アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

名演奏の今昔

2017年06月05日 | バイオリン
昨日、きーちゃんさんの無伴奏バイオリンソナタ一番(の一部)を聞いたので、その流れでYouTubeをあれこれ聞いてたのですが、

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バッハのこの類(無伴奏バイオリン)はソナタが三曲、パルティータが三曲ありますが、やっぱり私はいちばんパル三が好きかなぁ~

「お気に入り」に入ってよく聴くのはコレなんだけど:
Johann Sebastian Bach - Partita No. 3, BWV 1006 | Hilary Hahn


すばらしいですよね、このクリアな、どこにも曇りや不完全なところがない感じの音色、音程、スピード感、フレーズ感。気持ちが洗われます(^^)

でも昨日聞いていてかなりびっくりしてハートわしづかみだったのはコレ:
バッハ 無伴奏バイオリンソナタ&パルティータ第3番 シゲティ

もうね、ぜんぜん違う世界。

音色もなんかもっとこう複雑な質感があって、いわゆる「きれい(クリア)」じゃないのね。
音程も…いや私がこんなこと言うのもおこがましいんだけど…必ずしも「正しく」はないというか。

スピードもまったく違います。シゲティさんのスピードは…たぶん現役プロでこの遅さで弾く人はいないと思う。

もちろん、演奏家ごとにひとりひとり弾き方が違うのは当たり前なんですが、これはもうあまりにも違うし、ある意味それぞれの時代の典型ともいえるかもしれない。

というのは、シゲティ時代に活躍したバイオリニストと
今活躍中のバイオリニストが
大きくいって、そのような傾向にあるからです。

「味」重視の時代と、「正確性」重視の時代というか…

ピアノについても、「せいぜい残ってても白黒画像」なピアニストと、現在活躍中のピアニストでは、なんかざっくりいってそのような違いがあるとは思いませんか?

そのように、個別の違いはともかく明らかに集団として違いがある場合、
そこには何かが働いてそうなったと考えるべきなんでしょうけど、
私はそのへん詳しくないので(正直いうとどのへんもそのへんも詳しくないので-笑)わかりませんが、

「録音して何度も聞く」あるいは「かけっぱなしにする」というような音楽消費形態とは深くかかわりがあるんだろうと想像します。

その他、コンクールという登竜門を強く意識することでも傾向が変わってくるだろうし、ほかにも…音楽教育のあり方とか、人々の好みとか? まぁいろいろあるんだろうけど。

ともかく、新しい人の「録音」ってものすごく整っているでしょ? アマチュア(それも、ぜんぜん上手でない)でバイオリンやピアノを楽しむ立場からいうと、いつも完璧タイプの演奏聞いてるとなんか息苦しいというかどうせ真似できないし、いやそりゃシゲティだって真似できないんだがそういうことじゃなくて。

あまり整いすぎた演奏ばかり聴いてると、「何もしちゃいけない」ような錯覚にとらわれることがあります。もちろん現代の完璧タイプ演奏だって平板なわけじゃなくて、研ぎ澄まされたテクニックに裏づけされて、決して大げさでない表現がちゃんと聞こえるようになってるのですが。テクニックもないのに「大げさでない表現」が正しいのだと思って、慎みのある(ありすぎる)表現幅しか自分に許さないとただのつまんない演奏になることもあるような気がするの。

たまには古い人の演奏も聞くとピアノ(バイオリン)弾くのがもっと楽しく自由になるかなと思います。


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