一草は江戸時代の俳人


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立派な楼門

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そして楼門をくぐると正面に拝殿


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拝殿にて
二礼二拍手一礼
「縁」よりも「円」なんて言いませんよ
これからの人生、いい縁に恵まれますように…
ケアマネとかヘルパーさんとか???

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女神さまにあった朱の拝殿が眩しいほど…

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拝殿の左右の狛犬
胸郭が凄くて、ムキムキ…

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こちらは本殿の裏側

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実に煌びやかで、かつ荘厳で…

拝殿にて参拝後は
拝殿・本殿の裏手にある
「生田の森」へと…


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「復興を称へて長き御慶かな」
と刻まれた石碑


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「うるはしき 唐破風もちし 拝殿は 地上に這ひて 獣のごとし」
社殿左奥にある羽を広げたような碑
阪神・淡路大震災復興記念碑
句は神社宮司の発句とのこと


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…と、ここまでで長くなっているので


参拝記の続きは…次回に



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