千曲川の流れのように

年金生活者の徒然

用水その2

2006-10-12 | Weblog
 用水の歴史を探ってみた.昨日、用水は江戸時代頃からと書いたが、やはりその通りだった.それ以前は、いわゆる「池」作りだったらしい.上小地区は雨の少ないところだ.今でも農業用の池が点在する.用水は川との位置関係がそれなりでないと成立しない.つまり、高台で大きな川が近くない場合は成立しない.高台は稲作ではなく、畑作が主な農業だったのだろう.池→用水→ダムが単純化した水確保の歴史と考えて良い.
 考えて見ればあたり前のことだが、耕地面積と人口には相関関係にある.グラフにしてみると一目瞭然だ.耕地面積が急激に増加した時期は2回ある.いわゆる太閤検地から享保年間の約100年間と江戸末期から昭和の約100年間である.人口の増加も比例している.もちろん他の要素も加味しないと近代の人口の増減は正確には語れないのだが. 
 こんな風に、身近な所に学ばなくてはいけない素材は、ごろごろある.仕事とて同じことだろう.「シャープは目の付け所が違う」というCMがあった.奇抜さではなく、平凡だけど、はっとする、そんな目の付け所、これがなかなか難しいのだ.

○日ハム1-0ソフトバンク●
 対戦相手は、日ハムだ。最後の最後で、勝ちを掴み取った流れは只者ではない。不足はない。阪神は甲子園最終戦を飾った。
でもね、最後のゴールにたどり着くのは我々だ。残念!!
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用水

2006-10-12 | Weblog
 六ヶ郷と呼ばれている用水がある。千曲川の上流より水路を取り、下流の地域に水を供給する。おそらく、江戸時代くらいに全国で行なわれた土木工事だったのだろう。今となっては、当たり前のように感じるが、よくよく考えてみると、この水路ひとつでそこに住む人々の暮らしを一変させた。稲作が可能になった。どこの地域にもあると思う。それぞれの自分の住んでいる地域でそんな水路がないか探してみる見るのも面白い。水路には必ず水利権が設定されている。この管理がまた、大変なのだ。現在は組合で管理している場合が多い。六ヶ郷は組合はあるが、水の管理をしているのは区会だった。この管理は2年間続く。毎日の天候をにらみながら、水流をコントロールするのである。旅に出ることもままらないと聞く。地域の住むものの宿命かもしれないが、もっと合理的な方法論を編み出さないといけない。
参考までhttp://www.valley.ne.jp/~mshujo/page019.html

 矢作川源流域の寒村にも用水があった。なんと呼んでいたのかは定かではない。谷あいの集落なので、山肌に水路がある。かなり上流に取り入れ口を作らないといけない。距離にして4-5kmはある。大変な労力だ。水は人の生活に直結している。特に稲作には欠かせない。その地域の大局を見て、判断したのだろう。今私たちに必要な水路は何か?ゆっくり考えてみることをしたいものだ。
 中日がリーグ優勝したので、ちょっと気が抜けている。日ハムが優勢とすると、新庄のムードに流されない対応が必要だ。日本シリーズは力より流れだからである。
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