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耳が痛いことを、言ってくれる人。
(↑自分が信頼し、また状況をよく解っている人であることが、必要条件。)
自分をよく知るその人からの言葉をきちんと受け止めることは、とても大切。
そこには、受け止めなければならない真実と、越えなければならない現実があるから。
ちゃんと受け止められる自分でありたいし、さらにせっかくの言葉を生かせる自分でありたい。
逆ギレするなんて、とんでもない、もったいない。
言ってもらえる自分でありたいし、逆にきちんと言える自分でもありたい。
(↑自分が信頼し、また状況をよく解っている人であることが、必要条件。)
自分をよく知るその人からの言葉をきちんと受け止めることは、とても大切。
そこには、受け止めなければならない真実と、越えなければならない現実があるから。
ちゃんと受け止められる自分でありたいし、さらにせっかくの言葉を生かせる自分でありたい。
逆ギレするなんて、とんでもない、もったいない。
言ってもらえる自分でありたいし、逆にきちんと言える自分でもありたい。
逆(褒め)もまたしかり。
誰も何も言ってくれなくなったら、それこそ、ジ・エンド。
私も、伝えてもらえる自分でありたいです。
そのショックで受け入れられないことがあるんです。
「あたし、嫌われてるの!?」
みたいな。
そんな自分を小さいなあ(笑 と思ってしまいます。
まさしく「受け止めなければいけない真実」
「超えなくてはならない現実」に気づける、本当は素晴しいチャンスなんだと思います。
そういうチャンスが数多く訪れるよう、
いつでも心をオープンにして、人と接したいですよね。
そう思うようにすることが、まず冷静さを取り戻す第一歩だったりしますね。
やっぱり、やればいい、とは思うものの、実行は難しいわけですもんね。
くじけないように、自分を励ましたいですね!(*^-^)
そうそう、ほんと耳に痛い!からこそ、関門なんですよね
ありがたいと思えっていっても、その時は無理無理!!っていうのが、その時の正直な気持ちだったりします。
でも、ふと俯瞰してみると、文字通り「視点」が変わったり。他人の目から見て、自分どうだ?って想像する力を養いどきなんじゃないかと気付けたりしますよね。
だから、「あなただって!」「あいつだって!」と、へんな引き込み方するやり方って、そこでストップしちゃう最悪な反応だと思うんです。
裁くのは人間ではなく、それも当事者じゃなくて、なにか時間とか状況とか、大きな流れからやってくるものじゃないかと感じます。
とはいえ、トラブルに対して強くあろう、なんて、実際大変なことです☆
でも、口にし続けることで、せめて少しずつ実現していきたいですよね!