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セシル・ローズとジェームソン侵入事件

2014-12-22 17:00:54 | 日記
ケープ植民地では1890年よりセシル・ローズが首相を務めていた。彼はトランスヴァール共和国の北方にローデシアと呼ばれるイギリス植民地を作り、最大規模のイギリス勅許状会社南アフリカ会社を創設した男だった。1894年にはアパルトヘイトの萌芽ともいうべき「グレン・グレイ法」を可決させて原住民の黒人に対して年に一回以上の居住区外での労働を強制し、また居住区の隔離を行った。ヴィクトリアと謁見した際に最近何をしていたのか下問されると「陛下の御料地に属州を二つ追加しておりました」と大真面目に述べるような強烈な帝国主義者だった。
ローズには北アフリカのエジプト・カイロと南アフリカのケープ植民地を鉄道で繋いでアフリカ大陸を縦断する大英帝国通商路を建設するという壮大な計画があった。だがこの計画に邪魔なのは反英的なボーア人国家トランスヴァール共和国であった。トランスヴァールは隣接するポルトガル領モザンビークの港と鉄道で通じており、英国領土を通商路に使う必要がない国だった。折しもトランスヴァール共和国のウィットウォーターズランドで金鉱が発掘され、ヨハネスブルグの町が建設されてトランスヴァール共和国は潤い始めていた。ローズはウィットウォーターズランドの金鉱を奪うべきことをヴィクトリアに上奏していた。だがイギリス本国政府は1890年代に入っても白人国家に対しては露骨な帝国主義を行う気にはなれず、トランスヴァール共和国に対しては弱腰だった。
1895年末から1896年初頭にかけてローズの友人である南アフリカ会社ローデシア行政官レアンダー・スター・ジェームソン(英語版)は、ヨハネスブルクの在留イギリス人の内乱準備と連携して500名ほどの南アフリカ会社所属の騎馬警察隊を率いて突然トランスヴァール共和国へ侵入を開始したが、計画があまりに杜撰すぎて早々にボーア人民兵隊に包囲されて降伏した。ヨハネスブルクの在留イギリス人たちの反乱もまもなく鎮圧された(ジェームソン侵入事件(英語版))。この事件はイギリス本国植民相ジョゼフ・チェンバレンが後押ししていたものと見られるが、イギリス本国政府は公式にはこのジェームソンの行動を批判することで関与を否定し、セシル・ローズも「20年来の友人にこんな事件を起こされて破滅させられるとは」と語って無関係を装ったが、彼は植民省のスケープゴートとして本国の査問委員会から弾劾を受けて退任を余儀なくされた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はトランスヴァール共和国大統領ポール・クリューガーに宛てて祝電を送っている。
だがイギリスの国民世論はローズやジェームソンたちの行動を称賛しており、『タイムズ』紙をはじめとするマスコミ各紙はトランスヴァールに祝電を送ったヴィルヘルム2世とドイツを批判する論説を載せた。ヴィクトリアもこの事件には複雑な思いでおり、とりあえず祝電を送ったヴィルヘルム2世に対して「貴方がいつも多大な愛情を捧げ、また手本にしていると言ってくれている祖母より」との書き出しで「貴方の書状に深い悲しみを覚えます。この行為はイギリスへの敵対行為と看做されます。私は貴方の意思で行われた行為ではないと信じていますが、英国民に非常に悪い印象を与えたといわざるをえません」とする忠告文を送った。結局イギリス政府が処罰を行う事を条件にトランスヴァール共和国はジェームソンらを釈放した。これを聞いたヴィクトリアはクリューガー大統領に「貴方の寛大な処置は南アフリカの平和に寄与するでしょう」というメッセージを送っている。

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