新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

「平城宮跡歴史公園」観光のラストに「平城宮いざない館」に行く!…後篇…

2024-09-04 05:55:34 | B級スポット

「平城宮跡歴史公園」内の

「朱雀門広場」にある「平城宮いざない館」のレポの続き

 

続いては

「展示室3 往時のいとなみ」のコーナー

平城宮をまるごと体験しよう!

当時の人たちの「いとなみ」…すなわち生活の様子がよくわかる展示コーナー

中央にどどんとそびえる第一次大極殿の模型がインパクト大のこのコーナー

第一次大極殿の模型は5分の1サイズ

貢物…まあ、当時の税金のよーなもの

全国の食材がここに…

魚なんて、この地に持ってくるまでに腐ったりしなかったんだろうか…なんて、どーでもいいことを心配しちゃったり

宴会…場所は東院庭園でしょうか…

食べようと思っても、食事がこのショーケースの中では、食べられへんやんか!と驚いているようにもみえた、この方…

鍛冶場で働く人たち

同じことの繰り返しに嫌気が感じられますな…心、ここにあらず…ここで火傷するよりも、あの女性と火傷したいと思っているはず???

この姿勢をずっと保っているけど、腰痛が…

はい、ようつう(腰痛)に、ようついい(要注意)!

さてさて、奥の第一次大極殿の前には、平ぺったい人々がずらーっと

この方が上級の役人「阿部麻呂」

年収4210万円…もらいすぎやろ!!

多治比麻呂

年収3億7460万円

ああ、1年でいいから多治比麻呂さんの年収を受け取ってみたい…3億ももらってるんだから、もっと晴れ晴れしい顔をすればいいのに…

中間管理職の下級役人

上牛麻呂…年収700万円

この人となら、なんとか友達になれそうな気がする…

多治比麻呂さんよりも、ウンとやる気が、覇気が満ちてるようにみえるけど…

「第一次大極殿」の前で「なら」だけに、ならんでいる役人たち

おっと、怪しげな人が…

 

大極殿のここがすごい!と…木を組むだけでこんながっしりとした建物を造ったとか、木材は桧だとか自画自賛??の自慢話をここにまとめた解説板

 

この解説板を眺めた後に、この「第1次大極殿」を見上げれば、理由もなく…凄い!凄い!!

この「第一次大極殿」をよくみれば…

木材を抱えて働くオニーサンが…

うっ、腰が!!

腰が痛くて、もうやってられねーよ!!

そんな声がきこえてきそうでした…

ここでは、このオジサンの指導の下??

 

な、なんと今でいうプリンター用紙、そう木簡の疑似体験ができちゃう!

よーし、勤務評定をつけるぞ!!お偉いさんに…多治比麻呂さんになったつもりで

こんなふうにつくるみたい

それにしても「奈良の大仏」さん…確かに座ってるだけだから、働きは良くないかも…でも、動き回ったら、それはそれで、迷惑な話だと思うけど

「万葉仮名」で書くのね

では、早速

役人になって木簡を作ってみましたが…やはり、仕事、オモシロイことはありませんでした…所詮、お役所仕事でした???

平城宮の人々の衣装

この顔のない人たちが気になる…

これ、けして、顔ハメパネルではないのよ!!鏡のようになってたのよ!!なんのために、表情をなくしたのか???

奈良時代の美人は、現代ではブサイクだから顔をミラーんといて…ということでしょうか…だけに??ね…

 

続いては

「展示室4」へ向かう途中、渡り廊下に展示してある

朱雀門の周辺で発見された井戸

めちゃ、でかいどー!!

さらには、この渡り廊下の外がガラス張りでみえるようになっていて、そこの小山が「平成木簡埋納場所」

また1300年後に発掘されて、平成時代にも木簡を使ってたんだといった歴史に塗り替えられたりして…

 

さてさて、この渡り廊下には、平ぺったい奈良時代の人々が…

前の方は完全にカメラ目線、後ろの方は、イイ女でもみつけたのでしょうか…完全によそ見…笑

 

「展示室4」のコーナーの前には、この方が腕を組んで立っていました…

 

さてさて、その「展示室4」の前の渡り廊下の一角では

企画展「衣装でみる、壬申の乱」の展示がありまして

立っておられる方

左から、額田王、中大兄皇子、大海人皇子

中大兄皇子は後の天智天皇…天智天皇没後、後継者争いで大海人皇子と大友皇子で争いがおきる…それが「壬申の乱」

 

座っているのが十市皇女、その右が大友皇子、 鸕野讃良皇女、赤い服が、高市皇子

そのイラスト

この頃は争いもなく平和だったようで

左から紀大人、巨勢人、蘇我果安、中臣金、蘇我赤兄の五重臣

 

乱のはじまり!!

