アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

人は評価基準に振り回される

2015年06月04日 | ピアノ
昨日書いたように、カラオケの採点というのは、歌の良し悪しを完璧に評価してるわけじゃないけれど
> なにしろ機械のすることだからね!? 過剰に信頼することもなくシャレとして楽しめるでしょう。
と思います。

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ただ、それはそうなのですけど、点数というものが出れば気になるのは人間の常でして、やはりその点数をてっとり早く上げるという行為はどうしても魅力的に映るのです。

ずいぶん前に見たカラオケバトル番組で、プロの歌い手さんとえなりかずきさんがガチンコ対決…もちろん歌のうまさで勝負しようといっても無理ですが、えなりさんはカラオケ採点を徹底的に研究したのです。カラオケに採点されやすいノリ、ビブラート、声の出し方、メリハリなど、「こうすれば加点」を追究して、それで結果どちらが勝ったか忘れましたが、聞いた感じのうまさよりずいぶん高い点数を叩き出して好勝負でした。(とはいっても歌としてもちゃんとそれなりにうまかったんですけどね)

採点(評価)の仕組みに人間と違うところがあるとすれば…というか、実際かなりあるんですけど、
できることが限られている中で、どうしても評価を上げたいとすれば、評価関数を精査したうえで、それに沿って努力することになります。

つまり、
・評価がうまくできているならば→わかりやすい目安を利用することで、効果的に実力アップが図れる
ともいえますし、
・評価がねじれているならは→努力の方向が本筋から離れてしまう
ということになるわけです。

カラオケ採点の場合、ある程度から先は、点数の極限を追究することで、かえって歌の感動から離れてしまうということがありそうです。もちろん、えなりさんの場合は、芸人として求められている努力をしただけで、ある意味本筋ですけどね(歌のプロを目指しているのではないですから)。


私は仕事で、翻訳品質の評価をすることがあったのですが、あるとき、ツールでの翻訳チェックを点数化したものが、しっかり読んで翻訳品質の良し悪しを評価したものと、かなり相関が高いということに気づきました。

人間がじっくり読んで評価するのはそりゃたいへんです。
ツールチェックでミスを数えるのはずっと簡単です。

だから一時、ツールチェックで出した「点数」を、翻訳品質の評価値として流用していたことがあったんですが。

それでどうなったかといいますと…いうまでもなくご想像どおりの結末です。

ツールチェックで出る点数がよくなるようにちょっとした「お化粧(ミスチェック)」をほどこされるようになってきます。

そうすれば、ツール評価と、真の評価の間にあった相関は崩れます。

便利にツールで評価できる時代は、「評価関数のカタチ」がバレるまでの期間だけだったということになったのです。

何がいいたいかというと、「評価関数のカタチ」が別段無意味なものではなく、目指しているものの「一部」を取り出したようなものだったとしても、その評価関数が「ほんもの」でない以上、評価される対象の人々の努力の方向をゆがめてしまうということなのです。

アマチュアがピアノコンクールに出るという場合、そのコンクールが上達の糧になるかどうかは、「評価のカタチ」が自分の目指すものに合っているかどうか次第ということになるでしょう。それって、昨日書いた合唱コンの例でもわかるとおり、実際にはかなり難しいことなんじゃないかなと思うのですが。つまり、審査員がアホなら空しくて、アホじゃないのに何か別の要因に左右されて好評価を逃すことがあったりすれば腹立たしいというわけです。

子どもをコンクールに出す場合は、そのような問題に加えて、幼ければ幼いほどもうひとつ難しい点があります。つまり、仮に評価が現状の演奏の到達点をある意味正しく測っているとしても、短期的にそれを最大化するのがここから先の長きにわたる(はずの)音楽ライフを最も幸せにする道なのかどうかってのは怪しいということです。

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コメント (6)
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