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あみの3ブログ

027 信州上田城 城下町歩き@長野県上田市 平成29年(2017)11月12日 信州上田城とNHK大河真田丸

【別所温泉からの2日目
上田の城下町で食べる信州そば】


【信州上田ってどんなところ?】
北陸道上越JCから上信越自動車道に入り、更科JCから佐久・上里方面へ千曲川を渡った上田菅平IC下車した《真田の里》
別所温泉、北國街道、そして真田一族と上田城 上田観光協会HP→こちら


【大河ドラマブーム】
2016年に放送されたNHKの大河ドラマ「真田丸」で再ブレークした上田市。話題の中心は「上田城」と市民会館を暫定利用した「真田丸・大河ドラマ館」こちら
訪れたのは放送が終了した翌年の2017年11月。次の週で閉館となるギリギリのタイミング。

ドラマの解説、歴史、出演者のプロフィール、撮影の小道具が展示され、最後は関連グッツなどのお土産売り場は大人気。


【上田城登城】
好天に恵まれ最高の紅葉に包まれた本丸辺り


城郭内にある真田神社
おりしも七五三詣での親子連れでにぎわっていた。



天守は残っておらず平成6年に再建された櫓門。両脇の南櫓と北櫓、千曲川の分流尼が淵の河岸段丘の上に建てられた西櫓が質実剛健な当時の面影を映す。


天正13年(1585) 徳川家康に攻められたが落とすことができず真田の名声と堅城さを示した。
また、慶長5年(1600)関ヶ原に向かう家康の嫡男秀忠軍を迎え撃ち、関ヶ原到着を遅れさせている。
徳川にとっては憎っくき真田の象徴。関ヶ原以降破却されたが、元和8年(1622)功績が認められ上田藩主となった仙谷忠政が復興したがその死によって未完に終わり以降城の形が大きく変わることなかった。
宝永3年(1706三代当主政明は但馬の国出石藩に移封となった

替わって松平田忠周が5万8千石で入り領内の支配体制を固め、京都所司代や老中も務めた。
以降松平家の統治が続き紆余曲折を経て(幕府の開国論を牽引)戊辰戦争では新政府軍に付き、北越戦争や会津戦争にも出兵。同じ親藩・松平家ながら会津松平と戦うことになったのは悲劇。
最後の藩主第7代藩主松平忠礼は「伊賀の守系藤井松平家」の第9代でもある。


【上田城】


《徳川軍を2度にわたって打ち破った真田一族ゆかりの城》

名称(別名);上田城(うえだじょう)、別名真田城(さなだじょう)他
所在地;長野県上田市二の丸
城地種類;平城
築城年代;天正11年(1583)
築城者;真田昌幸
主な城主;真田氏、仙谷氏、松平氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;本丸東虎口櫓門、二の丸北虎口石垣、南櫓下石垣復元
地図;



※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
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