イラスト右のお方は大海人皇子

写真左が草壁皇子、右が鸕野讃良皇女

壬申の乱の勃発

左から高市皇子、志貴皇子、草壁皇子

 

大津皇子、忍壁皇子、川島皇子

 

そして、大海人皇子こと天智天皇と鸕野讃良皇女(後の持統天皇)

吉野の盟約

いやあ、壬申(じんしん)の乱のことが、よーく分かって、なかなか楽しめた衣装(いしょう)の展示でした…

いっしょう(一生)忘れないでしょう???…じんしん??もとい…じしん(自信)はないけど…

 

さていよいよ、ラストの展示室へ

展示室4「時をこえて」

ここは4つのコーナーに分かれてまして

「I 都の造営」のコーナー

 

都を造ってまして…この浮かび上がる映像が、悠久の歴史を物語るようでいいですなあ…

 

木、柱、瓦

壁面には働く人々が描かれていて

中央にはどどんと、木樋が

これは、奈良時代に使われていた排水管のこと

「II 平城京のコーナー」

 

いやあ、人で賑わっていますなあ

 

食事大公開…めちゃ美味しそうです…貴族の食事はね…

それに対して、庶民の食事は…

なんと(710)立派な平城京と、歴史の年号語呂合わせで覚えたけど、立派なのは建物ばかりで

いつの時代も庶民の暮らしは「楽」ではなかったということですね

 

…となれば、美味しいものが食べられますように、生活が楽になりますようにって祈りたくもなりますよね

ナント!(710)ふしぎな平城京

 

大祓

平城京に暮らした人々は、病の原因となる穢れや災いを払うために、あるいは呪いをかけるために、このような木の人形を用いたようで…なでたり息を吹きかけたりして穢れや悪気を人形に移し、水に流していたそうな…

 

呪い(のろい)の人形…

走るのがドベ…とうことではありません!

「みんなのしあわせをねがっている」…ようには見えませんが…

 

つづいて紹介するのは

失われた「長屋王邸」の復元模型

 

「長屋王(ながやおう)」は、父親は高市皇子、母親は御名部皇女…藤原不比等の死後は従二位・右大臣という地位に就き、事実上政治を主導する存在として不比等の政策を踏襲する形で社会の安定や反乱鎮圧などを行った人物…次第に不比等の子にあたる藤原四兄弟との関係性が悪化し、最終的には自殺に追い込まれる「長屋王の変」により人生を終える…しかし、死後は藤原四兄弟の同時期の病死など、「長屋王の呪い」と呼ばれる不幸が数多く起こるなど、奈良における「怨霊伝説」の一つになっているとか

現在の長屋王邸跡は、「ミ・ナーラ」と呼ばれる商業施設になっているとか

このコーナーはこの言葉で〆られる

「なんと(710)立派な平城京は未完成だった」

「III 平城宮」のコーナー

「ごみ捨て場は宝の山だった!」

このオジサンは、ゴミ捨て当番だったのでしょうか

 

 

 

出てきたものは

檜扇

箸と大型の杓子…発掘の際は「はし」から順々に…みつけたとき、ぽろっと壊れてしまったときには、ショックのあまり…しゃくしあげて???もとい…しゃくりあげて泣いたことでしょう??

 

土器…みつけたときはドキドキしたことでしょう

のエサ入れ??

…皿をおとりするときに、手がスベッテ割れちゃったんでしょう…

この皿、とり替えて…なんてね!

ホウキをここに「放棄(ホウキ)」

ごみ捨て場だからね

「役人の世界」

 

役人といっても、ピンキリですね

先程、ゴミ捨て係だった役人の年収が気になる―!!

「役人もつらいよ」ということで、求人募集

職務によっては夜勤あり…

でも電気のない時代…蝋燭もないかもしれないから、松明(たいまつ)もって…となると…仕事内容も限られてきそうだから、松明(たいまつ)ならぬ…たいくつ(退屈)だったかも…きっと、警備が主な夜勤の仕事だったんでしょうね…

でも、年2回のボーナスは魅力だなあ…笑

でも「役人もつらいよ」

不平、不満、愚痴もいっぱい…

 

給食のオバサンに文句を言ってはいけません!!

手に持つこの包丁が、別のことに使われないことを切に願う…

 

 

 

ネズミがでるんですね…よくチュー意しないと…

 

 

加藤登紀子さん風に♪百万塔のバラバラの欠片をあなたにあなたにあなたにあげる~

それ、ゴミやがな…

 

 

完全に寝不足…この時代に労働基準法があったら、アウトでしょう!!

 

も女性も一緒ですなあ…おとなしいのもいれば、じゃじゃもいる…だけに、うまいこと言ったから、座布団3枚もってきて…

 

 

「文字を練習しつつ、愚痴もかきたくなります」

うん、この役人とは友達になれそう…笑

たぶん、愚痴をかく前に、恥をかいたんでしょう??

下級役人の出世は遠い…ようで…

 

 

一方で、天皇の展示コーナーでは愚痴は一切ありませんでした

 

東楼の柱

東楼とおろう!!

まあ、今となっては廻りをぐるっとするだけですが…

 

磚積擁壁

平城宮の中心部である大極殿の前面には、煉瓦の積まれた巨大な壁…そのレンガのことを「磚」というようで大極殿で使用された磚の数は、約12,000個だとか…そのうちの一つ…

 

 

ラストに紹介するのがこの木簡(もっかん)

勤務中におを…これは懲戒免職だな…実にな、さけ(酒)ない…もとい…なさけない…あ、酒があるから呑みたくなったんでしょうけど

最古の立ち小便禁止看板

トイレ遠いでー(トイレ―)だったのでしょうか…

へー、じょうきょう(状況)が、もう、漏れそうだったのかな

漏れる―!もうあかん!…もっかん…汗

お後がよろしいようで???

 

ちなみに「せんと」くんは、立ち小便はしま「せんと」…とのことでした

 

 

 



コメントを投稿